行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

老人の失敗続き

 余りにも、年齢が引き起こした私的などうしようもない事件を思い出し、冷や汗が出てしまう。

 新水俣駅から4時間後新大阪駅に着いて、トイレに寄った後の満席の待合室にて、奇跡的に座れた。三輪さんが迎えに来るのを待っていて、視界に三輪さんが現れたのでサッと立って一緒にエキナカに向かって喫茶した。

 一息ついて、駐車場に向かう途中でたこ焼き屋に寄って二人前を購入して駐車場で食べた。そうして、いつも車に乗る時に常に背負っているバックパック置く位置に何の気無しに手を伸ばすとあたらない。

 エッと思って、可笑しいと探しても見当たらない。その時には、大事な全財産とマイナンバーカードが入っている、大きめの財布はスーツのポケットに入れいたので、少しは冷静だった。

 それにしても、計測して5Kg前後のバックパックを背負っていなかったら気付きそうなのだが、長時間新大阪駅の相当な距離を歩いたのに気付かなかった。

 どこで置いたまま忘れてしまったのか記憶がない。そのない記憶をまさぐって、多分、喫茶したエキナカの席に置いて来たのだろうと結論付けて汗かきかき慌てて向かった。その時点では、きっとあると確信していた。

 もし無かったら、手続きをしないと行けない。大事なものは、社員証や士業の証明書などと実印に近い印鑑、士業の職印などの重要なものが頭に浮かぶ。名刺や多くの資料など。スケジュール表や電話や面談の記録が書いてある大判のノート。

 幾つかの鍵類も入っている、と思いながら目的のエキナカ喫茶室に到着して、座っていた席を遠目に見れる位置に着いた。もし、私の大きなバックパックが置いてあれば、その席は空いている筈なのだが、お客様は座っていた。

 席の向かいの、お店の方に聞いたがJRに聞く様に言われた。外に出ると、三輪さんからメールが来た。車の中でのどこかにあったかな、と期待を持って読んだが、内容は私を迎えに行った待合室から喫茶室、たこ焼き屋、駐車場迄のバックパックの記憶だった。

 その最初の待合室の事を思い出して、あの時に席が空いていて座った時にバックパックを下ろして、リクライニングの様に背中を倒した。そうして、三輪さんが迎えに来た時にスクっと立ってそのまま立ち去った。

 つまり、バックパックを背負っていない。入場券を購入して、改札口を抜けて待合室に向かった。入り口近くに座ったので、入り口を入る前に座った席が見えた。

 満席なのに、空いている。ホッとした。中に入ると、置いてあった、確かに私のバックパックだった。

 チカラが抜けた。すぐに手に取って、背負う感触が心地良い。改札を出て、三輪さんにメールして報告しホッとした返事に足取りが軽くなり早くなった。

 一大事に至らずに。いつもの事ながら三輪さんのアドバイスに、何度もお礼を口にした。

 昨日、ご遺骨を届けた時から私の失敗が記憶されていた。迎えに来たご遺族の車のナンバーを見た時に、何故か熊本県なのに鹿児島ナンバーなのだ、と思った。

 それまでは、鹿児島県出水市と何度も書いて居ながら、出水市は熊本県だと言う認識になってしまって、

 「ここは、熊本県なのに車のナンバーは鹿児島なのですね。」

 と、間違った事を言ってしまった。

 当然の事ながら、ここは鹿児島県ですと訂正された。

 そうして、恥の上塗りで、出水市は鶴の飛来地として有名なのは知っているのに、車の中でご遺族に話しの糸口として、

 「出水市は、白鳥の飛来地として有名だからですからね。」

 と言うと、すかさず、「鶴」だと修正された。そうして、鶴の丹頂鶴やなべ鶴などの種類と特徴も教えてくれた。自分の知識の浅さを悟られてしまった。その事が、滞在中心を占めていた。

 そうして、ホテルで朝を迎えた翌日にそれらを打ち消す笑い話が生じた。

 10時チエックアウトする時に、新幹線の駅までタクシーをフロントに準備を依頼した。その時のエピソードだった。内線で、

 「タクシーの予約をしたいのですが。」

 「ハクスウの追加ですね。」

 「ハクスウって何ですか。タクシーの予約ですが。」

 「あっ、タクシーですね。」

 訳のわからん奴だ。

 若い、ボソボソと言う新人の様だった。受話器を置いて何でハクスウなんて言うのか考えて見た。

 「ハクスウ」って「宿泊数」の事だと直ぐに気付いた。しかし、「タクシー」が「ハクスウ」と聞こえた理由が、と考えてはたと気付いた。私は東北宮城県仙台市の生まれ育ちで、俗に東北弁で訛りがあって、聞く方は九州は熊本県人なので、タクシーがハクスウに繋がった。自分でも苦笑した。

 そんな色々あった出張は、終わって明日からのGWでも、多くの仕事は待っている。

 最後の付け足しは、新幹線の中で昼食をする積りで乗車する前におにぎりとおかずを購入して乗り込んだ。広島駅を通過した頃に手を付けた。おにぎりにしたのは、手違いで散らかす事がないからだ。無事、トラブルもなくおにぎりを食べておかずのひじきの煮物を半分食べて袋にしまった。

 その袋に飲み物の残りをしまおうと思って、袋の扱いに失敗して中にあったおかずのヒジキの煮物が入っているパックが飛び出して床に転がった。中身のヒジキや大豆、硬い豆腐などが床に散らかった。やっぱりやったか、と思って散らかったものを足で纏めた。

 本当に情けない姿を曝け出す人間になったものだ。



ご遺骨を、故郷鹿児島県出水市へお届け

 鹿児島県出水市のご遺族に、死後事務委任者のお骨をお渡しして、ホッとした。今年の重要な仕事を終えた。天気にも恵まれて、一旦出社して仕事をして、9時半にマンションに戻って準備して10時過ぎに出発して、再度事務所に入った。保管してある白い布に包まれた重量感のあるご遺骨を手にして階下に降りた。

 三輪さんが待っている車に乗り込んで、1箇所立ち寄って新大阪駅に向かった。いつもの駐車場に停車して、大量の荷物を手にして駅に入った。

 昼食は、新大阪駅にあるエキナカに向かった。「魚かし 日本一」に向かった。昼食のテイクアウトを注文して、手にして再度改札口に向かった。大勢の乗客が行き交う。目立つ、外国人。私の子供の頃には外国人が珍しくて、見えなくなるまで都は見入っていたものだ。

 11時20分発さくらは鹿児島県出水市に15時過ぎに到着予定。乗車して、新神戸を過ぎた辺りで記憶を失って、気付いたら小倉の名前が聞こえたので、そこまで長時間眠っていた。そこから、鹿児島県出水市迄は起きていた。

 出水駅に着いて、改札口を出ると声を掛けて来たおばさんが、ご親族の方だった。大量にお渡しするものがあって、どこか喫茶店でもと思ったが、近いから自宅で、と言われて断り切れずに車に乗った。

 自宅に着いて、早速、ご遺骨やお仏壇に入っていた亡くなった奥様のご位牌、数々のお写真を指示された場所に安置する。

 その後、警察署から受け取った通帳や印鑑を始め貴重品と思われる品々を手渡した。そうして、私が立て替えている火葬や葬儀費用などの領収書の類を示した。そうして最後に通帳の残金を取り出す手続き、相続手続きの最初の必要な銀行からの書類を示して手続きを説明した。

 自分に出来るか、と不安を口にした。それを、先程近所から駆けつけた娘さんが、

 「佐藤さんにお願いしたらできるから。」

 と、助言する。

 「この通帳のお金で、立て替えして貰ったお金と佐藤さんにお願いして足が出ないか気になって。」

 「それは大丈夫です。現在、立て替えている金額は25万円程度で、後は遺品整理と家賃の清算と請求が来ているガス水道電気などを清算して、私の死後事務と相続手続きの報酬を負担しても残ります。」

 そう説明して、それではと受任する事となった。

 小一時間滞在して、再び。出水駅迄送って貰った。ホッとした気持ちを駅舎の中で休んで、アイスを頂いて余韻を楽しんだ。

 この出水駅から新幹線で隣の熊本県新水俣駅迄僅か7分だった。タクシーにて、宿泊地の「海と夕焼け」に着いた。

 暫くして、温泉に入って汗を流した。夕食の会席料理は豪華でお腹が一杯で動けなくなって、爆睡して今日の重要な任務は終わった。

 売り物の夕日の景色は、故郷仙台の方が色濃く鮮やかで、勝利したと満足だった。


二つのzoomで

 消滅都市のリストアップ報告を見たが、隣の門真市が入っていて驚いた。故郷の宮城県を見ると、県第二の都市石巻市や気仙沼市が入っている。復興で努力している南三陸町が入っていて、住んでいる人のやる気を削いでいる気がする。

 今日は、午前午後ともzooにて長時間過ごした。午前中は、9時半から11時半までの予定で、藤井聡太将棋八冠の師匠である杉本昌隆八段のセミナーだった。私は、大きな気持ちを持って藤井聡太八冠を包み込む感覚を持っているので、大好きな先生だったので大きな楽しみを持って迎えた。

 それなのに、何度も確認したはずなのに朝出勤して仕事を始めても10時半のスタートを思い込んでいた。zoomのテストをしようとURLを送って来た主催者からのメールを確認すると、9時半スタートと気付いた。

 慌てて、やっていた仕事を途中で切ってzoomのアクスに移行した。何となく、馴染まない緊張している様子が見てとれた。

 中小企業経営者対象の保険会社主催であるので、その目的に見合った内容にしようと苦労しているのが分かった。ただ単に、藤井聡太八冠との関わりを話すだけでは失格だと思ったのだろう。

 21才の藤井聡太八冠を、若手新卒に置換して、関わりあったお話しをする。エピソードを若手社員を採用した場合の話題に置き換えて話しをする。

 途中で、隣市の人権相談室から電話が入る。先日、相談があった案件の相談室で面談する予定がキャンセルになった報告だった。それに合わせて、以前支援した方のその後の報告を受けたりして、zoomから離れていた。

 杉本八段のお話しは、いつもの軽妙洒脱が影を潜めて、迫力が無かったのでzoomから離れても惜しいとは思わなかった。

 最後までこの調子だったので、眠ってしまったようだ。気付いたら、司会者が最後の締めの挨拶をしていた。本当に残念だった。自分の将棋人生や藤井聡太八冠との関わりや同じ弟子の室田伊緒女流三段の話しを聞きたかった。他の棋士のお話しも聞きたかった。無理して、若い世代の身勝手な勤務態度や無責任な言動に理解を示した様なお話しは聞きたく無かった。

 最近のセミナーは、如何に若手社員を繋ぎ止めるかや辞めない職場の作り方など、無茶苦茶な社員に対する馬鹿馬鹿しい内容が多くなった。こんな事やっていたら日本は消滅する国になってしまう。

 午後もzoomがあるので、お昼はマンションに戻らなかった。三輪さんに、弁当をご馳走になった。うなぎ飯のおにぎりと卵焼きや天麩羅のおかずで、美味しく頂いた。食事が終わると、時間を惜しんで補助金事業の申請書作成に取り掛かった。始まるまでに余裕があったので、没頭していた。

 突然、大阪府から処遇改善の申請資料が届いていない、との連絡だった。不味いと思って、そのチェックに移行した。そうすると、今度は大阪府の居住支援の手続き関係の電話があって打ち合わせが終わって時間を見るとzoom始まる前に5分だった。

 慌てて。zoomのURLが送信されていたメールを探して接続した。先日、理事に勧誘頂いた障害福祉事業者の全国組織の理事会だった。正式の選任は、5月の総会にて承認されてからの話だが、仮の理事会として参加した。

 自分がこれまで経験のした理事会の雰囲気だったは無くて、よく言えば和気藹々で皮肉でも同じ表現だろう。しかし、初めての情報が多く会員数は全国1000を超えている様だ。これからの事業や運営なので大きな可能性を秘めている。

 5時迄、2時間の会議が終わって大阪府への提出資料を大急ぎで作成して、封筒に入れて近くのコンビニで投函した。そのまま、イオンモール内の銀行に行って入金して戻った。

 取り寄せたお米が届いた。最近のパッケージに驚いた。美味しいとの想起は無い。