行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

4畳半「神田川」時代の記憶

土曜日だ。気持ち的には余裕が生まれるのだが、気になっている仕事があるので余裕から程遠い。そんな中、メールを確認していると以前から何となく打診があった相続手続きの具体的な依頼がなされていた。

 私が住んでいるマンションの以前のオーナーで、東京でも官庁を相手に大きな事業を展開している会社の創業者の奥さんの推薦で娘さんからの相談だった。

 ご親族の相続手続きの相談で、今日のメールで初めて分かったが、以前に他の士業の方にお願いして必要な戸籍謄本などを取り寄せたようで、何故かそれ以降進展せずに戸籍謄本などの有効期限が切れてしまったようだ。

 なので、最初からの手続きとなり、取り敢えず関係者の戸籍謄本と附票を取得する事にした。

 職権でそれらの取得は可能だが、業際問題などの面倒な証明などの事を考えて、委任状をお願いする事にした。その戸籍がある市は委任状ではなく承認書だった。

 それらを作成する。それが、気が乗らずに途中で度々、ストップしてYouTubeを見て段々と気持ちが離れて行って、今日中に終わらせなくてもいいや、と思い出して困惑する。そのYouTubeは、別にファンでも無いのだが、AKB48の在籍最年長の柏木由紀さんの卒業コンサートを中心に、中島みゆきさんの歌を堪能して時間を消化していた。

 最後の30分に気を入れて、必要な書類を完成させて、メールで送信した。

 他の時間は、弁護士から求められている保管されている亡くなった成年被後見人の求められている資料を区分けして、箱詰めの準備をした。

 そういえば、先日亡くなった死後事務委任契約者の財産について、遠方の親族が聞いていた在処に見当たらない。身寄りが無くて、警察が自宅内に入って家探しした結果、見つかって通帳や僅かな現金などを警察から預かって、相続人に連絡していた。

 しかし、亡くなったご本人が死後事務にと準備していた現金が見当たらない。昨日、三輪さんが自宅へ確認しに向かった。夜になって連絡があって、纏まった金銭があったとの事で、当面はそれで火葬などの負担が出来そうだ。

 午前中での仕事を終えて、マンションの部屋に戻った。カーテンは締め切っていたので、部屋は薄暗かった。その時に、記憶が戻った。未だ結婚する前の20才から4年間東京都品川区に居住していた。神田川を地で行くような4畳半で、陽の光が入らない電車の高架線の横に住んでいた。

 部屋に入って、手探りで裸電球のソケットに着いているスイッチを手探りで弄って、捻ると裸電球の電気が点くと同時に床で我がもの顔で蠢いていたゴキブリ🪳たちが一斉に物陰に逃げ惑う。慣れた私は、この俊敏な足で少なくても2匹を抑えて気を失わせた。

 毎日が、そんなパターンで帰宅生活が始まった。オレンジ色の優しい灯りが狭い部屋を照らす。テレビは無くて、もっぱら読書だった。分厚い大作を毎日数ページだけ読んだ。灯りが弱くて小さな文字を読み進めると目が痛くなって来た。

 朝早くから夜遅くまで、目の前の高架線がうるさく軋んでいた。そんな、貧乏時代だったが将来に不安がなかった。希望する人生を努力や身につける能力で掴み取る事が出来ると信じられた時代だった。

 その生活が、自然と向上して行く姿が実感して毎日が楽しく過ごせる環境だった。いつ、自分が目的を持って動き始めるのか、それだけが必要だった。なので、転職を繰り返した。

 その訓練が、自分の力となって実力が付いてくる。私にとっては、今と同じやり甲斐を見つけて努力するだけで、引き上げてくれた案外楽な20代30代という昭和の年代だった。

 それが、自分の立場が変わって暗中模索な活動が40代終わりから続く。誰も引き上げてくれたり支援してくれない。

 さて、今日の朝食は、昨夜の二度目の夕食と同じメニューの、お茶碗に白身を外した黄身を入れて暖かいご飯を僅かによそう。その上に、微塵斬りしたネギをたっぷり入れて、納豆をひとパック入れて頂いた。

 お昼は、冷凍のメンチカツとミルフィーユ処理されていた豚肉のカツを挙げた。大皿にポテトサラダを乗せ、揚げ物を1個ずつプラスしてご飯を少々乗せて自家製プレートを作って食べた。

 暖かな日だったが、何処にも出る事はなく昼寝とつまらないテレビを点けて横たわっていた。