行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

長男、東京から来る

 長男が、東京から来た。私のデジタルレベルが幼児並なので、もう大阪に来た24年前から時を選んで指導に来てくれる。

 特に現在は、株式会社のものづくり補助金と特定非営利活動法人のIT導入補助金の採択がなされて、IT事業者にサイト作成などの委託を行っていて、その完成に向けて動いている。全て、長男におんぶに抱っことなっている。その説明や、今後どう進めて行くのか私の方針を聞きに来た。

 私の考えを、相手事業者に専門用語で通訳してくれる訳だ。10時に事務所に着いて、1時間半ほど世間話や日本経済や今後の予測などを楽しく話し会った。

 色々と長男も苦労してここまで自力で生きて来たのがよく分かる。私のサポートとして、今後も大きな戦力になってくれるだろうと思う。私のルーツを成り行きで話すこととなった。余り父親の事は話した事が無かったが、出身が新潟県上越市で、当時は高田市だったが。

 誰でもが経験する苦難の道を歩んだ。田舎の裕福な家で育ちながら、父親の酒狂いで放蕩し、家を出て東京に出た。青山の呉服屋に後妻として嫁いだ母親を慕って田舎を後にしたのだろう。

 私が小さい頃、東京に何度か出た記憶が残っている。私にとっては祖母の写真や座布団に座っている1才に満たない画像と共に、青山の呉服屋の写真も見た記憶がある。しかし、いつしか時が過ぎて祖母が亡くなって、父親の酒乱が始まって、家が崩壊に向かった。家族がバラバラになってしまう。

 母親が、一人で何とか家族を支えようと孤軍奮闘して、私たちは生きながらえた。しかし、酒乱をカバーして人生を棒に振る意識は無く、長男が家を出て東京に向かう。次男の私も、程なく上京した。三男も、酒乱の父親の計りで意思に反して上京した。四男は、仙台に留まった。五男も上京して、男兄弟5人中4人が故郷を後にして上京していた。

 この兄弟が揃うことは、以後無かったことが悔やまれる。母親を何とか支えて、3年前に送った。恩返しも出来ずに、と悔やんだ。長男は15年も前に送った。今、家族として残っているのは、私と弟3人の計4人だ。その4人が集まる事も、もうあるまい。そんな人生のほんの触りを長男に伝えた。初めて聞いたと、ポツリと一言だけだった。

 昼食をしに、隣のイオンモールに行った。最初から、天麩羅の「えびのや」に行くつもりでフードコートに行った。並んでいるのが多数だったので、表に名前を書いた。5番目位だった。フードコートを一回りして戻って来ると、前の名前が消されて、次の名を呼ばれるのを待つだけだった。

 待機リストに書いた名前を呼ばれて、席に座って注文した。注文品が直ぐに来て、タラコで少し食べてから天麩羅に箸を付けた。そこから、休みなく書き込んで、平らげた。向かいに座った息子は、最初から天麩羅を食べてタラコに手を付けなかったので、少食になったのか、と思った。

 暫くすると、

 「おかわり出来るの?」

 と、聞いたので、大丈夫と答えた。

 トレイの天麩羅の乗せてあった大皿を見ると天麩羅は殆ど無いので、不思議に勝手にどうして食べるのだろうと思ったが、何のことはない、タラコだった。私と真逆の食べ順だった。

 そんなどうでもよい気持ちを持って、店を後にした。

 今日、長男が来た趣旨であるサイトのデザインの打ち合わせと、不要になったノート型パソコンを受け取りに来たので、置いてある隣のマンションにある事務所の鍵を渡して好きに選択して持って行くように言った。

 私はヘルパーさんの3月実績に基づく報酬一覧表を作成に取り掛かった。長男が、いつでも投げてくれればやるから、と言って処理の仕方やデータの作り方を助言してくれた。

 一通り用件が済んだので、長男は京都の宿に帰る支度をし、途中まで送りがてら外に出た。途中で別れて、コンビニに立ち寄ってアイスクリームを買ってマンションの自室に戻った。

 以前だったら、一杯お酒でも頂くのだが体調が万全では無いので、申し訳ないが愛想無しで京都の宿に帰った。長男には申し訳ない事をした。