行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

暖かくなったけど、日曜日も出勤です

 やっと、安定した暖かい日でした。朝も早くから出勤して、一段落しても未だ7時でした。その後もルーティンワークが一段落しても、未だ、7時台でした。時間が進んでいなようで、ちょっと疲労感を覚えた。

 新聞やニュースで、最近多いのが貧困対策だ。就職氷河期に職に就いた1992年頃から2002年頃に卒業した世代が正社員から溢れて、派遣社員や職に就けずに高齢者の仲間入りになって来るのが近付いて来る。

 その上、女性の高齢者も加わって年金だけでは生活出来なくなる。生活保護に流れ込まれては、国の負担が大きくなり国の運営が危うくなる。後世に残して来た、赤字国債が足枷となって国力を削いでしまう。

 その打開をインバウンドに求める。現在の倍、地域に多くの問題を引き起こしながら6000万人の目標に定めて居る。外国人の移住者も増えて来た。地域によっては、外国人に占領された場所もあって地域住民に多くのトラブルを齎している。

 台湾有事と言われているが、ウクライナのように、アメリカのトランプの様な強引な男が出て来て、和平交渉などと言ってロシアに奪われている占領地域のロシアへの割譲を認めるような発言に脅かされて居る。

 日本人の様な平和ボケが、日本が中国の攻撃を受けて一部九州を占領されて、実効支配の九州を中国の領土とした和平をトランプに強要されて、誰が拒否出来るのか。そんな事を考えたりして居た。

 国立大学大学院のかなりの数を中国人留学生が占めていると聞いた。大きな病院の医師の名簿が表示されているが、一定の数の中国人が示されている。多くの中国人が生活保護を受けていると言われている。

 そんな事を考えて居た。多くの資料が段ボール箱に入って居た。その一つの段ボール箱から少しずつ資料取り出して、保存の用のないものを振り分けて、ゴミ箱に入れる。半分程度廃棄となった。

 続いて、決算資料作成のための小口現金処理レシートなどをチェックして、法人毎に振り分けた。これが、膨大な数があっていちいち一枚ずつチェックするのが段々と嫌になって来た。途中で止めて他の業務して、再び戻るを繰り返した。

 朝6時台に電話が着信して居た記録を見て掛けた。五島列島の方に電話する業務を依頼した方だったが、間違って触れてしまったと謝罪があった。

 11時半になったので、イオンモール内のATMに向かった。私の報酬振替手続きに行った。私の報酬は順次下げて来たが、もう上げることはない。年金の受給が、100万円以上不支給になっている。私が、年金を使える様になっているのなら報酬は年金全額支給になる額迄下げても良いのだが、妻が管理して私がその口座に手をつける事は出来ない。

 その話しをすると、何が起こるか分からないので静かにしている。年金を自分が使えると思って、それまで私の報酬は20年間全額妻に手渡して居たが、年金支給と同時に妻に無条件で手渡していた役員等報酬が、自分が報酬を手にする年代になっていた筈なのだが、結果は年金が全額妻の管理する口座に入っている。

 私自身は、他の法人からの報酬もあり加えて士業の報酬も法人の報酬の倍程度あって、私の個人口座は増えているので、精神的余裕はある。勿論、交際費などの経費は法人で処理出来るので自由に活動して行けている。ATMのある場所にはイベントを行う小さなフロアを通って行くので、混んでいる処に行きたくない思いがあったが、モノマネ芸人のキンタローが来るというので、混み具合も見たい思いもあり向かった。

 イベントが始まる迄時間があったが、混み具合はイベント会場入り口でかなりあった。リニューアルされた場所は、専門店街の一部を取り壊し、ワンフロアのオープンスペースにしてカフェになって居た。

 そのまま、マンションに戻った。何もする事もないし、昼食を頂いて横になって寝たり起きたりして夜になった。昼食も夕食も残り物を適当に頂いて、間食もあるものを探しては食べ尽くして居た。

 明日は、市役所の街づくり課から居住支援担当職員が人事異動で代わったので、今年度の事業打ち合わせを兼ねて駅前事務所に来社する事になっているので、話し合いの内容を検討して置かないといけない。

 



昔の事が浮かぶこの頃、死生に呼ばれる

 午前中は、通常通りの出勤と事務所での過ごし方で終わった。その中で、少しは動いた。概ね、土日は他社事業所は休みだし連絡などすれば迷惑だったり、何事かと気にさせてしまうので、個人の方に連絡を取った。

 先日お伺いした、三輪さんの同級生の自宅でマンションの賃貸業を営んで居たお家に相談があって訪問した。確かに、悩みは大きいのだがどうも自分では動く気が感じられなかった。他者に解決策を負わせ、お手並み拝見という感じがありありで金銭的負担も回避したい、そんな感じを受けて戻って来た。

 孤独死が相次いで、その対処が自腹で負担が大きいのでこれ以上増えてはマンション経営に支障をきたす。問題は、遺品整理の負担だけで無く遺族が居ても縁が薄くなって、残置物の引き取りや処分を拒否されて憤まん最高潮。

 孤独死があっては、新たな借り手も見つからず、そのすべてのサイクルを対応して欲しい、との事だった。市役所からの紹介だという事で、タダでやって貰えると思い込んでいるフシがある。

 その思いを抱えながら、口頭であったが依頼を受けた業務に就く。孤独死した親族である弟さんに連絡して、拒否した遺品整理への真意を聞く事にした。長崎県五島列島の居住している弟さんの携帯電話に連絡した。しかし、長時間発信したが音声で出ないとコールがあった。もし、意識して出ないのであれば折り返し連絡が来るだろう。

 しかし、電話連絡は無かった。その旨の報告を兼ねて、依頼者に連絡して。最初、遺品整理の見積もり額を伝えた。6畳一間とはいえ、部屋一杯大型家具設備機器や衣服が散乱して居た。その部屋を画像に納めて連携業者へ提供して見積もりを依頼した。

 来た金額は、今までの経験上で見ても安価だった。7万円程度だった。少なくても、15万円前後がこれまでの最低金額だったと思う。その金額を伝えると、気のない返事だった。本来なら私の性格上、電話を切って終わりにするのだが、五島列島の親族にした電話の件も伝えた。その上で、親族へ手紙を出す事を伝えて、了解を得た。

 それでも、やる気喪失は治らずに、その後の動きはせずに終わる。

 最終は、いつもの決算資料を作成を手掛けて終わった。今日は、通販で注文した米が届いた。注文時には10キロだと思ったが、着いたのは5キロだった。6000円て高くないですか。いつもの宮城県の生産者直接注文した。

 戻って、昼食した。そのまま、横になって寝たり起きたりする。

 最近、何故か、子供の小さい時の事が目に浮かんで、懐かしい気持ちになったり後悔したり。二人の子供は仲が良く、次男は長男をいつも慕って居た。その時の様子が、その言葉が浮かんでくる。再現された光景が浮かんで来る。

 その次男は、3歳年上の長男に負けまいと一生懸命に努力を重ねる。最初に長男を超えたのは体重だった。私が、いつも次男が小さい時から魚肉ソーセージを持たせて居た。段々と効果が現れて、太って来た。重い子供で、抱っこするのも大変だったので、移動はバギーだった。

 小学生になって暫くして、アルバムに貼って居た大量の趣味の写真を見ながら次男に言われた。

 「お父さんがお兄ちゃんを抱っこしている写真は沢山あるけど、僕のは1枚しかないよね。」

 その言葉が、それ以来、ずっと戒めの言葉として時々耳の奥から聞こえている。

 それ以後、取り返しする機会を求めて、何か求められれば何でも応じている。もう一つ残っている次男の言葉は、千葉県松戸市のマンションから埼玉県さいたま市の戸建てに転居した後に言われた言葉が、

 「僕は、折角出来た友達と別れるのが嫌だったんだよ。」

 と、言われた。

 小学校1年生の1学期が終わった夏休みに転校した。長男には何度も転校しても良いか確認して居た。そうして、長男には、デスクトップ型のパソコンを購入してあげる約束して居て、その通り70万円もしたパソコンを与えた。この当時は、まだ、ウインドウズは無くて機械言語だった。私の弟が来て操作を教えてくれて、それが機会となって長男はその道に進む。

 そういえば、次男には何を約束して納得して貰ったのか、覚えて居ない。二人差をつけて育てた覚えは無いのに、こうして並べて思い出すと、無意識に差別して居たのだと反省している。本当に申し訳ない。

 そんな事を思い出しては懺悔している。

 また、思い出しては懐かしく浸って居るのが小学校の6年の時代の思い出だった。誰にでもある、思い返せば初恋の人の事だ。誰にでも優しい女の子が、隣の席になった。一番思い出すのは、音楽の教科書を忘れて隣の女の子に見せて貰った。合唱する時に二人で一緒に教科書を持って「赤とんぼ」を歌った。恥ずかしかった。その記憶がはっきりと思い出せる。60年以上の記憶だった。

 その女の子の家が、どこいらへんだと思い出して、Google mapで検索する。今更ながら、思い出せるのは、小学生から中学生になった時に、一人だけミッション系の私立中学校に進学した。その記憶で地図を見ると記憶の高級住宅街という広瀬川河畔地域にあった。教会だ。そうか、何度か通った時に見かけ声を掛けられて顔を赤くして、返事も出来なくて通り過ぎた自分が思い出せる。

 今頃は、シスターとなって人の為に祈りを捧げて居るのだろうか、と思ったりして過ごして居る。

 そんな、昔の事を思い出して居るのは、何かあるのだろうか、と思っている。やはり、来世にお呼ばれして居るのか。



花と緑の国際博覧会場跡地鶴見緑地公園で癒しのひと時

 半袖で出勤しているが、微風で肌寒い早朝だった。事務所へ、マンションに届いた水をペットボトルに入れて持参した。連日、朝は緑茶を飲んでいる。水道水では、味が異なる。一昨年から、50年以上も毎朝飲んでいた珈琲が体質の変化か突然飲めなくなって、紅茶に変えたりして居たが、結局、身体にも良い緑茶に落ち着いて数ヶ月経過している。

 ルーティンワークとなっているYouTuberの映像を視聴する。いつもの韓国人と日本人の若い女性の日本各地に行きその土地土地での地元民との交流を中心とした記録である。今日は、韓国人女性が滋賀県彦根市と長浜市での観光の様子が中心だった。気になったのは、時々映像と声も流れたが、今日も地元のグルメを購入して料金を支払った後に受け取ったお釣りの間違い、それもいつも少ないのだ。その事を映像の中で、何故と疑問を呈して居た。

 日本人の若い女性の今日の内容は、YouTubeのフォロワー数が大きく増えて、色々とオファーが来るようになって、海外ロケに参加した。アスペルガー症候群を自認しているYouTuberは、多くの人との関わりがあったようで、帰国した直後から流れた映像で、ストレス最高潮と発して最高級ホテルに投宿する。シングル1泊12万円を超える宿泊料と言う。

 そこで、食事をするのだが動けないほどに疲労感を抱えて、ルームサービスを利用せずに何と好きな街中華をUber eatsで注文した。物欲など無いので、70万人に迫るフォアロー数で収入が多いのに使い道が無いので貯まる一方だと言う。他者から見れば無駄遣いも、本人にとってはその意識は希薄だ。

 一気に次の彼女の配信を見る。今度は、大阪市の西成に続いて東京の山谷地区に足を踏み入れて、色濃いドヤ街をリポートした。 

 そんなYouTuberを見ながら、時に先日終了した事務委任業務の請求書を作成した。税込8万1千円だった。成年後見人のケア計画への署名業務を行って、NPO法人の3月決算資料を作成して午前中の業務は終了した。

 マンションに戻って、昼食した。午後2時に出発して、銀行、郵便局を巡ってから久しぶりに鶴見緑地公園に向かった。今日は、歩行に自信がないので、風車に近い入口付近の駐車場に車を停車した。広い駐車場は満車で、立体駐車場の2階に駐車した。

 メタセコイヤかヒマラヤ杉が林立している中を通って、風車の丘を目指して歩く。通った事にない小高い丘に登って周辺を一望した。緑の木々が目を癒し、心を労った。

 近道を選択して良かった。木々の重なった葉の間から漏れ見える風車の丘の斜面に水色の絨毯が見えた。ネモフィラの花々だった。視界が広がると、シンボルの風車が見えて来た。手入れが大変だと、作業を行った方々に感謝する。大勢の若い男女が、感激しながら画像に収めて居た。私も負けずに、一番良い画像が残せる場所に移動しながら、スマホを構えた。

 時には、このような自然の風景に触れて仕事から離れて過ごす瞬間も必要だと思う。最近は寒くて歩くのも大変だったので控えて居た。そろそろ気候も良くなるので、積極的に動いて行こうと思っている。次は、躑躅の季節になるので、どこに行こうか調べ始めている。

 ネモフィラの丘を巡ってから、隣接したバラ園に行ったが、花は咲いて居なかった。5月のイベントに開花を合わせている様だった。丁度、現在の足の調子に合わせた距離を歩いて駐車場に戻った。併設してあるスターバックスに入って、新作の美味しい飲み物を飲んで帰宅の途についた。

 夜は、懐かしい「冷やしたぬきうどん」を食べた。