行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

身寄り無しの方の死亡届は誰が

 門真警察署から、私が死後事務委任契約を交わしている委任者の本人確認が済んだので、明日午後4時に遺体の引き取りに来て欲しい旨の電話があった。

 丁度今週11日月曜日に、日常生活を支援している事業者からセミナー参加中に電話があって、最前列に座っていたので電話に出られなかった。留守番電話に、心肺停止で救急搬送されたとの音声が録音されていた。

 東京に身を置いていたので、処置をお願いした。その後、一旦停止した心臓が動き出した、との留守番電話があって、しかし、夕方セミナーが終わってから電話すると死亡が伝えられた。

 そこから、私の契約行為が動き出した。ご本人が、大阪にて孤独死したのだが、倒れているところを訪問した看護サービスによって発見された。出身地の鹿児島県出水市に在住の親族が一昨年来阪して、帰省する様に懇願したが頑として親族に迷惑を掛けられない、と帰郷を拒んだ。

 市役所へ相談に行き、地域包括支援センターを紹介されてアドバイスを受けて私を知って連絡して来た。電話で話し合いを始めて数度の契約書原案を往復させて数ヶ月後の昨年12月に正式に、ご本人の代理人として鹿児島県出水市のご親戚を加えた三者が記名押印して成立した、生前及び死後事務委任契約書をそれぞれが所持した。

 委任者は、80歳を超えていた。奥さんがコロナ禍前に亡くなって、お子さんがいない。問題は、視覚と聴覚に重い障害があって契約書の説明など難航した。通じない。契約書の文字を拡大して印刷して訪問したが、見えなかった。耳は、大声で何とか通じるが限界があった。

 鹿児島県出水市の親族が、決まった曜日の決まった時間に電話する約束があって、電話で大きな声でお話しして理解して貰った。

 もう一つ、ご本人が死後事務に関わる代理権をご親族に与える委任状をも作成して、鹿児島県出水市に送って両者の実印をお願いしていた。

 それらの書面を改めて読み返した。実は、ご本人が亡くなった日に、鹿児島県出水市のご親族は入院して手術を控えていた。その病床から、宜しく頼みます、と電話があった。

 警察署は、その亡くなった方が本人である事を親族に確認して欲しかったが、手術を控えている入院中と言う事で、ご遺体を警察署で預かって、来れない親族にご遺体の画像を送って確認したい旨の説明があって、暫く、静かに過ごした。

 その間、ご親族の娘さんの電話を聞いたので、娘さんを通じて警察署からの今後の手順をお伝えした。緊急時対応してくれた病院へ連絡して、お支払いなどの打ち合わせを行った。ご親族から電話があって、苦しそうな声で手術が終わったとのこと、と亡くなったご本人の家にある貴重品の在処や形見などのお話しを伺った。前日に大きな手術を終えて痛くて眠れない様だった。

 警察署との手続きも終えた様で、今日の朝に門真警察署から電話があって、明日4時にご遺体の引き取りに行く事になった。その作業を決めている葬儀屋さんに連絡して、4時に来て貰うように約束した。

 初めての経験なので、相手も心配して、

 「お疲れ様です!承知いたしました!

教えていただきたいのとがあります!

故人の死亡日と氏名、住所、生年月日

届出人の氏名、住所、生年月日

です!!

どうぞ宜しくお願い申し上げます!!」

 そのときに佐藤さんに死亡届出人の欄に署名をいただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

 そうだ、以前、緊急で死後事務契約をしていた方が亡くなった。しかし、身寄り無しで死亡届を作成する親族などが居なくて、日曜日でもあり緊急で火葬する必要もあって、葬儀社からの依頼があって、行政書士として作成して市役所の窓口にて提出した。

 市役所内部で検討されて、仮に受理されて基本的な処理された。後日、正式書類を出すように指示されて集合住宅管理人が作成して、再提出された。その轍を今回もとるか、私が親族の情報を得て行政書士として書類作成するか、明日、親族と打ち合わせしなければならない。

 少しずつ、風邪からの体調は回復して来ていて、食事も少しずつ食べる気が起きて来た。朝は、おじやにした。昼は、袋のラーメンを作った。しかし、味が薄く感じて余り美味しくは感じなかった。夕食は、好きな鍋の素を入れた野菜中心の鍋を頂いた。今度は、濃い味に残念だった。

 午前中は、中途半端な時間を過ごした。確定申告を未だしていないのに、途中で手が進まない。受領していない報酬や家賃などが多々あって、その金額の確認をしたかったが、仕事の継続ややり遂げる意欲が失った様だ。

 明日は、午後から夜遅くまで時間を拘束されそうなので、早く寝ようと思う。