行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

60年振りに、瞼の母と再会演出したが

 訃報が続いた。一つは、スマホのニュースに飛び込んで来た、ブライダルファッションの先駆者桂由美さんの訃報だった。私が駆け抜けた人生で知った方がここのところ亡くなっている。スキージャンプの金メダリスト笠谷幸生さんも先日、亡くなった。

 歌手の佐川満男さん。相撲の曙関も逝った。よく本を購入して読み漁ったNHKアナウンサーだった鈴木健二さんも亡くなった。テレビドラマでよく見た俳優の寺田農さんの印象も強くある。落語家林家小染さんも高校時代にテレビでよく見ていた。歌手の中曽根美樹さんも亡くなった。そうして大女優の山本陽子さんも消えてしまった。

 指揮者小澤征爾さんも逝ってしまった。ファンの南沙織さんの旦那さんの篠山紀信さんも亡くなってしまった。

 今年だけで、これほど多くの印象に残っている方が亡くなってしまった。これが、同級生や知人などが次々と亡くなったら、次は自分だと思って暗くなってしまう。

 続いて、後見センターから訃報が届く。印象が強い方で、当初、私が医療機関からの依頼されて生活支援が求められて、入院した旦那さんが不在となった認知症初期症状の奥さんの生活維持に就いた。

 暫くして、旦那さんが亡くなった。相続手続きをサポートした。再婚同士だったので、亡くなった旦那さんの相続手続きを開始した。未だ、そに手続きの経験が無く顧問司法書士の全面的支援で処理した。しかし、相続人が相続放棄して相続人と血の繋がっていない奥さんに相続が集中する事になった。

 しかし、その手続き開始時点で、一人の相続人が相続放棄を翻して相続を受ける事を申し出て来た。顧問司法書士と協議してその対応する手段の策を練って実行する。各種死後手続きのうち、火葬納骨供養などの対応を求めて了解を得て業務の軽減がなった。

 この時の、顧問司法書士が発した相続人への各種文章などが、自分の経験財産となった。

 そうして、完全な認知症者となった奥さんに関わっている医療機関から、成年後見人就任の要請があって、協働して進める事となった。問題は、成年後見審判申立人である。本人が完全な認知症患者なので、市長申立か親族申立になるが、ご本人の言葉では生まれたばかりのお子さんを置いて駆け落ちしたとの事だった。

 成年後見審判申立を医療機関が進める事になって、取り寄せた戸籍謄本を見せて頂くと、お子さんは生存している様だった。ダメ元で、戸籍謄本にある娘さんの住所地に手紙を送った。

 大分経過してから、娘さんから返事が来た。電話でお話しして、ご自宅のある隣の県庁所在地で会う事になった。高速道路で2時間近く掛かって、ホテルロビーで面談した。

 どうやら、私の手紙を受け取って周辺の人に相談したら、怪しいので調べてから対応する様に言われて、市役所や地域包括支援センターに連絡して、私の素性や信用性を電話で問い合わせたようだ。

 信用できる様だ、と知って会う事にを決断したようだ。娘さんは、

 「自分が物心ついた時に、親族からお母さんは死んだと聞かされていた。」

 と言う。

 現状をお話しして、申立人となってもリスクが低い事を説明した。成年後見審判申立人になって頂いた。無事、後見審判が下りて私が当初は後見人として業務遂行に携わった。しかし、段々と体調を崩し在宅生活が厳しくなったので、医療機関から施設入所の検討を求められた。

 ご本人の意思を確認して、在宅生活の継続を後見人として決めた。しかし、徘徊が激しくその対応は昼夜を問わず頻繁の起こるようになって、私の対応が心身的にも物理的にも厳しくなった。担当者の変更を決めて、私の手は離れた。

 60年振りの親子対面を演出したけれど、それが私の中では、やった!と思ったがご本人の気持ちはどうだったのだろうか。

 会った時には、母親と一緒に住んで面倒を見たいと言っていたが、亡くなった事にを告げて死後事務手続きの相談をした後見センター職員に、予想外の返事があって、職員がショックだったようだ。

 さて、午前中はいつもの時間に出勤して、大阪府居住支援連携促進事業補助金申請書の作成を行って、最後のチームへの了解を貰うメールを作成して、12時に大阪府庁に申請書を送信した。

 午後から、銀行二箇所巡ってから東大阪市の相続相談者に、裁判所から求められた相続の株式所有証明書資料を届けた。

 戻りながら、大阪市の高齢者やその家族の介護・福祉・保健各種相談を受ける地域包括支援センターと連携する行政出先機関である総合相談窓口のブランチから、同居する兄弟が認知症である家庭への支援依頼があった。

 状況の説明があったが、再度、ご本人の意向確認して、求められれば訪問してメニューを示して、支援することを伝えた。

 東方の事は、行政関係機関から紹介されたとの事だった。良い




口コミは嬉しい事だ。営業や周知活動をしなくても、間断なく相談が広域から来るので信頼信用失わないように、自覚して対応したい。

自家製麻婆豆腐を創る

 いつものように出勤しても、中々、仕事に手が付かない。

 メールをチェックして、いつもは表題だけ見て削除したり開封しているが、今日は興味を持ったメールを少し多めに読み込んだりしてかなりの時間を過ごした。

 特に、このムラゴンの多くの人のブログをいつもより時間を掛けて読み込む。特に、初めての方のブログに興味が湧いて遡って読み込んだ。

 私の一つの趣味だが、名もなき方の人生の軌跡を知るのが大いに興味があって、ブログから目を離せなくなる。

 思い返せば、小学校の時から戦国武将の物語が好きで図書館に数多く出入りしていた。次の展開が待ち遠しい、あの頃の記憶が蘇る。著名人でも、誰もが知っている勝也された時期より幼少期や晩年時代の事を知りたくなっていた。

 目を止めた方の文章は。その記憶を蘇らせるブログだった。ただ、日頃の平坦な記録を残すブログでは無かった。表題に興味を惹きつけられて、最新のブログから遡って読み進めた。

 他者から見ると羨望の眼差しを送られる家庭環境と誰もが目指して教育に莫大な時間とお金を掛けて、掴みとった最難関の資格と勤務に就いたご子息と義理の娘さんとの羨ましい生活。

 しかし、表面では知ることの出来ない多くの課題が生じて、その対応にブロガーを日々悩ます。

 普段では知ることの出来ないハイクラスの家庭の悩みも、知れば、自分達とあまり差のない、年齢や他者との関わりに益々身近に感じてミステリーよりも、次の課題に興味が尽きない。

 世間の環境も、避ける術もなく逆に直接襲って来るコロナ禍は誰にでも平等で、ただ、有能な優秀な勝組が手にしたドクターと言う地位が、直接、矢面にたたざるを得なくて、その被害をモロに受ける。

 年齢も、誰にでも平等に襲って来る。老化は勿論、認知症などとの戦いも平等な確率で襲って来る。

 勿論、親族との関わりや知人友人、近隣との関係も避ける訳にいかない。世間体と言う言葉と関わりのない生き方は、上流社会で生きて行くには断つ事はそう簡単ではない。

 その日々の行方を忌憚のないブログに残していた。読み進め、ついには1時を経過するに及んで、目が疲れて思い切って離れた。

 そこから続けて、ほかの方のブログに目を通す。引き込まれる方の、今日はどうなったのか、と思いながら何人かのブログを読ませて頂いた。

 言葉を入れたいが、余計な言葉は不要な個人的に闘っているので、手を進めなかった。匿名でのブログなので、多くの方が真意を述べているので、その方達の性格や生き様を知って自分の生き方や考え方に生かしている。

 その様な時間を4時間くらい過ごした。後、2時間で昼を迎えるので慌てて、仕事に向かった。明日、締め切りの大阪府居住支援補助金申請の、最終確認と様式の点検をして明日の午後には申請する手筈を整えた。

 最後に、いつものYouTubeで音楽を聞いてマンションに戻った。午後から、外出したかったが、思いつくのは雨を凌げるアーケード日本一の3k天神橋筋商店街のそぞろ歩きかスーパー銭湯だったが、コロナ禍も気になって断念して横になっていた。

 夕方、食事の準備をした。朝は、食べる事の無かったカップ麺にネギをぶっ込んで、鴨ネギ蕎麦を頂いた。昨夕に残ったおはぎを持参して出勤したので、直ぐに少しずつ食べてしまった。

 昼は、そんな事で残り物を簡単に食べて済ませた。

 そうして、夕食である。豆腐が賞味期限今日までとネギが大量にあるので、麻婆豆腐を作る事にした。ネギの微塵切りをして、豆腐を出してフライパンに油を入れて、冷凍室から取り出して準備していた豚肉をフライパンに入れてニンニクを入れ炒めた。

 豆腐を入れて、麻婆豆腐の素を取り出そうとしたが、見当たらずに探すのを諦めた。自家製麻婆豆腐の素を作る事にした。中華味の素、砂糖、酒、味の素、味噌と醤油を投入して、微塵切りのネギを入れた。程よいところで、味を見た。

 中華味を少し入れ過ぎて、醤油を足した。なんと、麻婆豆腐の素と遜色の無い味に仕上がった。辛いのは苦手なので、ラー油は餃子の為に準備してあるが避けた。美味しく、ご飯茶碗一膳を頂いた。



思惑ハズレ

 午前中は、通常勤務した。

 この連休中は、どこへも予定がない。何も、老後の財産を維持しようと思っているわけではないので、美味しいものでも意識して食べで行こうと考えていた。GWの新聞の折込チラシを見ると、百貨店での物産展や和食料理店での美味しそうな海鮮料理などが目に付いた。

 この9連休の間に行くお店を2箇所決めた。今日の昼食は京阪百貨店の九州物産展にてイートインができる長崎県の「ちゃんぽん」に決めて、向かった。

 思ったより、お客さんは多くなくて少しの時間並んで、臨時に作られた席に着いた。「上ちゃんぽん」にした。税別で1500円だった。写真を見ると、具が海鮮がわかる程度の違いで、高級食材が載っている訳ではない。

 そんな風に思っていると、注文の品が運ばれて来た。スープを飲む。味が、自分が知っているコクがない様な感じがした。それが、グルメ番組でレポーターが壊れたスピーカーの様に何度も口にする「優しい味」と表現するのか。

 ほんのりと海鮮の味がして、薄い。具に手をつけ始めた。自分が好きな味は、安いちゃんぽんか、とも思った。端を進めるに従って、違うと思った。長崎県出身の菊ちゃんだったら、ハッキリと言うだろうと思いながら、期待外れの思いをしながら食べ終えた。

 この百貨店の物産展には、その物産展のたびに来て設置されるイートインで最上のものを注文して食べているが、この物産展に合わせた最上メニューの様にしっくり行かない味にいつもがっかりして、席を立つ。

 唯一の絶賛して、3000円以上の代金も高くないと思ったのは、東北物産展での秋田県比内鶏の親子丼だった。こんな美味しいものができるんだと。数年前の感激が今でも残っている。

 最初、食べる前に値段を見て親子丼に3000円以上も支払う決断に迷った。しかし、これだったら安い、と思った。

 そこから、予定通り霧島ツツジ🌺の鮮やかな京都の長岡京市に向かった。予定では1時間程度で着く予定だった。連休中であるし快晴に混雑を覚悟した。車の中でも暑いがクーラーを入れるほどではない。窓を開けながら走行した。事務所では、昨日から27度設定の冷房を入れている。

 駐車場がうまく見つからずに、霧島ツツジの会場である長岡京神社の敷地の周りを回って、やっと敷地内に駐車出来た。

 そこから、神社を参拝して池の外周を回った。以前、相当前に来た時には、余りの壮大さに驚いたが、今日は既に大半の花は枯れていて残念だった。僅かに陽当たりの悪い場所に咲いているのが残っているだけだった。

 敷地では、猿回しが来ていて観客が沢山取り巻いていた。美味しいものも見当たらずに、汗が吹き出すので早々と小一時間で退散した。駐車場は、最初の30分は無料で30分毎に300円だった。なので、300円で済んだ。

 戻りながら、途中、スーパーに寄ってアイスクリームを購入した食べた。

 戻って補数を見たら6000歩弱だった。できれば、連休中は毎日どこかに出かけて歩きたいと思っているが、明日からまた天気が悪くなりそうだ。

 私が東京で勤務していた時は、子供も小さくてGW中は、何処かに連れて行った。時に、社会の教科書に出てくる場所に連れて行く事が多かった。奈良県や京都に来た時には、新大阪駅に着いた時に大雨が降り始めて翌日の神戸、二日目の京都三日目の奈良とその雨は降り続く。最終日の奈良でも止まず、自転車で周遊する計画はオジャンだった。

 奈良から京都に向かって、下車した時に激しい雨は止んだ。そのまま、京都から東京に戻って来た。

 この時もGW中だった。長野県の妻籠宿から徒歩で街道を歩いた時もそうだった。

 しかし、その記憶が子供にあって、雨の思い出より日本の知らない土地に行った事や、東大寺や平安神宮、奈良の石舞台などの教科書に出てくる場所に行った事が学校で自慢だったようだ。

 全国に保養所があって安く宿泊出来た事が、気軽に出掛けられた。グループ会社に旅行会社もあって優遇されていた。

 午前中は、社員への4月分の給与明細を作成してメールで通知した。後は、メール受信したもので重要な内容の点検や読んで考えたり、何か新たな事業に繋がらないかアイデアを生み出す事に時間を使っていた。社会課題をビジネスで解決すると言う基本的考えに沿った考えを踏襲している。