行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

新たな顧問税理士確保に向けて

 朝、出勤する為にマンションの部屋を出て階下に降りていくと、出口の処に大型バイクが停まっていて、大きなエンジン音が流れている。バイク野郎だと思うが、結構年齢の行っているオッサンだ。私の出勤時間の半分はこのオッサンと会う。そのオッサンが立っている処は、自動販売機の空き缶などを捨てるゴミ箱を隠す位置なので、回り込んでいつもペットボトルを捨てる。

 そこから少し路地になっていて、歩いていくと車椅子に乗って足を使って前に移動する人が、近くのコンビニでパンやおにぎりを購入して戻って来るのに遭遇する。

 そうして、事務所のある建物の入り口の近辺に横付けされている軽トラックが停車している。事務所が入居しているマンションのゴミ収集する小屋に毎日住民が放り込む大量のゴミを、仕訳しに朝から来ている。

 このマンションに、当社は4つの事務所を構えている。私は、月1度程度のゴミを廃棄する程度だ。

 今日の業務は8時半までで、大阪府の居住支援補助金申請の添付資料を作成して3日目だ。途中で、それより急ぐ業務があって、あと出掛けるまで20分しかないが、自分が病で倒れて出来ていない2月及び3月の給与明細を作成して、正規職員に送った。約束の8時半に5分前だった。三輪さんからマンション横に着いたとのメールがあって慌てて降りて行った。

 直ぐに出て、駅前事務所に向かった。新たな顧問税理士候補者に会う為だ。現在の顧問税理士が体調不良で、体力を考えて業務の整理を始めると言うので、病気では受け入れざるを得なくて、先日の奈良県生駒市の税理士に続いて今日の日となった。

 年間駐車契約している,駅前の京阪百貨店駐車場に停車して、駅前ビルにある事務所に向かった。9時半に顧問税理士候補者が来るので、少し早く行って準備した。5分位前に来たのが紹介者の行政書士だった。紹介した責任で立ち会うと言う。その直後に顧問候補税理士が来た。

 直ぐに、現状やこれまでの経理処理や現在の顧問税理士との定型的な毎月の遣り取りを説明する。質問に答えて概ね基本的な私の思いを理解して貰った。私の唯一の願いは、私の時間を奪わないで欲しい、と言う事を何度か伝えて置いた。丁寧な税理士は毎月訪問や指導をする事で、会社に貢献する上に顧問料が安いと言う事がセールストークだ。

 私は、出来るだけ任せて決算手続きと申告迄して欲しいとの思いを伝えた。ただ、前回面談した税理士も良さそうな人で、悩みが生まれている。今日も、同業の先生の紹介で良さそうな方だった。

 経理業務の事をお話しし尽くして、一般的な顧問の士業のトラブルに着いてお話しした。特に私の会社の顧問弁護士、顧問税理士、顧問司法書士のトラブル事例を提供した。問題が無かったのが、顧問社会保険労務士だけだった。

 また、話の展開で行政書士としての困難事例や特殊対応のお話しをした。

 最後に、顧問税理士候補者が、言いたいが言えなかった事を口に出した。

 「現在の顧問料を聞いても宜しいでしょうか?」

 お話ししたくなかった。

 前もそうだが、一般的な料金より高いと言われている顧問料なので、この料金を取れると思って、その料金より低くは言わない。なので、聞かれた時に少し躊躇して、言いたくない理由を言った。その上で、お話しした。現在の顧問税理士の顧問料は、株式会社が毎月5万円と決算で20万円。特定非営利活動法人と一般社団法人が3万円と12万円である。

 それを言うと、直ぐに、

 「高いですね、高いです。」

 と言われた。

 暫く、お話ししてから意を決して、自分の顧問料を告げる。株式会社3万円の12万円。特定非営利活動法人が2万円の6万円。一般社団法人が月額が無くて、決算で12万円程度だと言う。安いに越したことはない。

 これを潮時に終わった。時計を見ると11時半を回っていた。戸締りをして、京阪百貨店の「大起水産」へ食事に行った。25日迄にコインランドリーにて洗濯処理したいものが沢山あるので、その処理をする事にした。

 マンションに戻って、3袋に大量に押し込んでコインランドリーに持って行った。1台しか空いていないので、そのしている機器に放り込んで、次のコインランドリーに持って行って放り込んで、一休みした。

 時間をみて、再度一巡りして回収して、戻って来た。余りの分量に、設定した時間では乾かずに僅かに不快な感触だった。再度乾燥機を回すのも面倒に感じて部屋に持って帰って、毛布などを拡げて乾燥を計った。

 結構早く乾いた。そんな時に、25日の出張で宿泊する熊本県水俣市の「湯の児 海と夕焼け」から電話があって、楽しみだったビュッフェが会席料理に変更させてくれと言ったので、レベルが上だからいいけどと思いながら返事を待った。

 当日の宿泊客が少ないので、との理由に当然納得した。準備して無駄になるより、その方gq良いと納得した。

 


何で意味の無い事をしなければならないんだ

 今日の朝の食事は、昨夜のビーフシチューの残りを温めて、オムライスに掛けて食べようと思った。実は、以前からの目覚める時間は超速い。今日は、時計を見ると午前3時過ぎだった。枕元に2台のスマートフォンが置いてある。一つは法人の連絡用でもう一台は個人専用である。

 その個人専用のスマートフォンで、色々と検索して眼にすることから始める。と、同時に朝食のメニューを検討する。体調を壊すまでは、具沢山の味噌汁一点だったので、具だけの悩みだった。それでも、殆ど決まっていて、豆腐、ネギかほうれん草、玉ねぎ、大根、油揚げ、きのこ類、ワカメ、魚、お肉、などからチョイスして作るだけなので簡単だった。

 それが、体調悪化して少し食欲が出て来ると体力回復を図るために米を食べる事に心掛けて2日に1回はご飯を食べた。そのおかずも、納豆や豆腐、簡単なものから段々と意欲食欲が湧いて来て、朝から手の込んだボリュームを求める気持ちが湧いて来た。

 なので、何を作るか悩みなのだ。食材は、大型冷蔵庫に満杯入っている。その上、自分の使用している二つの事務所の二つの冷蔵庫にも満杯に、通販で取り寄せた食材が入っている。

 悩んだ結果、昨夜のビーフシチューを温めて、オムライスに掛けて食べる事にした。5時過ぎに起き出して、早速、調理に取り掛かった。何も考えもなく、ピーマンと焼豚を微塵切りにした。それを炒めて、あっと思った。最初、卵焼きを作って炒めたライスに被せるつもりだったが、手順が変になってしまったので、卵2個研いでチャーハンの手順になってしまった。

 仕方がないので、チャーハンにビーフシチューを掛ける事にした。出来上がって、新聞を取って居間に戻って早速頂いた。美味しいけど、作り過ぎて残した。夕飯になるだろう。

 ちょっと肌寒い、雨模様の中を事務所に急いだ。日曜日だが、何の疑問も持たずに6時過ぎに出勤する。

 あんなに、中学時代からコーヒーを欠かさず飲んでいたのに、体調悪化してからは受け付けなくなった。60年間の好みが変わってしまって、何も飲まずに仕事に取り掛かった。

 最初の数時間は、大阪府の居住支援事業の補助金申請書作成を行った。かなりの時間を使ったが、項目の一つだけやっと作った。事業の具体的内容とその目的、効果、実施組織、実施スケジュール、予算などを事業項目に従って作成する。

 多くの資料を読みながら、空想的ではなく国の政策に沿って具体的な内容が求められる。少しだけしか進まない。

 もう一つ大事な業務をこなした。私が体調不良で出来なかった2月と3月の給与明細の作成とそれぞれの従業者への送信である。給与台帳と出勤簿を並べて、出勤日数や超過勤務時間、本給、超過勤務手当、処遇改善手当、給付金などと社会保険料や所得税、住民税を給与明細書へ転記する。

 急ぐ者に送信して今日は店仕舞いだ。少し時間を得て、YouTubeにて今日の歌を聞いた。今日は何故か、浅田美代子「赤い風船」あべ静江「コーヒショップ」AKB48「桜の花びらたち」を見て、行きがかりで「柏木由紀卒業コンサート」を見て、マンションに戻った。

 お昼ご飯は、大根おろしと残り物を温めて食べた。死後事務委任契約者が亡くなって、遠方の遺族が5年位前に鹿児島県出水市から大阪に来た時て亡くなった人の自宅を安否確認で訪れた時に、

 「自分に何かあった時に使うように言われて、キッチンの下の開戸を開けて手を突っ込んで札束を取り出して見せてくれた。多分、4,50万円はあったと思います。」

 と、言うので警察官が家探しした後に何度も探した。

 警察から受け取ったのは貴重品と1万5千円の現金だけだった。その後、三輪さんが入って居間から15万円が発見されたが、そんな事は無いと自分の遠い記憶で直ぐに否定した。

 5年も前の事が、親族の正しい事でその後変化があったかも知れないとは思うほどの柔軟さが無いのは仕方がないと思って自分の目で確かめて報告する事にした。

 雨の中を車で向かって、駐車場からは傘をさして徒歩だ。主の居ない住居に足を踏み入れて言われた場所をひざまづいて覗き込んだ。言われた様な隙間などなく、探す意味がない。念を入れて手を這わせたが、何も手に触れない。

 腹立たしくなった。先日は、同じキッチンの別の言い方で、そこを探して見当たらないと報告した。自分で探すように言葉を言い掛けたが棘が立つのでやめた。まるで、あるものが無いのは自分達が何かしたんだろうと言われた様な受け取りをした。

 25日に、ご遺骨と仏壇内のご位牌を届けるが、ご位牌を取りにもう一回入室するので最後に念には念を入れて見る。

 そのまま、以前よく行った京都府京田辺市にある、新鮮な食材が手に入るスーパーマーケットにショッピングに向かった。

 雨に降る暗い道を戻って来た。夕食は、安く買って来たアンコウの唐揚げを揚げた。残っていた牛蒡を笹掻きしてアンコウと混ぜて揚げた。食感が良く思いつきで行ったが成功の様だ。山芋も細く切って自家製の唐揚げ粉を作って揚げてみた。成功だった。



日曜日は内部ジム処理で

 朝刊で、戦争末期の体験手記を目にした訳でも無いだろうが、出勤して終盤に差し掛かってアイスブレイクする目的で、いつものようにYouTubeにお世話になったが、今日は「あの素晴らしい愛をもう一度」から始まって「戦争は知らない」と、フォークルセダーズの歌に続いて、「死んだ男の残したものは」「さとうきび畑」と、森山良子さんの反戦歌を聞いていた。

 この歌が流行った頃は、歌の意味も歌詞も良く考えずに聞いていただけだった。今、じっくりと聞いて争いの悲しさを思った。誰も、望まぬ戦いに、何も得られない。残るものは、これらの歌詞に表現されている要らぬものだ。

 最後に、声が好きな森山良子さんの歌声と思い出残した曲である「二つの手の思い出」を、しみじみと聞いて、片付けてマンションに戻った。

 朝出勤してから9時迄は、今年度の大阪府への居住支援事業の補助金申請書の最初の作業を行って。今回の連携法人は、これまでの2法人の継続事業とすることにした。事業は、これまでの様に8事業満載では多々時間を取れるので大幅に削って3事業とした。

 それに、如何に動きを少なくして効果を上げる様な国策に沿った事業にする積もりだ。省エネハイブリッド型の事業にする。学習と収益を得られる楽しい事業で、効果を得て収益に繋がる事業をまとめて行く。

 9時からは、数ヶ月溜まっている経理処理を行った。多くの領収書やレシートの処理を行って。一気にすると疲れるので、途中途中に山積みの書類の整理や探し物の時間を取った。

 その探し物だが、急ぎで必要な私が購入した家屋の鍵と私の行政書士の名刺を探した。あちこち、大量の書類やファイルをひっくり返したりして、見つからない。

 いよいよ、何の期待も持たずに書庫に手を出し始めた。そうして、遺言の公正証書が並んでいる処を一つ一つ調べた。その封筒の中に探している目的の封筒があった。購入時の契約書などが入っている封筒で、記憶通り鍵が3本あった。ホッとした。

 新たな物件に、多くの保管してある備品やファイルなどが各事務所に分散して置いてあるので、集約して購入物件に移設する事にした。貸し倉庫2つで保管している多くの帳票類も全部移設すると月額5万円が浮く。また、事務所も物置の様になっている部屋があって8万円の家賃が浮くので、効果が大きい。その倉庫にしようとしている物件は私の個人のものなので、家賃も安く会社に貸そうと思っている。

 再び、経費処理に向かう。今日は、3月分を処理した。私の立て替えてや特定非営利活動法人の経費を株式会社が立て替えているものなど費用振替に沢山あるが今日は一部だけ行った。携帯電話代や住民税などは株式会社で一括払いをしているので、付け替えが必要になる。

 また、事務委任契約を交わしている方の高額療養費の請求書も作成して、市役所に送付する準備した。成年被後見人の支払い請求書のチェックもして、準備した。

 25日に鹿児島県出水市に死後事務委任契約を交わしていた方が亡くなったので、そのご遺骨を持って親族のもとに届けるので出張するが、夕方4時頃に出水市にて待ち合わせしたので、当日帰阪は諦めて宿泊する事にした。

 出水市では宿の確保は厳しく、戻りながら水俣市で一泊する事にした。会員の旅行ポータルサイトで検索して「湯の児 海と夕焼け」に予約した。食事が美味しいとの評価を得ているのを知って期待大だ。

 お昼30分前に経費処理が終わった。