行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

思惑ハズレ

 午前中は、通常勤務した。

 この連休中は、どこへも予定がない。何も、老後の財産を維持しようと思っているわけではないので、美味しいものでも意識して食べで行こうと考えていた。GWの新聞の折込チラシを見ると、百貨店での物産展や和食料理店での美味しそうな海鮮料理などが目に付いた。

 この9連休の間に行くお店を2箇所決めた。今日の昼食は京阪百貨店の九州物産展にてイートインができる長崎県の「ちゃんぽん」に決めて、向かった。

 思ったより、お客さんは多くなくて少しの時間並んで、臨時に作られた席に着いた。「上ちゃんぽん」にした。税別で1500円だった。写真を見ると、具が海鮮がわかる程度の違いで、高級食材が載っている訳ではない。

 そんな風に思っていると、注文の品が運ばれて来た。スープを飲む。味が、自分が知っているコクがない様な感じがした。それが、グルメ番組でレポーターが壊れたスピーカーの様に何度も口にする「優しい味」と表現するのか。

 ほんのりと海鮮の味がして、薄い。具に手をつけ始めた。自分が好きな味は、安いちゃんぽんか、とも思った。端を進めるに従って、違うと思った。長崎県出身の菊ちゃんだったら、ハッキリと言うだろうと思いながら、期待外れの思いをしながら食べ終えた。

 この百貨店の物産展には、その物産展のたびに来て設置されるイートインで最上のものを注文して食べているが、この物産展に合わせた最上メニューの様にしっくり行かない味にいつもがっかりして、席を立つ。

 唯一の絶賛して、3000円以上の代金も高くないと思ったのは、東北物産展での秋田県比内鶏の親子丼だった。こんな美味しいものができるんだと。数年前の感激が今でも残っている。

 最初、食べる前に値段を見て親子丼に3000円以上も支払う決断に迷った。しかし、これだったら安い、と思った。

 そこから、予定通り霧島ツツジ🌺の鮮やかな京都の長岡京市に向かった。予定では1時間程度で着く予定だった。連休中であるし快晴に混雑を覚悟した。車の中でも暑いがクーラーを入れるほどではない。窓を開けながら走行した。事務所では、昨日から27度設定の冷房を入れている。

 駐車場がうまく見つからずに、霧島ツツジの会場である長岡京神社の敷地の周りを回って、やっと敷地内に駐車出来た。

 そこから、神社を参拝して池の外周を回った。以前、相当前に来た時には、余りの壮大さに驚いたが、今日は既に大半の花は枯れていて残念だった。僅かに陽当たりの悪い場所に咲いているのが残っているだけだった。

 敷地では、猿回しが来ていて観客が沢山取り巻いていた。美味しいものも見当たらずに、汗が吹き出すので早々と小一時間で退散した。駐車場は、最初の30分は無料で30分毎に300円だった。なので、300円で済んだ。

 戻りながら、途中、スーパーに寄ってアイスクリームを購入した食べた。

 戻って補数を見たら6000歩弱だった。できれば、連休中は毎日どこかに出かけて歩きたいと思っているが、明日からまた天気が悪くなりそうだ。

 私が東京で勤務していた時は、子供も小さくてGW中は、何処かに連れて行った。時に、社会の教科書に出てくる場所に連れて行く事が多かった。奈良県や京都に来た時には、新大阪駅に着いた時に大雨が降り始めて翌日の神戸、二日目の京都三日目の奈良とその雨は降り続く。最終日の奈良でも止まず、自転車で周遊する計画はオジャンだった。

 奈良から京都に向かって、下車した時に激しい雨は止んだ。そのまま、京都から東京に戻って来た。

 この時もGW中だった。長野県の妻籠宿から徒歩で街道を歩いた時もそうだった。

 しかし、その記憶が子供にあって、雨の思い出より日本の知らない土地に行った事や、東大寺や平安神宮、奈良の石舞台などの教科書に出てくる場所に行った事が学校で自慢だったようだ。

 全国に保養所があって安く宿泊出来た事が、気軽に出掛けられた。グループ会社に旅行会社もあって優遇されていた。

 午前中は、社員への4月分の給与明細を作成してメールで通知した。後は、メール受信したもので重要な内容の点検や読んで考えたり、何か新たな事業に繋がらないかアイデアを生み出す事に時間を使っていた。社会課題をビジネスで解決すると言う基本的考えに沿った考えを踏襲している。



GW初日から仕事三昧

 GW初日である。私には、ゴールデンでも何でもない平日である。ここ大阪に来てからずっと休んだ事もない。この長期な休日は、私にとっては、静かに考える仕事ができる機会だった。今年も変わらない。

 頭に中では、あれもこれもとやらなければならない仕事があって何から手をつけようと順番決めが悩みである。

 取り敢えず、昨日、事業所管理者からメールがあった、大阪府からの提出されていないとの連絡がなされているとの報告があった介護・福祉人材に対する処遇改善臨時支給補助金の申請書に取り掛かった。

 いや、もう出来ていて申請を行政オンラインにて行っていたと認識していたので、心外だった。それでも、提出しなければ補助金を得られないので、抑えて作成済みの申請書の提出手続きを取った。

 次は、遺言書の認証手続き支援である。数週間前に要請された戸籍謄本を委任状を得て取得して提供した。しかし、依頼された戸籍謄本だけでは不足だと思うが、家庭裁判所に指摘されたら追加でご依頼下さい、とメールで依頼者に伝えてあった。

 その具体的な指摘は、被遺言者の生まれてから死去までの原戸籍から始まる一連の戸籍謄本との連絡をしていた。

 依頼者が、保管してある遺言書とわたしが依頼されて取得した戸籍謄本を郵送して2週間程度で、内容的に不足があるか問い合わせをした、とその結果の連絡があった。

 私がお伝えした通りの指摘があった様だ。しかし、以前、他士業の方に取得して貰った原戸籍が手持ちであるとの事で、取り敢えず、戸籍謄本取得を依頼した分の請求をして欲しいとの事と、遺産相続手続きをお願いする事になるとの、メールが来た。

 それに対して、ご返事を差し上げた。

 昨日に帰阪したが、鹿児島県出水市のご遺族から遺産相続手続きを受任したので、持ち帰った必要書類を点検した。

 点検の流れで、ファイルのボリュームが何倍にも膨張している依頼者のファイルの整理をした。最初は、金銭管理及び事務委任契約者の多くの書類に目を通しながら、仕分けした。大きなA4の袋に5個に分けられた。この資料をもっと細かく仕分けする必要になる。

 同じ様に被後見人の仕分けを行った。3人目は、金銭管理を行っている方の資料を仕分けした。

 それぞれ、問題を抱えていて一つ一つ解決して行かなければならない。前進しないので、大変だった。そのファイルが18冊あって、今回2冊増える。全て、現在進行形だ。

 私は、手付金を受ける事はしていない。全て職務が終わって依頼者が納得されてから請求するので、収入が実現するには時間を要する。

 勿論、支払わないとか支払えない事態になる事もある。全て、勉強だと思っている。昨日帰宅した鹿児島県出水市への出張も、費用は自腹であるので、自由に立ち寄ったり宿泊したりしても誰からもクレームを受ける事もない。

 最後に、大阪府居住支援事業補助金申請書完成に向けて、共同事業者者からの資料を受け取ったので、内容をチェックした。

 最後の30分は、いつものようにYouTubeで懐かしい曲を聞いた。中島みゆきさんの「ヘッドライトテールライト」「ファイト」から始まって、柏原芳恵さんの「春なのに」「ハローグッドバイ」中村雅俊さん「俺たちの旅」「ただお前がいい」」「いつか街で会ったなら」吉田拓郎&かまやつひろしの「シンシア」などを聞いて店仕舞いする。

 そういえば、4月から正規及び非正規の報酬改定したが、正規は最高月額10万円から1万円の昇給をした。私の株式会社からの給与を10万円下げる計算をしたが、役員報酬は決算後3ヶ月以内での変更が認められるので、決算が6月なので修正して元に戻した。

 午後から、霧島ツツジが有名な京都の天満宮に行こうとしたが雨模様で断念して寝ていた。



老人の失敗続き

 余りにも、年齢が引き起こした私的などうしようもない事件を思い出し、冷や汗が出てしまう。

 新水俣駅から4時間後新大阪駅に着いて、トイレに寄った後の満席の待合室にて、奇跡的に座れた。三輪さんが迎えに来るのを待っていて、視界に三輪さんが現れたのでサッと立って一緒にエキナカに向かって喫茶した。

 一息ついて、駐車場に向かう途中でたこ焼き屋に寄って二人前を購入して駐車場で食べた。そうして、いつも車に乗る時に常に背負っているバックパック置く位置に何の気無しに手を伸ばすとあたらない。

 エッと思って、可笑しいと探しても見当たらない。その時には、大事な全財産とマイナンバーカードが入っている、大きめの財布はスーツのポケットに入れいたので、少しは冷静だった。

 それにしても、計測して5Kg前後のバックパックを背負っていなかったら気付きそうなのだが、長時間新大阪駅の相当な距離を歩いたのに気付かなかった。

 どこで置いたまま忘れてしまったのか記憶がない。そのない記憶をまさぐって、多分、喫茶したエキナカの席に置いて来たのだろうと結論付けて汗かきかき慌てて向かった。その時点では、きっとあると確信していた。

 もし無かったら、手続きをしないと行けない。大事なものは、社員証や士業の証明書などと実印に近い印鑑、士業の職印などの重要なものが頭に浮かぶ。名刺や多くの資料など。スケジュール表や電話や面談の記録が書いてある大判のノート。

 幾つかの鍵類も入っている、と思いながら目的のエキナカ喫茶室に到着して、座っていた席を遠目に見れる位置に着いた。もし、私の大きなバックパックが置いてあれば、その席は空いている筈なのだが、お客様は座っていた。

 席の向かいの、お店の方に聞いたがJRに聞く様に言われた。外に出ると、三輪さんからメールが来た。車の中でのどこかにあったかな、と期待を持って読んだが、内容は私を迎えに行った待合室から喫茶室、たこ焼き屋、駐車場迄のバックパックの記憶だった。

 その最初の待合室の事を思い出して、あの時に席が空いていて座った時にバックパックを下ろして、リクライニングの様に背中を倒した。そうして、三輪さんが迎えに来た時にスクっと立ってそのまま立ち去った。

 つまり、バックパックを背負っていない。入場券を購入して、改札口を抜けて待合室に向かった。入り口近くに座ったので、入り口を入る前に座った席が見えた。

 満席なのに、空いている。ホッとした。中に入ると、置いてあった、確かに私のバックパックだった。

 チカラが抜けた。すぐに手に取って、背負う感触が心地良い。改札を出て、三輪さんにメールして報告しホッとした返事に足取りが軽くなり早くなった。

 一大事に至らずに。いつもの事ながら三輪さんのアドバイスに、何度もお礼を口にした。

 昨日、ご遺骨を届けた時から私の失敗が記憶されていた。迎えに来たご遺族の車のナンバーを見た時に、何故か熊本県なのに鹿児島ナンバーなのだ、と思った。

 それまでは、鹿児島県出水市と何度も書いて居ながら、出水市は熊本県だと言う認識になってしまって、

 「ここは、熊本県なのに車のナンバーは鹿児島なのですね。」

 と、間違った事を言ってしまった。

 当然の事ながら、ここは鹿児島県ですと訂正された。

 そうして、恥の上塗りで、出水市は鶴の飛来地として有名なのは知っているのに、車の中でご遺族に話しの糸口として、

 「出水市は、白鳥の飛来地として有名だからですからね。」

 と言うと、すかさず、「鶴」だと修正された。そうして、鶴の丹頂鶴やなべ鶴などの種類と特徴も教えてくれた。自分の知識の浅さを悟られてしまった。その事が、滞在中心を占めていた。

 そうして、ホテルで朝を迎えた翌日にそれらを打ち消す笑い話が生じた。

 10時チエックアウトする時に、新幹線の駅までタクシーをフロントに準備を依頼した。その時のエピソードだった。内線で、

 「タクシーの予約をしたいのですが。」

 「ハクスウの追加ですね。」

 「ハクスウって何ですか。タクシーの予約ですが。」

 「あっ、タクシーですね。」

 訳のわからん奴だ。

 若い、ボソボソと言う新人の様だった。受話器を置いて何でハクスウなんて言うのか考えて見た。

 「ハクスウ」って「宿泊数」の事だと直ぐに気付いた。しかし、「タクシー」が「ハクスウ」と聞こえた理由が、と考えてはたと気付いた。私は東北宮城県仙台市の生まれ育ちで、俗に東北弁で訛りがあって、聞く方は九州は熊本県人なので、タクシーがハクスウに繋がった。自分でも苦笑した。

 そんな色々あった出張は、終わって明日からのGWでも、多くの仕事は待っている。

 最後の付け足しは、新幹線の中で昼食をする積りで乗車する前におにぎりとおかずを購入して乗り込んだ。広島駅を通過した頃に手を付けた。おにぎりにしたのは、手違いで散らかす事がないからだ。無事、トラブルもなくおにぎりを食べておかずのひじきの煮物を半分食べて袋にしまった。

 その袋に飲み物の残りをしまおうと思って、袋の扱いに失敗して中にあったおかずのヒジキの煮物が入っているパックが飛び出して床に転がった。中身のヒジキや大豆、硬い豆腐などが床に散らかった。やっぱりやったか、と思って散らかったものを足で纏めた。

 本当に情けない姿を曝け出す人間になったものだ。