行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

鎮痛を覚える言葉と嬉しい御礼

 気持ちが、こんなに沈んだのはここ最近記憶に無い。精神的に病を得ている方とは言え、余りにも酷すぎる。本当に立ち直れないとは、こんな日のことだろう。本当にショックだ。

 医科大付属病院から、支援して欲しいと依頼があって病院内面談室でお会いしたのは、支援対象者の娘さんだった。お会いするなり、自分の幼少期から父親、その後妻の連れ子からどれほど酷い仕打ちを受けて、成人に達しても目に見える傷害を受けて、リストカットする迄に追い込まれて、精神にも障害を受けた。と滔々と話を一方的に訴えた。

 父親に支援をするのに、親族の立場としての対応が必要で、病院側もそれが最低限必要なので、探し出した親族として娘さんに来て貰ったのだ。盛んに、関わりたく無い、と言い嘔吐したいほど精神が不安定になると、再三訴えていた。

 それでも、お願いしますと言って、依頼されたので父親と面談して人物なりを把握した。この父親の状態では、正常な依頼を受ける事は出来ない。やはり、娘さんの依頼で行動開始と言う事実が無ければ勝手に事実を積み重ねる訳にいかない。


 父親に面談した直後、娘さんに付き添われて救急病院の医科大付属病院から、一般の病院へ転院して行った。その転院先に着いてから、娘さんから電話があった。これ以後、関わりたく無いので、協力は出来ないと言う。これ以後、連絡はしないで欲しい、と言う。何を言っても、これ以上連絡しないでくれ、と言って私の言葉を遮って、自分の精神的な病を訴えて、何で私を苦しめるのだ、一方的に声高に叫ぶ。

 

 異常な風景から始まった。支援の必要な父親に面会する機会を作らない様に配慮しながら、私どもだけが面会する。父親は完全に自分の意識を失って、暴言や暴力を振るう一端が見えた。会話が成り立たない。無駄な時間だったかも知れない。


 そんな、記憶が消えない印象が残っている今日の午後、私への電話ではなく、名刺をみて後見センターへ電話をして来て、出た職員に精神状態が父親のDVによって異常になったと訴えて、父親の支援など関わりを持つ事はできない、これ以上自分に連絡をしないで欲しいと言って、転院した病院のSWと対応して欲しい、と伝言した。

 以前に私と携帯電話で話しをしていたので、電話を入れた。録音するとの音声が流れて、本人が出た。何で電話をして来た、となじられた。先日聞いた父親や連れ子などに受けた仕打ちを言い続けて、自分は被害者なのに何故被害うぃ受けた者が加害者の為に動かないと行けないのか、自分はPTSDだと訴える。

 私が、娘さんの依頼で会って対応する事になった経緯を訴えた。その依頼者の協力無くして何もできないし、勝手に出来ない。と訴える。訴えれば訴えるほど声が高くなって絶叫調になっていた。意識して、言い合いの様な形にならない様に気遣って冷静に話しをしようとしていた。

 遠方迄行って、話しを聞いて支援する事になったのに、後は関わりたく無いと言われても梯子を外されたら何も出来なくなる、と言った途端「梯子を外す」と言う言葉に反応して、父親に梯子を外されたのは、自分だとどれだけの事をされたのか、と父親に受けた被害を言い出した。

 そうして、梯子を外したとは失礼じゃ無いか、と暫く興奮して一方的に攻撃をされた。言い返す事は、相手の症状から得策では無いので黙って治るのを待った。政治家を知っているとか優秀な弁護士を知っているとか言って、私の能力の低さをなじっていた。

 もうここまでと思った。この様な状態では、まともな支援は難しいと、依頼された父親の支援を白紙にしましょうか、と問う。暫く、沈黙していた。何度か、返事を促す様にキャンセルしますか、と言い換えて返事を待つ。トーンが低くなって、ハイと返事があった。念押しして、返事を貰ってやっと解放された。終わった。

 これまで、障害の得ている方には、仕事として20年以上と言う長い経験があった。特に精神障害者への支援には、変に自信があったのだが、今日は完全にお手上げだった。自信は無くすし、口を究めて人格を傷つける様な言葉を受けるしで、黙って耐える事は精神的なダメージを受ける。

 明日、依頼して来た医科大付属病院のMSWへ報告してこの業務からは外れるだろうが、信頼の大きさが相当削られるだろう。限界の範囲が低くなってしまうだろう。悔しい思いが気持ちの中に充満していた。これこそ、PTSDに襲われることになった。

 さて、先日、亡くなった成年被後見人の弟さんから、お礼したいので時間をとって欲しい、と何度も言われて今日の午後2時に大阪市内の駅でお会いする事になった。神戸在住の方で、亡くなった成年被後見人はお兄さんで、80代も半ばで不治の病で逝った。家貧しく、中学へも行けず乾物屋さんへ丁稚奉公をして弟や妹の学校へ行けるように給金を送り続けた。

 暫くして、独立して多くの財産を築いた。長く商売をして、老後を悠々自適に過ごして趣味の全国の商店街散歩をして終えたかったとの夢半ばにして病に倒れた。

 あれから半年経過して、突然の電話だった。弟さんも80代半ばだったが、成年後見審判申立書を作り上げた時に成年後見人候補者の依頼に訪れた。それからの関係だった。

 多額の遺産分割などの作業は未だ半ばだと言っていた。駅で待ち合わせて、近くの喫茶店に入った。暫く、ご挨拶の代わりに現状を伺い、成年後見人時代の御礼の言葉を頂き、感謝の表現としてお札を包んだものを差し出した。当然、固辞して戻す。

 兄の遺志だと言われて、以前にもその様な事があって、後見センターはNPO法人なので寄付として受け取る提案をして同意を得た。寄付金の領収書を発送する事にした。ありがたい事だ。

 その前後に、銀行へ立ち寄って、成年被後見人の未済請求書の決済手続きを取った。また、未済費用の処理の為に、引き出しの上、🏦とコンビニにて納付した。

 その後、イオンに行って不足の品を購入して戻った。