行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

思うは、母親への後悔

 ここの処、週に2回は、スーパー銭湯に行っている。外湯の樽風呂に入って上向きに寝ながら空を見つめて仙台で過ごした時期を中心に色々な事を思う。特に、3年前に亡くなった母親の事を思い出して懺悔の時を過ごしている。


 父親の働かず深酒での家貧しくて、私の厳しい初期の人生でも母親のお陰でコースを外れず、思い出も沢山抱えて仙台を後にした。

 長男が私より2年前に家を出て東京に向かった。仙台駅に見送りに行った母親が帰って来たその顔は涙に濡れていた。真っ赤に泣き腫らしたその顔を忘れずに瞼の奥に張り付いている。

 その顔が脳裏に残っていたので、私は母親の辛い顔を見るのが怖くて、上京するのは決まっていたがいつかという事は告げていなかった。仙台に残る考えもあったが、酒浸りの父親の犠牲になる決心はつかなかった。その裏返しが、母親の厳しい人生が続く事だった。

 男5人兄弟の長男、次男の後の数年後三男が出ていく。四男は地元に残って、最後の五男は母親と二人で苦楽を共にして頑張っていた。優秀な五男の人生の戦わずしてマイナスの点を何とか取り除いて、思いっきり能力を発揮して欲しかった。

 就職の時期になって、母親を通じて希望の職種や企業を聞いた。最初は、電通と聞いていた。電通といえば国際的な広告会社のイメージだった。私の使える人脈を駆使して動き出した頃に再度確認する。

 私のその頃の時代は、NTTは日本電信電話公社であった。そうして、各地方の中心地に局を設けていた。仙台には、仙台電信電話通信局があって、地元では通称「電通」呼んでいた。五男はその仙台電信電話公社に入社したかったのだ。処が、余りにも強力な支援をしたために東京本社にて採用になってしまった。

 大人しくで内気な五男が東京本社で苦しむだろうと、自分の行為を後悔していた。私は入社式に合わせて東京から仙台に戻って、五男を迎えに実家に戻った。また、母親の悲しい顔を見る事になった。遂に、母親は沢山の子供を女で一つで育てて、誰一人も残らず全て去って母親の孤独な生活が始まった。

 母親を喜ばせようと一生懸命勉強して、運動に活躍していたが、意味にない事だった。その母親を新興宗教に追いやる環境を作ってしまった。その事を知ってから、私は母親と暫くは気持ちも実家に帰る時期も離れることとなった。

 大阪に来てから順調な事業運営がなされる様になって、やはり、仙台での母親から受けた恩愛を思い出すと自分の非情な思いを諌めて老後を何事も心配なく過ごして貰おうと、十二分な支援を開始して、亡くなるまで続けた。

 それでも樽風呂で横になって青空の彼方に母親との思い出が次々と浮かんで来る。その中で、いつも後悔に苛まれる自分の行動と決心した事が、申し訳ないと何度も謝罪の意識に胸が締め付けられた。

 それは五男が、自分の能力が発揮できると決めたデジタル系の高校に入学した事を母親から聞いた。授業料の負担がが母親を追い詰めて居るだろうと、入学式前に手にした前年末の賞与を差し出して年間の授業料に充てて貰おうと思った。

 と、同時に友人からスキーと関西への旅行に誘われた。悩みに悩んで、後者を選択してしまった。友人の車で移動するので、それに見合う負担を私がする事で宿泊などの予算がかなりの額になった。残額は微々たるもので差し出しても意味がない額だったので、何も渡せなかった。

 五男は、自分の授業料など負担する為に3年間新聞配達をして家計を支えた。そんな事を聞いて、涙を流しながら後悔した。

 それが、私の心の傷として今でも悪い事をしたと残って居る。

 もう、母親は亡くなって居るので償いも出来ない。五男は昨年定年を迎えて、サラリーマン時代に購入した東京の多摩地域のマンションで子供と老後の生活を送って居る。

 さて、今日は期限を切らして居るテーマがあるので気を入れて事務所に向かった。ルーティンワークの後、早速、昨日終えられなかった大阪府への補助金申請に基づく実績報告書の最終局面に向けた事務処理を始めた。

 大きな額の資料は揃えたが、申請額に達しない額だったので、細かい額の経費の積み上げを行って、その裏付けになる資料を探し出してPDFに転換して提出する準備をした。

 200万円にするのに、執行率が95%からが大変だった。大きな金額の実績はあるのだが、不採用だったら大変なので決裁貰える経費の積み上げを行った。

 目的へ向けて予算を頂いたのだが、岩盤だった目的目標へのバリアが、色々と活動して急に決まってしまった。昨年6月からの活動費だったのに、6月に目的が達成されてしまって予算の向かう目的を失ってしまった。

 目的を失ったプランを実行するには、大きな費用は人件費なので、予算を大きくオーバーして計上した。何しろ、認可された事業だけで勝手に変える訳にいかない。

 大きく逸脱出来ない縛りに中で、残った事業で最初に認可頂いた事業に予算を投入する事になる。認可受けた7事業が、事業開始に既に達成してしまった4事業を除いて3事業で予算の消化が必要となる。

 数字の動かしは、50年以上実績があるので苦労はないが事業を限定された中で苦労して消化する経費を掘り起こして何度も金額を入れて積算して行った。

 達成したのが、午後1時だった。その後、府庁担当者宛3回に分けて、データを送って終えた。

 その資料を作成していた間に、他の業務を少しずつ挟んだ。一つは、借地権付き住宅を遺言執行人から購入するので、売買契約書作成と登記の準備に私の住民票を認められていたので、コンビニから取得して司法書士にPDFで送った。合わせて、仲介不動産屋への情報を記して様式をFAXした。

 その情報に保証人を書く欄があった。それを見た時に、一瞬戸惑った。日頃仕事として保証人対応などやって居るのに、浮かぶのは妻と子供だ。長男にメールした。電話が掛かってきた。説明して、関係する資料を送って了解して貰った。

 その他、いくつか仕事をしてマンションに戻った。昼食は昨日の残った恵方巻きを1本頂いた。

 テレビで、好きなマラソンを見ながら眠ってしまった。

 明日からは、同じ補助金で国土交通省の申請して決裁を頂いた、今日終わった補助金の数倍の補助金受領に向けた実績報告書のまとめを、7日提出する迄行う日々を過ごす。

 来年度は、厚生労働省にも補助金申請が出来そうで、このままの状態だったら締めがダメになるので、対策を考えて居る。