行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

恵方巻きと大阪人

私が西暦2000年1月に大阪に来て、今年で満23年になる。既に24年目になった。この大阪に来た直後から異様な思いを抱いた事が二つある。

 その一つは、大阪人の阪神タイガースに対する想いや言動である。朝の大事な早朝からの情報番組に、阪神タイガースの話題満載である。加えて、ゲストコメンテーターが阪神タイガースOBである。ウンザリして、チャンネルを変える。

 私が、親族に請われて大阪に来て、介護事業を担うこととなった。発足して順調に活動開始した当時の若い中心社員が、驚いた出立ちで私の前に現れた。そうして一言、

 「これから、甲子園球場に阪神タイガース応援に行って来ますので、早退させて下さい。」

 唖然として、頷く他なかった。

 お決まりの、阪神タイガース応援法被を着て、阪神タイガース野球帽を被って、メガホンを持っていた。

 悪びれた様子もなく、当然に要求の様に、堂々としていた。

 そうしてもう一つは、今日の節分の行事である恵方巻きイベントだった。見たことも聞いたこともない、異様な様相で家族が一定方向を見ながら黙って太巻きを口に入れる光景を想像して、寒々とした記憶が思い出される。

 そうして23年後には、自分もマンションにて太巻きを口にする程になった。今や、全国区の行事と化した。大阪人にとっては鼻高々だろう。

 しかし、全国区になったのはフード関係の業界が売り上げを伸ばす為に、こぞって全国区へ波及させた結果だろう。

 その恵方巻きの準備に、大阪では最上級のネーム「阪急」名を冠する「阪急oasis」に行った。恵方巻き売り場は、特設されていて引も切らずお客様がその場に集まっていた。面白かったのは、日頃は最小限の動きで精一杯の様なおばあちゃんが、大勢のお客様に混じって負けない動きで、沢山の種類を手に取って吟味していた。その姿は、おばあちゃんではなく大阪マダムだった。

 それ程に大阪では、切実な重要性に高いイベントなのだ。大阪人にとっては、全国に拡大させた大阪発祥のイベントだという自慢だろう。しかし、大阪人がよく口にする「東京には負けへん」と同じ様に、自分が見えない。東京は大阪が相手できるレベルではないのだが、自分を見れない。

 恵方巻きが全国区になったのは、小売業界の営業スタイルによって広げただけで大阪人によれたものではない。その戦略を練って拡大策を推進したのは、多分、東京本社だろうが。

 自作の恵方巻きを作る為に、少しずつ材料を集めていた。今日の午前中に最終材料が宮城県塩竈市から、各種海鮮が届いた。きゅうりとかを🥒購入して来て、揃えて作り始めた。

 5本の太巻きが完成して、8時頃から食しながら今年の無病息災を願った。

 考えてみれば、既に1月が終わって、カレンダーを1枚引ききった。意欲は向上して、スタートは良い状態だ。

 午前中には、昨日からの大阪府補助金実績報告書作成の続きを頑張って集中する。5時間程度それ一本で頑張った。しかし、結果的に不完全な状態で、時間オーバーになったので明日に持ち越した。

 私の時間が取れないので、長男に、非常勤職員の支払い調書作成を依頼した。問題は、そのデータを送ったり内容を説明する時間が確保出来ない事だ。

 少し時間を取って、作成する為のデータを送って簡単に説明した。電話を切って少しの時間をおいたところで、長男から出来たとの連絡と、完成した支払い調書メールで送られて来た。

 仕事が早い。やはり、ITスキルが高いと間違いはないし生産性が高度だ。これから、少しずつ時間の掛かる面倒な仕事も任せる事が出来そうだ。