行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

さようなら2023年卯年

大晦日,12月31日である。これまで、大阪に来てから毎年大阪府外で年末年始を過ごしていた。最初の年は京都下鴨神社に仕事を終えてから、深夜に駅に集合して京都に向かった。下鴨神社は、境内が広大で真っ暗だった。

 その後、終夜営業している電車で大阪に戻って大阪天神へ初詣に行った。

 それが、大阪での年末年始の過ごし方だった。以来、京都、和歌山、三重、伊豆、千葉、茨城、静岡、高知、愛媛、香川、岡山、福岡、熊本、長崎、鹿児島など、毎年秋頃に計画を立ててホテルを予約してその日を迎える。

 それが、あのコロナ禍真っ盛りの自粛生活期間以来、動かずこの大阪にて新年を迎える羽目になった。それもまた良し。

 そうして大晦日を迎えた。今日は、出勤しても何もせずに物思いに耽って過ごそうと思った。朝一番にいつもの通りメールの受信を開封する。昨夜遅く発信メールで、見覚えのないアルファベット3文字の発信メールがあった。迷惑メールかイタズラメールだとは思ったが、2通あってうち1通は、返信メールだった。

 思い切って開封した。短い文面だったが、名前がない。しかし、文面から何と次男だった。嬉しかった。長男と違って、次男は親の私に遠慮がちに接して過ごしていた。

 その次男は優しく、私への表現が一生懸命だった。今年は、私が珈琲が好きなので高級な世界各地のドリップ用の珈琲セットを送って来た。

 年末年始にも電話をくれたりメールをくれたり。そんな中、精一杯の表現で病気になって療養期間の生活費の支援を言ってきた。親として嬉しかった。

 次男は事の他優秀で、学力ではさいたま市で一番のマンモス校だった中学校に入学して最初の試験の順位が1位だった。600人を超す生徒中の1番だった。塾に行く訳でもなく成績表を何度も見たのを覚えている。

 優秀な生徒には教育費が掛からない。長男も有能で学年でも5本の指に入っていた。二人とも塾に行った事がない。私に言われて、自分のレベルを知るために模擬試験は受けさせた。

 高校にも特待生で試験は形だけで1教科、そのまま大学まで行った。次男は、大学を卒業してからIT企業へプログラマーとして勤務して、25歳で結婚してすぐに、日本で一番住みやすい市に何度も選ばれた茨城県守谷市に戸建ての家をオーダーメイドで建てた。

 そんな人生順風満帆の次男が、今年病を得た。その事実を訴えて来て入院が3ヶ月程度で、生活を含めた準備金として一時金銭を用立てて欲しい、とへりくだって言って来た。

 次男とは、何年どころか10年以上会っていない。この会わない期間が親子の情を無味乾燥な関係に変えてしまうにだろうか、と反省する。何も遠慮なく言って欲しいとメールして、100万円程振り込んだ。

 その事について、返済したいとのメールだった。親が子の為に困ったら支援するのは当然で、親子の間には貸借は存在しない、気にせずに何か俺にできる事があったら遠慮なく言って来るように、と返信した。

 もう少し、長男のように親を頼りにして欲しい。そう思う。次男にそのように遠慮させるのは、私の接し方が悪かったと反省している。