行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

不思議な体験

 人生、如何になるか誰にも分からない。如何になった時に、如何に生きるかは、自分が決める。決めた人生の結果は、自分が受け入れることになる。

 私の尊敬してやまない、故郷仙台の街を作って400年余り絶えることのない人々の尊崇の念を集めて来た伊達政宗公の辞世の句が、


「曇りなき 心の月を さきたてて 浮世の闇を 照らしてぞ行く」


 その解釈の意が、検索すると下記のようになっている。

【先行きを見通せない暗闇の中、月の光を頼りに進むように

 私の人生も自分が信じた道を頼りにただひたすら歩いてきた】

 

 私の今が、その様に思う。そうして、今日のこの寒風吹き荒む、ビル街の一角の部屋に呼ばれて、お願いされた契約を交わした時に思い浮かんだ、政宗公の辞世の句を、改めて眠る前に思い出した。

 人生とは、自分では如何ともし難い、巨大なものだった、と。

 数日前にメールで、転居したいので不動産仲介業者から求められた緊急連絡先をお願いされた。了解です、とメールすると条件を聞いて来たので、返事する。

 電話が来た。手続きをお願いします、と。外出中だったので、手続きの書類を送る事になった。年末なので、来年でいいと言うので、気が楽になった。

 しかし、何が気が変わったのか今年中に契約書を交わして料金を支払いたいと言うので、直ぐに郵送すると返事した。さもなくば、取りに来たいと言う。事務所に来られたら、長時間対応する時間を費やしないと行けないので、回避したい。

 それが、外出先でのやり取りで翌日から3日間、忘れてしまった。電話があった時には、明日は着くかなどと急いでいたのに、気付くのが自室マンションに戻って来て、寝床に入った時なのだ。

 翌日、会社にいる時にはすっかり忘れていて、スケジュール表の上に貼ってあるメモに目もくれず、意識する機会も見事に失っていた。いよいよ、自責の念醒めやらず今日は届けようと決めていた。

 移動する業務の合間に、大阪市内のビジネス街に向かった。やっとの思いで探し出したビルは、自宅がある様な場所ではなく事務所が入っているビルが立ち並んでいる一角だった。

 入り口は、事務所の部屋番号を押して呼び出し、開けてもらうオートロック式だった。ビル内に入って、案内板を見るとやはり会社名や税理士や司法書士などの事務所が並ぶ13階建ての、1フロア10室程度の雑居ビルだった。

 電話を入れて誘導されて6階の部屋をノックした。施錠を外してドアを開けて、招き入れられた。

 不思議な空間だった。事務所だが、居住として使用している様だ。ワンフロアで、フラットな床に布団がひいてあり、二つに無造作に畳んであった。

 入って直ぐに、事務所のテーブルが置いてあって、以前の事務所らしさの残渣が見られた。入って直ぐの横に、シンクがあってゴキブリが蠢いていた。

 特に小さな若いゴキブリが沢山居るのに、驚く。身なりはきっちっとしていて、ビジネスマンか士業の先生の様な風体だった。

 言葉遣いや物腰は柔らかで、印象が良く不思議な感じがした。事務机から印鑑と朱肉を取り出して、指示された位置に押印した。

 どの様な人生を歩んだのか、気なったが多くの時間を過ごしてはダメな空間だと察知して、要件が済み次第、丁寧に挨拶して部屋を出た。エレベーターが来るのが遅い、と思わせる程早くビルを逃げ出したかった。

 こんな大阪市でも一等地のビジネス街の一角に、布団を敷いて生活している人に驚く時間を使った日だった。

 今日は眠ってしまって、疲れた日だった。