行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

遺言執行人、死後事務受任者として

今日は本当に辛かった。風邪の症状が最悪に達した。午前中に、大阪市のNPO法人事務所の転居に伴う備品の移動に立ち会った。行政書士事務所と隣のマンションの居住支援法人事務所に、テーブルや椅子、サイドテーブルなど大きな備品を運んで貰った。それに付き合って、部屋の鍵を開けたり設置場所を指示したり。2階だから上下しても、それ程負担がある訳でも無いが、何しろ風邪の症状が最悪で息苦しい。

 やっとの思いでマンションに戻った。昼食を食べる間もなく、大阪市内の相談者のもとに向かった。2時の約束だったが駐車場がみんな満杯で探しながら段々と遠くなった。駐車場に着いた時に約束の2時になった。

 電話をして、遅れる事を伝えた。何と、1時だったか3時だったか忘れていたのだが、真ん中の2時だったか、という訳である。駐車場から歩いて10分くらい。重い荷物をバックパックに入れて歩くのは辛い。重量は先日測ったら5キロ以上だった。風邪で体力が低下している。

 やっとの思いで、相談者が入居しているマンションに到着した。何と上を出て、敷き詰め迄迎えに来てくれていた。何年振りかで訪問した。声は聞き覚えのある、富山弁で癌に罹患してステージ4で、後がない状態で治療を受ける為に医療センター近くに居を構えて移住して来たとは思えない元気で、

 「佐藤さんより私の方が元気じゃないですか。会社に社員が何人いるか分かりませんが、社員全員が束になっても敵わないくらい一手に背負っているんですから、頑張って下さい。」

 と、いつもの直言していた。

 「後継者はいるんですか。」

 同席していた三輪さんを指して、

 「三輪です。」

 と、伝えた。

 それにしても、先週、速達ハガキで急変を伝えて来て、遺言執行人で任意後見人受任者で、死後事務執行人の私に会いたいので連絡下さい、とあった。

 危急存亡の思いを感じて、これから向かうつもりで電話した。そうすると、文面の危機とは全く異なって、開口一番、

 「元気ですから。心配しないで下さい。」

 と、言われて落ち着いた。

 そうして、私へ全ての委任をした理由が解消出来そうなので、公正証書の内容を見直したいとの希望だった。

 6年前に、地元大学病院でステージ4の診断を受けて、これ以上の治療はここでは無理、大阪にて治療を受ける様にと指示を受けて大阪に来た。

 その際、本家を守って来た財産と家を誰に承継すれば良いか決めなければならないとの思いで、九州から名古屋迄の、死後事務支援を行っている法人を直接尋ねて行った。行動力は凄い人だった。この目で確かめないと納得しない。それが本家を守る義務感の現れだと思う。

 私の事務所にも、3度来た。はっきり物事を言う方で、端的な言葉が印象に残っている。その最重要な言葉は、

 「佐藤さんは、私より年上ですので、もしもの事があったら、誰が後を継いでくれるんですか。」

 その言葉は、続く他の契約者にも言われた言葉だった。

 結果的には、当方との契約に向けて実行される事となって、当方の顧問弁護士を通じて公正証書を作成に向かった。

 当初の公正証書作成時には、私は証人という立場で全ての執行人は弁護士になっていた。その後、ご本人が弁護士に申し入れて、その立場は弁護士から私へ変更になった。その変更となる際の公証役場への出席は、当時のメールでの記録を見ると、当日は私は仕事で出席出来ず私抜きで公正証書作成がなされた。

 それにしても、結婚せず親を看取って孤立して死守して来た本家を、対立していた構図を解消して唯一の相続人である姉妹とは和解に至らず、姪や甥に託したかったが敵わず第三者を執行人とすべき選択しか無かったと言うわけだ。

 越中越後は、私には想像できない宗教対立という根深いものが存在するのを聞いた。死後事務で納骨先のお寺さんを聞いて、早速、富山県高岡市に指定されたお寺さんを訪ねた。行きたかった、高岡大仏を巡って北陸地方唯一の国宝瑞龍寺に圧倒された。

 ここが、あの漫画家藤子不二雄を育てた街なのだ、と感慨に耽った。そんな思いでが頭をよぎった。

 処が、問題が発生していた。彼女は、公正証書内容を変更したいとの思いがあったが、その公正証書3点に私は目も通していないし、何度言っても、謄本なり正本をくれない。私が公正証書作成時に出席出来なかったばかりに、苦労する事になった。

 内容も知らずに、何も実行できない。それなのに、よろしくお願い申し上げます、と毎年ご挨拶のお手紙が来る。私の返事は、公正証書が無ければ何も出来ない、と訴える。何の改善も見られないので、昨年辺りからその旨伝えて以後返事はしません、と返事をした。

 それは、彼女なりの深慮遠謀があってのことだろうと思っていた。そこへ、速達ハガキにあった様に、姪にお願い出来ることになったので、公正証書内容を変更したいとの、言葉に通じている。

 この6年間、公正証書を実行する立場になった際に、何も出来ない状態に不安を感じていたのが解消できると、ホッとした思いで今日が最後の面談と決めて訪問した。

 処が、最初から話が違っていた。訪問すると公正証書3点を出して、

 「佐藤さんに見せないといけないのは、これでいいのでしょうか。」

 と、目の前に公証役場の封筒を何点か差し出した。簡単に内容を確認した。確かに、遺言執行人で死後事務及び任意後見受任者に私の名が明記されていた。

 そこで、姪の立場をお話し聞いた。緊急連絡先を姪になって貰う。緊急連絡が行ったら、姪から私に連絡が来る。それを受けて、各種業務を実施する。その実施して欲しいリストを作成していて、何か抜けているものはないか、という。

 向かった時の感情は、今日で終わりにしてもう会うこともないだろう、そう姪が全て行ってくれるだろうと思っていた。そに様に速達ハガキへの文面だったし、電話でもその様なニュアンスで受け取った。処が、会って話しを聞くと,緊急連絡先として姪が受け入れただけだった。

 公正証書を全部受け取って、帰宅の途に着いた。帰る途中に、登録されていない方からの電話があった。また、緊急連絡先の相談で、内容を説明した。依頼したいとの事なので、手続きを簡単に返事した。

 体調が最悪だったが、薬を飲んで寝るとかなりの改善が見られた。明日は、朝からリハビリテーション病院で、担当に気が向かず重い気持ちで向かう気とになる。