行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

大阪の風邪は、異質なウィルス🦠

 今日は、早くから昨日の続きの月次精算表を作成した。いつもなら、翌月初旬に終わらせているのだが、8月に体調不良で思うように執務が出来ず最低限のお客様優先で過ごしていた。やっと、体調も徐々に戻って来て溜まった業務を処理できるようになって追い付いて来た。

 大量の請求書や領収書、レシートなど空き缶に入れていた伝票を月毎に振り分けた。8月から5ヶ月に振り分けた。今日は、その分けた伝票を株式会社、NPO法人、一般社団法人、行政書士の4分割した。

 その分割したものを、振込・振替グループと小口現金からの支出に分ける。そに分けた伝票の内、株式会社から引き落とされる他の法人分を付け替えして、後日、口座同士で振替を行って正常化する。

 午前中で、全て終わらせて明日は私の個人クレジットから支払っている費用の付け替えするつもりだった。しかし、やはり、仕事の処理スピードが衰えているようで、見込みを外れてしまった。最後の12月分が、手が付けられずに12時を迎えた。

 もう少しだから頑張ってやろうという気が起きずに、店仕舞いだった。途中途中で、他の業務を挟んで無駄な時間を作ってしまった。長男に、依頼する業務をメールした。

 年賀状を毎年200通以上を印刷して、宛名を書いて出すばかりにしているのだが、出したのは最初の5年位だった。しかし、その後、仕事も年末年始にも行わなければならない事態となって、準備するだけで宛名を書くまでは至っていない。毎月、結果的に切手と交換する羽目になっている。

 今回は、長男に電話して名刺を送るので、指定した法人の年賀状に印刷して欲しい、と頼んだ。それ用の機器がある様で、購入して貰う事にした。

 その他、常勤社員の年末調整のデータを入力した。加えて、非常勤の報酬データを作成した。

 再び、経費伝票の処理をして、12月分を残して時間になった。明日に、残して席に戻った。どうしようか、迷ったがやっぱり、音楽をYouTubeで聴いた。いつも、最初聞く曲で悩む。それによって、続く曲が決まって来る。

 さだまさしの「道化師のソネット」を聴いて「防人の歌」を聴いて流れで「203高地」のダイジェスト版を見た。青年が命を賭して日本を守る為に、戦った。明治天皇や乃木希典大将、兒玉源太郎元帥など日本を救う為に緊迫した時代だったのが分かる。これからの日本は、それだけの志を抱いたリーダーシップを発揮する人はいない。国民が委ねる人物はいない。国民もそのように国を守る意識のある人は稀であろう。

 先日、泉佐野市に仕事で行った時に道の駅で新鮮な野菜を沢山購入して来た。大きな大根やキャベツ、白菜が減らない。何とかメニューを考えて努力するが、無駄な努力のように進展しないネットでメニューを検索するがなかなか実現に至らない。

 最近のニュースは、自民党の裏金問題が是でもかと全ての人がテレビ、新聞紙上で言いたい放題だ。私は、余り怒りや文句はない。そんなもんだと思っている。それぞれの人々が清廉潔白で生きているとは思えない。隙があったら、法律に抵触するかなどは考えない。一生懸命に働いて、このような法律関係は顧問の仕事で、毎月チェックして間違いがあれば修正の指示があって、追い掛けて修正処理をしている。

 三輪さんが、体調不良を口に出し始めたのが1週間くらい前だった。 それから、徐々に咳が酷くなった。胃も苦しいと言い出して、今は口内炎が沢山出来て痛くて食事が出来なくなって、お腹が空いているようだ。

 私の方は、完全にうつって咳が時々酷くて、それでもそのくらいでだるくも痛みもない。思い返せば、仙台で育った頃は風邪とは無縁だった。風邪の症状が分からないまま、50歳近くに大阪に来た。

 「俺は、殆ど風邪を引いた事がない。」

 と、言って三輪さんに自慢しました。

 ところが、その大阪に来た時は1月で、三輪さんは恒例のように風邪を引いたが、引かないと言っていた言葉はもろくも崩れて引いてしまった。多忙で、養生などしている間もなく、早朝から夜遅くまで仕事をした。

 風邪の症状は、初めての経験の様にだるくて大変だったが責任感が最良の薬だった。直すのに長期間掛かった記憶がある。よく歳も掛かった。三輪さんにうつされたが、短期間で治した記憶がある。

 以後は、三輪ウイルスは克服した様で、恒例に三輪さんは風邪引いたが、私は引くことが無かった。しかし、今年は引いたので、体力が失われているのだろう。