行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

遺言執行を実施するか、緊急連絡に

 食事に出る積りで、11時半前に三輪さんに迎えを頼んだ。土曜日でも、12時になったらお客さんが溢れるだろうから、並ぶのを避ける為に、移動時間を勘案して11時半前迄、とお願いした。

 しかし、いつもの通り時間は守らない三輪さんの本領発揮で10分以上遅れる。その遅れている間に、事務所のインターフォンが鳴った。三輪さんが来たのではない。自分の事務所に来るのに、インターフォンを鳴らす訳がない。受話器を取って、相手を確かめた。

 「郵便局です。速達です。」

 「印鑑は必要ですか。」

 「認め印をお願いします。」

 シャチハタを持って、ドアを開ける。

 印鑑を押そうと思ったら、

 「印鑑は、不要です。佐藤守さんでお間違えないですね、」

 そんな話しで、何と葉書に「速達」の赤いスタンプが押してあった。

 差出人を見ると、10年近く前に富山県からがん治療を大阪にて受ける為に移住して来た方だと知った。

 富山県の大学病院で治療を受けていたが、治療の限界を告げられて大阪にて治療を勧められた。その際に、代々続く自宅や財産を身内が存在しないので死後の財産を適切に処理してくれる業者を探しに、調べて九州から東海まで実際の候補を自分なりに数社決めて事業者を訪問して、幾つかに絞った。

 当方にも何度か来た。暫く、連絡が無く忘れた頃に当方に依頼したいと念願されて来たので当方の顧問弁護士を交えて、委任事務・任意後見、遺言書、死後事務委任契約と三点の公正証書を作成した。

 遺言執行人が顧問弁護士、委任事務も任意後見も実行するのは顧問弁護士だった。私は、遺言書の証人として立ち会っただけで、以後、関わりはない筈だった。しかし、半年後、本人の強い希望で顧問弁護士の立場を全て私個人に変更して、公正証書を作り替えた。

 それは、それでご本人の選択なので宜しいのだが、私の心情としては顧問弁護士にどう思われるのか、だけ気になっていた。つまり、私が裏でご本人の思いに影響を与えているのではないか、と思われるのが困る思いだけだった。

 ただ、公正証書が正本、謄本ともご本人が所持して私には手渡しを拒否して、その内容を知っていたとしても、公正証書が無ければ何も出来ない。毎年、夏の暑中見舞い、冬の年賀状を頂くが、その度に自分に何かあったらお願いする人がいるので安心だと文面に書いて頂くが、私は遺言や死後事務の作業が今のままでは出来ない、と何度も訴えるが返事が一切ないので、今年の夏から私は、返信や安否確認の連絡をやめた。

 この大阪に移住して来た頃は、毎月定期的に訪問していた。しかし、

 「一人で静かに生きたいので、毎月の訪問は結構です。病院に入院する時には貴重品に佐藤さんの名刺を入れて婦長さんに話しをしています。」

 そう聞いていた。

 当初、家の鍵を預かっていざとなった時に入室できる様な打ち合わせをしていたが、いざ受け渡しする日に訪問すると警戒していたのか、引き渡しを拒否した。

 既に、信頼関係がご本人の一方的な疑心暗鬼で崩壊していた。私の方は、死後事務にて納骨を指定された富山県高岡市のお寺さんにご挨拶に行って、必要な打ち合わせをさせて頂いた。高岡大仏や国宝勝興寺などを巡った記憶にある。

 誠意を尽くしても、心の中に入る事が出来なかったのは、何故なのか。その胸に去来するものは、やはり、深い事情があったとしても血の繋がりは断ち切れない強い思いが優ったのだろう、か。

 自分の立場が跡取りではなく、次女だった。長女が先祖代々の宗教から離れて、キリスト教の洗礼を受けて離反してしまった。独身で実家を守り続けたが、病を得て頼る身内も無く、ついに私どもと縁が出来た。とはいえ、素性も知らぬ私どもでは、安心して財産の継承を委ねる訳には行かない。

 故郷、高岡市を経つときには、財産の相続を拒否された姉である長女のお子様に、いよいよとなって、再度、懇願した様でその受け入れを受諾したと、受け取った速達に書いてあった。

 つまり、がんの転移が認められて容態に異変が現れて来た、と記してあった。私が公正証書にて執行すると謳ってある立場を姪に変更して欲しい、と書いてあった。

 その自分だけ知っていて、その内容の書き換えを言われても、私が何も知らないのでは、返事のしようがないので、電話した。何故電話やこれまでやり取りしていたメールで言ってくれないのか。速達の葉書だったら驚いて連絡くれると思ったのだろうか。

 貸金庫に保管してある遺言書などの公正証書を取り出して受け取ることになった。この様に、時間が無い状態になる前にどうして相談してくれなかったのか、残念です。

 今日もお昼は「餃子の王将」だった。