行政書士から拡張業務へ

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知的障害者への転居支援

 午後から、いつものように外出して知的障害者への転居支援のアセスメントに出かけた。精神障害専門病院が運営する自立支援センター相談員から対応要請があって、今日の午後に訪問する約束をしていた。

 距離的には、隣の市だが近くにあたる。しかし、入り組んでいる住宅地で道が細く家々が密集していて駐車場が近くに無いので、遠方迄駐車場を探して駐車し徒歩で聞いていた住所地をスマホのナビで誘導して貰って迷路のような住宅地の一角のアパートに伺った。

 訪問連絡していた2時の10分前にインターフォンを押した。少し間を置いてドアが少し開いた。自己紹介して訪問の要件を伝えて、

 「汚いですが、、。」

 と、言われて招き入れられた。

 玄関から、確かに言われた通りだった。

 先週訪問した、施設内の居住者は精神障害者で雑然とし狭い部屋で敷きっぱなしの、薄汚れた布団の上に座って面談を行った。

 一昨日は、認知症者の部屋に伺ったが汚物がこびりついて悪臭を放っている部屋に、案内役のケアマネジャーから言われるままに土足で入った。

 今日は、案内役は居なかったが、自然と土足で入ろうとした自分に気付き諫めて、靴を脱いだ。奥の方にと言われて奥の部屋に入った。

 敷きっぱなしの、変色していた布団が敷いてあって、何の躊躇いもなくその布団に座った。

 早速、相談に至った事情を聞いた。私の場合は、事前情報に関わらず症状や病気に関係もなく普通の会話で進める。

 私は、20年以上前から障害者支援を行なっているが、常にいつも知的障害者である意識は、消し去っている。

 話しをしていると、自然と置かれている環境に話は進む。つまり、賃貸に際して保証人や緊急連絡先の手当てである。父が死に、母も死に、兄妹は離れて孤独な生活環境に至っていた。

 いつもの事だが、障害区分でも私は特に知的障害者への思い入れが強く前のめりになる傾向が欠点でもある。今日もその様な言動になって、直ぐにでも転居支援を行う作業に入る事を告げて、不動産仲介業者に電話しようとスマホに手を掛けた。

 そこで、相談者に不動産業者より大家さんにまだ退去の話をしていないので、大家さんの許可を貰ってから、と諫められた。

 そうして、その話しをした理由を言って来た。壁に穴がいくつか空いていて、退去時に原状に復するのにどのくらい請求されるのか怖いという。何か強い力を故意に壁に加えて空いた穴だ。壁は薄い板になっていて、隣の壁との間には10㎝ほどの空間があって、穴が空きやすい構造になっている。

 「頭に来て何かで殴って空けたんですか?」

 そうだ、と言う。

 隣の家もワンルームで独居の筈が、誰か複数の居住者がいて休みの日でも家から出ないで一日中騒いて、うるさいという。

 その修復に金銭が多額に請求されるのでは、と不安感があって踏ん切れない。私が、不動産仲介業者に話しをして負担が大きくならないように交渉するとお話しした。

 緊急連絡先は、心当たりが無ければ、私の方で何とかすると告げた。話しの中で、お子さんがいると言うので、驚いて結婚しているのか立ち入ってしまった。今は一人で、10代の時に産んだお子さんと4年も会っていなくて安否が分からず、探偵社にでも依頼して探して貰おうと思った、と言う。

 「お嫁さんが、会うのを嫌っているようで。」

 と言われて、依頼されれば手繰るお手伝いは出来る、と返事した。

 その「お嫁さんが」と言う言葉の解釈を、私は別れた旦那さんが再婚婚した相手だと思った。しかし、三輪さんは息子も嫁さんだと言う。成る程、解釈が人によって異なると思った。

 ほぼアセスメントが終わりかけた時に、インターフォンが鳴った。彼女の支援担当の自立支援センターの支援員だった。挨拶を交わして、今日の聴取した内容と当方の支援を説明した。年内の実現を目標に連携して動く事になった。

 ずっと布団の上に正座状態だったので、直ぐには立てない状況に、三輪さんが手を差し出したが、支援を受ける訳には行かない。やっとの思いで立ち上がって、部屋を辞した。

 帰りの道すがら、三輪さんと今終えた相談者の生活環境を前提に今後のサポートを話し合いながら、先日の方も未だ若い女性でおひとり様になって生きて行く方が続いて、これからの日本の置かれている状況にため息が出てしまう。

 戻り乍ら、コンビニに立ち寄って喉が渇いたので、アイスクリームと飲み物を購入して車の中でホッとした。

 朝から、午前中は事務処理に時間を取った。やらねばならない仕事があるのに、避けているのが自覚して困ったものだ。追加で、国土交通省の補助金事業の資料の追加提出要請があった。相当の時間が必要で、土日にやろうと逃げていた。

 午前中、最も時間を費やしたのは介護員基礎研修という講座を受講した証明書の発行手続きだった。

 私が創業した平成13年、西暦2001年から大阪府指定のヘルパー養成講座を数多くの教室を設置して運用していた。15年位続けて役目を終えた。

 その卒業生は数千名を数えると思う。その卒業生で資格者証を紛失したと証明書の発行を求めて来る者が年間数名程度毎年ある。

 その多くの種類のうちの介護職員基礎研修を2011年に卒業したと、証明書の発行して依頼の手紙が来ていた。明記してある指名、生年月日、受講年月日、などの情報を卒業名簿との整合をしてチェックする。

 まずい事に、要望されている平成23年名簿が無い。翌年からの名簿はあった。他の資格コースを調査したが該当の氏名は無かった。大阪府に卒業名簿を提出しているので、大阪府担当部署に問い合わせしか無い、そう覚悟した。

 しかし、実績報告書がある筈なので、平成23年の当該実施報告書の控えを探すとあった。その証明希望者の氏名も見つかり、証明書番号もあったので、ホッとした。証明書を作成した時には、既に、1時間は経過していた。

 続く事はあるのだと不思議だったが、問い合わせが、ガイドヘルパーの資格者証明書の発行手続きだった。障がい者ガイドヘルパーの種類は多く、全身性障害、視覚障害、知的障害、精神障害、児童や同行援護とか行動援護などがある。そのうちの3種類の資格取得していたというが、電話で取得したいような話しなので、手続きの説明を行った。