行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

久々の出張機会確保

コロナ禍が始まるまでは、毎月仕事と観光をミックスして全国駆け巡っていた。一番多いのは、会議やセミナーへの出席だった。偶には、国会議員への陳情、後見人とし後見申立人への打ち合わせで面会に県外に住んでいる方へ会いに行った。

 それが、コロナ禍にてなってリーモートが普通になって、出張や観光が何年も出来なくなった。それが、溜まり溜まって出張機会を探していたのが、見つかった。

 来月19日、現在、大きく関わり出した居住支援事業の先進的事例を多く抱えている福岡県で対面式のみのセミナー情報が入って来た。

 早速自分の予定を見て、前後の日程が空いているのを確認した。直ぐに参加申し込みを行って、Googleで場所確認した。

 近くに、都ホテル博多があったので、会員登録している旅行ポータルサイトから予約した。確保出来た。博多には、何度も行っている。

 商店街活性化の情報があって、現地見学に行った。太宰府天満宮にも何度か行った。糸島市にも司法書士事務所に先進的取り組みの勉強に行った。

 唐津城に行きたくて、福岡市経由で行った。佐賀県柳川市にも、藩主立花公は伊達政宗公と交流があって親戚筋だったので、福岡市経由で挨拶に行った。

 福岡県直方市に商店街活性化イベントの情報があって現地確認に行った時に福岡市経由で行った。

 沢山の博多への訪問機会があったので、行った事のない所に行きたかったのだが、また、チャンスが来るだろう。

 そんな事を想いながら、気持ちはもう博多に行っている。

 そんな手続きを行って、気持ちが落ち着いて宅地建物取引士の受験勉強に向かった。4者択1だと成績は悪い。一問一答だと優良な成績になる。今日は処理した問題数が少なかったが、半数程度の正解率だった。これまでの合格レベルを見ると50問で正解数が37問前後だ。

 それが終わってから、気持ちが集中力を欠いているのがわかったので、YouTubeで音楽を聞いた。今日は1990年から1999年までの毎年のミリオンセラーのヒット曲をずっと聞いた。

 自分が知っている曲は半分もなかった。あの当時は、バブルが弾けて暗い気持ちで過ごした時代だった。

 直前までは、帰宅する事も出来なく会社が準備してホテルに泊まりがけで、毎日が大変な時期だった。それが、1990年になると、一転して不景気風が吹き始めた。

 帰る事もままならなかった会社は、多くの保養所が閉鎖したり社員食堂が廃止になったり、折角、新築した本社が売りに出されたり。暗黒の時代だった。

 それから、二転三転してこの大阪にいて活動している。人間の人生とは分からないものだ。帰る場所も無い、頼る親族も居ないということは、人間を強くするものだ。自分一人で道を切り拓いていくしか無い環境は人間力を強くして行く。