行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

我を守り給え

占いや迷信を始め、神仏も信心することも無く、長い間過ごして来た。誰も信じず、自分が努力して人生を切り開く精神で生きて来た。ただ、上京した時には世の中の端っこで目立たず人知れず生きて死んで行く人生を歩んで行くのだろうな、そんな諦めた達観した思いも持っていた。

 結婚して、人並みの生活が手の届く様になった頃から色々と希望やそれを達成する為にどうすべきか考えて、必ずやり遂げて来た。

 そんな頃に、神仏に縋る事もあって。特に尊敬する伊達政宗公の信心した不動明王を私も自分の守り神と定めてご本尊が不動明王のお寺を意識して参拝して来た。

 段々とエスカレートして、著名な寺社仏閣を参ってこれからの自分の親と親族、家族や友人知人の幸せを祈念していた。

 それから人生の大きな転機や荒波が次々と襲って来て、避けながら収まるところに自然と移っていく。それでも、どんな大きな災難に襲われても、なんとか凌いでここまで来た。

 この間も、寺社仏閣に機会を見て参拝して、それだけでも心は癒やされていた。商売の神様である京都の豊川稲荷神社での元朝詣りで「大大吉」の御神籤を引き当てた時には欣喜雀躍して、その御神籤を今でも財布に入っていて、それ以降御神籤をを引く事は無くなった。

 伊達政宗公を祀っている仙台市の青葉神社で、「伊達守」のお守りを購入していつでも肌身離さず持ち歩いている。それに守られていると信じている。なので、どんな困難な場面に遭遇しても、ポジティブに考えられて必ずその場から脱却出来ると信じて打開への活動を行う。

 何かに頼る事をしなかった自分が、人並みに神仏に縋る事が出来るようになって、精神的に強くなったり人に優しく出来る様になった感じがしている。

 そう思って振り返って見ると、何と多くの人に助けられて生きてきた事か、あの、人に頼らずに生きて来たと思っていたのが、全く違う事に気付いた。

 なので、自分が必要とされる場面では、身を投じてサポートして行きたいと思っている。こうやって人生の最終コーナーに差し掛かって見ると、もっとその方面へ力を入れて真っ当しようと思う様になった。

 今日も普段と変わりなく通常通り勤務したが、いつもならこの程度の時間でできた筈なのに、思う時間の数倍も掛かっても終わらないのに気付いた。

 見本の無い家庭裁判所への申立書を作った。始まるまでに、沢山検索して基本の形式や語句の並べ替えを模索して、やっと作成を始めた。途中で、疲れてやめてしまった。

 家庭裁判所絡みの幾つかの仕事が止まっている。心に支えているので、早くしろと誰かが背中を叩く。それでも、一つだけも終わらない。もっと急ぐ仕事が有りながら、これからの仕事が頭を占めてしまって、その方面へ作業が進んで行く。

 自分の性格が段々と見えて来た。新しい事に手を付けるが、途中で投げてしまって残っている。相当な進展まで手を出して口を出すこと迄で終わってしまう。放置する。期日が来る。気付いて、仕方がなく少しずつ始めて遅々として進まない。

 それ以上の、努力をしている姿を見た事がない。今も、それで苦しんでいる。人も苦しむ。困ったものだが、もういい。この歳なので、直しがきかない。