行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

井上陽水の「少年時代」と吉田拓郎の「夏休み」

 本来は、今日は新大阪駅発8時台の新幹線に乗車して上京し、そのまま東京駅で乗り換えして上越新幹線で上毛高原駅迄行って、長男に迎えに来て貰って沼田市の妻に実家にて法事に参列する予定だった。

 今年の春に実家の総領が亡くなった。当家は私が20歳代に既に3歳に達していた長男が私の代理人として対外的にも、各種行事に参加していた。

 なので、公式の家単位の冠婚葬祭などの、他の多くの親族が参列する場に私が座る事はこれまで殆ど記憶にない。

 簡単に言うと、私は親戚の中の鼻つまみ者なのだ。

 その一番大事な葬儀に参列する事は無理だったので、それでも突然の連絡に何とか調整して出席を図ろうとしたが、亡くなったとの第一報をくれた妻が、

 「無理しなくて良いから。内は、佳裕が家督を継いでいるから。」

 と、言われて、そうだったと。

 しかし、この初盆は以前から長男が準備をしてくれて、スケジュールを13日から15日迄空けていた。長男が、私の立場を考慮して親族一族が集合する12日夜を避けて13日のお昼過ぎに到着してお線香をあげて、その場で時を置かず宿泊地の伊香保温泉に家族5人で向かう手筈を整えてくれた。

 宴会がことの他嫌いな私の心情を汲み取って、その宴席を12日の夜に設定してくれた。そうやって、この場では本来なら多くの親族の着席順で行けば亡くなった総領の奥さんである姉の次に居る筈の私が居ない事態なのだ。

 その代わりに長男が居て、色々と田舎では考えられない行動を繰り返している私が何とか面目を保てる様に、手配してくれた長男の気持ちを台無しにする大型台風が日本本土に迫って来ていた。

 金曜日の時点で、新幹線の計画運休の可能性に触れてJR各社では帰省プランのキャンセルを含めた見直しを求めるスピーカーを行っていた。

 これまでも、この様な時には私への依頼者に迷惑が及ばない様に自分の予定をキャンセルして来た。直ぐに、長男に帰省プランのキャンセルをお願いした。

 新幹線のチケットからホテルの予約まで全て長男に委ねていたので、キャンセル手続きをお願いした。

 長男としては、私の性格を熟知しているので、受け入れたがあくまでも予報の段階だから、と言うのに止めていた。何故なら、私がどれだけ依頼者の中に入っていざと言う時にここに居なければ困る事になる現実を知る由もないから。

 こうして、私だけの立場を考えると最良の選択をしたとホッとする。

 なので、このお盆期間に突入しても通常と変わり無く、朝6時過ぎには事務所の席に座っていた。

 お恥ずかしい事に、先日の気管支の苦しみから始まって数日後の目の狭窄、そうして今日が足の左太ももの激痛に繋がった。

 昨夕から、歩行すると筋肉の激痛が走って歩を歩めない。足を引き摺るようにやっと休み休み移動出来た。夜は、寝ているだけで痛む。

 寝れない。

 朝も動くと痛い。出勤の時が大変。痛みを抑えて歩くが、数歩も歩めない。何歩か歩いて、激痛を感じて、また、数歩歩いて激痛を堪えて時間を掛けてやっと着いた。

 部屋に入れば、特にこの様な休日だと好きな時間を思いっきり投じる事が出来る。やはり、予定があるとその準備に時間が取られる。

 今日は1日を、宅地建物取引士の学習に充てるつもりで居た。最初は、模擬試験の10問の挑戦をしたが、権利関係で市街地調整や土地区画整理組合とか換地などの設問に接して、珍紛漢紛で当てずっぽうで回答しても意味がないので、参考書でこの項目だけ勉強のし直しをした。

 事務所の席のある部屋だけは、畳の部屋に絨毯を敷いてあり枕が置いてあり横になって参考書に目を通した。意味のよく分からない言葉が多く、30分でそれ以上続かない。

 起きて、10問の挑戦をした。7問正解。同じ様に次の挑戦をして8問正解だった。それでも、受験まであと60日程度しか無いので焦っている。

 幾らかは向上はしているが、合格点を取得しないと意味がない。少なくても、今月中にどんな問題でも80%の正解率を確保したいと思っている。

 その為には、この天が与えてくれた休みを最大限生かす機会としたい。

 気晴らしに、ヘルパーさんの給与計算データが来たので、振り込み表に転記するのに1時間ほど使った。

 再び、勉強と練習問題。続いて、7月収入と費用の算出表を作成。この時点での、前年度比較の予測売上では何もアクシデントが無ければ2000万円以上は増えると思う。

 多くは望まないし、自然体で行こうと思う。この他、行政書士の収入も大幅に増える様相で、問題は自分の健康に至って来た。それは、後継や引き継ぎになる。

 5時間勉強と仕事をして、午前中最後の30分はいつものYouTubeで音楽を聴いた。

 何故か、気をを入れて井上陽水の「少年時代」と吉田拓郎の「夏休み」を最初聞いた。この詩をしみじみ聞いた時に、同じ子供の頃を詠んだ歌詞だった事を今更乍ら気付いた。

 吉田拓郎の「夏休み」は、私が小学校に入る前の、仙台市も戦後が完全に終わっていなかった、あの時の光景が浮かんで来た。

 井上陽水の「少年時代」は、正に、物心ついた時代の小学生から中学生の、自立心が芽生えて来た頃を思い出した。

 そのあと、あべ靜枝さんの「コーヒーショップ」や青い三角定規の「帰らざる日のために」などを聴いて今日の執務は終えた。

 帰りの歩行は、出勤より酷くなっていた。殆ど、歩けない。少しの痛みには耐えられる精神をしているが、この激痛に耐えられない。

 やっとの思いで、マンションに辿り着く。軽く昼食を摂って、眠くなって眠る。目覚めた時は、既に5時近くの夕方だった。