行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

戦線復帰

 遠くにありても故郷は宮城県杜の都仙台市だ。その仙台市の誇り、羽生結弦フィギュアスケート選手の結婚が報道された。お相手は誰なのか知りたいのは皆さん共通の思いだろうが、何は分かる事とおとなの意識。 

 きっと、ご両親が喜ばれるお相手なんだろうな、なんて勝手に思う。片や同じ誇りだった福原愛ちゃんは別の意味で時の人になっている。

 一時代前は中村雅俊は私と同じ歳だ。サンドウッチマンは私の23回期下の仙台商業高校卒業の同窓生だ。

 若くして逝った女優夏目雅子さんの前夫伊集院静は現在仙台在住だが現在の奥さんは女優篠ひろ子さんだ。

 

 そんな明るいニュースを背に2日ぶりに出勤した。

 事務所では、「生前及び死後事務委任契約」の契約者の関西医科大学附属病院から依頼があった金銭管理から継続して、多くの支援を経て継続し今後もサポートする人物の終わった手続きとこれからの手続きを行った。

 その5月からの「金銭管理契約」から現在の「生前及び死後事務委任契約」の清算を行ったが、金銭的にドンピシャだった。

 と言うのは、この3ヶ月支払いや受領などと言うのを領収書や銀行の出金レシート、給与明細や賞与及び退職金計算書など代理で行なった行為の証明書類をファイリングして大きな袋に入れて途中何もチェックせずにここまで来た。

 戸籍謄本や住民票も受領しに大阪市東成区役所や寝屋川市役所に通って受領したものを元に資料作成する。

 加えて、脳血管障害で麻痺が残った身体を労る期間を経ずして労働基準法通りの手続き、30日前の解雇通告を受けて解雇された。

 その失効書類を持って市役所へ行き、国民健康保険と国民年金加入手続きを取った。合わせて、国民健康保険の負担軽減を申告する為に、ハローワークでの手続きなのだが、仕事をする意思表示が求められる。

 現時点では無理だが、将来的なことも考えて準備する必要がある。その第一に必要な書類が解雇通告を受けた会社の離職票だ。

 もう仕事が出来ない麻痺が残っている状態で、不要でしょう、と言うわけだ。


 株式会社決算資料を準備した。先日、通帳3冊の昨年7月から今年の6月迄の通帳をコピーした。今日は、同じ期間の介護及び障害関係の毎月売り上げデータの印刷を行った。

 毎月の小口現金入出金データを印刷する。NPO法人の立て替え金のデータ。毎月の住民税及び所得税の納付書の準備。明日は、残りのデータを作成して顧問税理士に届ける予定だ。

 大幅な利益を上げているのが分かるので、法人税の負担を覚悟しないといけない。


 病に倒れて寝込んでいた時に、1日分記録を残して居なかったので色々探して起こした。実は、先日、亡くなった被後見人の報酬付与審判申立をした時に、故人のゆうちょ銀行からの移転をする時に、その手続きの控えが見当たらない。証拠となる裏付け書類が無い。

 移す通帳の残高も、打ち込みが出来ない。つまり根拠のない金額が相続人の口座に入っていた。その説明を家庭裁判所にどうしたら良いのか考えて、今年の1月の記録を読み返した。 

 ここで記録しているのは、具体的な名称や遣り取りなど分からないようにしているが、会社のPCには個人名や具体的な遣り取りなどの記録がなされているものが残存されている。

 そこに、その日のゆうちょ銀行との遣り取りが明確に記録されていた。会話調で書き記録があったので助かった。

 少額短期保険会社の担当者も役員もプライドが高いのか、自分の痛いところを突かれたら無視を貫く。

 何の進歩も無いので、本当は他の保険会社と付き合いたいのだが、何度か大阪に担当者や社長が来て話しを聞いてくれたので、持っている状態だ。

 今回も、来週に遠方から来るのと当社専用でパンフレットを作ってくれた。ただ、直して欲しい部分もあるが、口に出せばそれを使わない訳にいかない。

 その仕事の合間に、宅地建物取引士の模擬試験を受験した。分野によっては9割の正解率を決める事が出来た。

 午後に休養を決めてゆっくり横になっていても、一問一答の模擬試験を何度も繰り返していた。

 私の個人携帯電話に着信があったので、胸のポケットに入っていた携帯電話を取り出した途端に切れた。よく見ると、逆さにポケットに入れてあったので、取り出した時に電源の所を押さえてしまった様だ。

 どうしようか考えたが、いつもの通りに登録されていない番号には掛けない、主義を貫いた。ただ、個人の電話なので掛かって来たら出る。今回、はレアなケースで、私のミスだったがやはり掛け直さない。

 朝は、未だ、食欲が湧かない。なので、朝食は豆腐、ネギたっぷり、椎茸と和布の味噌汁の具だけ食べて出勤した。

 会社では、いつもなら珈琲を淹れるのだが、全く飲みたい気持ちが湧かずに、ペットボトルのお茶を飲んでいた。

 度々、水分の補給に心掛けた。深呼吸すると何となく気管支に違和感を覚えるのは、やはり気管支に何らかの支障をきたしているからだろう。

 お昼のメニューは、掛けうどんにした。タマゴとネギ、かまぼこ、椎茸を入れて温かいうどんにした。後からご飯も頂く事が出来て胡瓜の漬物が美味しかった。

 終わってから、甘いものエクレアとショートケーキを少しだけ食べた。

 夕食は、鰻にした。食欲がなかったので食べられそうな鰻にした。胡瓜の漬物とネギを微塵に切って、ワサビを入れた鰻のタレをまぶして焼いた。

 多めの取り寄せたお米、コシヒカリを炊いてお椀に入れて焼いた鰻を乗せて、ネギたっぷり胡瓜の微塵切りを乗せて、掻き込んだ。

 やっと元気な自分が感じられる様になった。しかし、やはり、元気と言っても年齢が年齢なので自重してやろう。

 これまで、30歳位までは自分が若手だったが、それ以降は若い人に囲まれて仕事に邁進して来たので、全く、自分が年齢を感じないのも問題なのだろう。