行政書士から拡張業務へ

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故郷仙台七夕始まる日に

 今日は、郷土仙台市の「七夕祭り」です。私が仙台市で過ごした昭和26年から昭和45年迄の「七夕」の思い出と言えば、傷病兵が白い入院患者の服を着て繁華街や百貨店の入り口でアコーディオンなどを弾いて金銭の施しを受けていた光景です。

 平和が訪れた高度経済成長期に入っても、戦後は未だ終わりを告げていなかったのが現実です。お国の為に戦って負傷兵となって、仕事も出来ずに充分な支援を受けられない時代の事でした。

 当時は、繁華街だけで無く市全体で「七夕」を演出していました。私が住んでいた五橋という地域は繁華街に歩いて10分程度の街中にありました。

 子供会が中心になって、時間を見つけて大きな裕福な方の家に集合して短冊や吹き流しを作りました。それを、町内の班ごとに掲げて「七夕」を迎えました。懐かしい思い出です。

 今は、繁華街中心の経済効果が発揮される地域に限定されて、飾り付けも一竿億単位の費用を掛けてアピールするのが普通になっています。

 私が小さい時でも、吹き流しを掻き分けて東一番町や名掛丁などを歩いたものでした。今は、イタズラされれば引っ張って吹き流しを抜く奴が横行しているので、少し短くなったかも知れません。

 仙台市の七夕期間は、毎年8月6日から8日迄の3日間です。その期間に必ず雨の降る日が来るとのジンクスがあって、吹き流しなどの飾りは高価な仙台和紙で出来ているので、雨が降って来たら飾り付けを直ぐに降ろしてしまう事が出来る準備がされています。

 ただ、中心街は私が過ごしていた頃には無かったアーケードが張り巡らされて、雨を気にせずに楽しむことが出来ます。

 私の様に他県に住んでいる仙台出身者にとって、この七夕の時期が帰省機会を得たいと願っている。しかしもう、母親は還らぬ人となってしまって3年を過ぎた。

 毎年、年末に帰省していましたが、一昨年から母親に会う目的ではなくお墓参りに替わってしまった。その上に、お世話になった先輩にも会いに帰省している。

 私が過ごした頃は、仙台市の人口は40万人程度だったと思う。その時期に、七夕目的で訪れる観光客は300万人前後だった。それが、リーマンショックで100万人も減った。人口は逆に100万人を超える大幅な増加になった。

 

 朝起きたら、枕が汗でびしょびしょと言った表現が適切と思えるくらいの状態だった。熱中症ではあるまい、そんな事を思いながら薬を飲んだり血圧などの測定をする動作の過程で、僅かではあるがフラつきや熱が身体に残っている様な熱ぼったい感じがした。

 血圧を測定する。88-61は私にとって衝撃的な数値である。やはり、どこか異常があるのだと自覚した。上が、100を切る事はこの10年間で記憶がない。また、下の数値も60台ギリギリなど記憶がない。

 それでも、数日前の倒れていたときの「測定不能」から比べれば、数値が出ただけでも良い方向か。脈拍だけは通常数値の88で、特に問題はない。

 朝の食事も、具沢山の味噌汁を頂いて、身体を引き摺るように出勤する。8日に、長男が東京から来阪して一緒に相談者の下へ行く。

 息子さんが脳血管障害にて倒れて、システムエンジニアとして自宅で業務委託にて仕事をしていたと同時に金融取引をネット上で行っていた。

 病院へ運ばれて緊急手術後転院してリハビリ生活を行っているが、記憶が戻らず重要な取引に使用していたIDやPWが分からない。

 先日、長男がその情報を探り当てて不明だった預金口座から、父親の口座に預金を移した。今回は、先物取引や株式売買の証券会社との取引記録の確認である。

 それに加えて、法人としてのデジタル化に向けた北大阪商工会議所との協議を交野市にて行う予定だ。

 その時に使用する、フローチャートやイメージ図を探すのに2時間近く費やしてしまった。以前、中小企業診断士会からの委託で更新研修の実務従事の実践機会を提供するパートナーとして10年間お付き合いしていた。

 多忙になったので、今年で解消して貰った。その関係の時に、私が与えたテーマとして今回の活用が可能なシステムを依頼して完成していた。いよいよ、実践に移行するチャンスが巡って来た。

 その報告書が事前に指導教員からメールで来たものと確信して、膨大なメールをチェックした。見当たらないので、保存されている膨大なファイルやパワーポイントなどの資料を何度かつぶさに確認したが見当たらない。

 続いて、資料を移している隣の部屋に入って、重ねてある資料を一つ一つ確認した。見当たらない。

 再度、自分の執務室に戻って、重要資料が並んでいる2m程の横に拡がっているブックハンドに挟まれている資料を点検し始めた。丁度、半分ほど進んだ時点で令和3年度の当該実務従事者研修報告書が出て来た。内容を確認すると、これだった。

 力が抜けた。忘れないように、毎日持ち歩いているバックに入れた。さて、次の仕事だ。先日受講が終わった有料職業紹介事業申請書の作成に取り掛かった。

 長男に少しでも仕事を覚えて貰おうと、資料を見れば分かる項目は残して、例えば法人名や住所などを記入する項目は残して事業所名など聞かれるだろう項目に入力した。例えば事業所名は『ケイアンドエムグローバル』と、仮に付けた。

 住所は、守口市駅前ビル内の事務所にした。責任者は三輪さんにした。

 午前中の執務時間が終わる迄、宅地建物取引士の参考書に目を通した。馴染みの無い文言の散りばめられている分野に入って、遅々として進まず焦っている。

 兎にも角にも、参考書700ページ全てを一読したいと思っているので、早く終えたいが未だ時間を必要としている。

 民法の権利の部分の具体的な文章問題が全く理解出来ず、5問くらいでお手上げだった。

 後20分程度あったので、気晴らしにYouTubeで音楽を聞いた。今日は、サザンオールスターズの「栞のテーマ」から始まった。「夏をあきらめて」「涙のキッス」「真夏の果実」「YAYAYAあの時代を忘れない」で、次に行く。桂銀淑の「釜山港へ帰れ」「大阪暮色」を聞いて、最後に柏原芳恵さんの「ハローグッドバイ」で締めくくってマンションに戻った。

 昼ごはんは、スタミナ不足を補う為にアジフライ、エビフライ、メンチカツのトリオをポテトサラダで頂いた。ご飯は無しだった。その代わり、朝はおじやを頂いた。

 暫くして、昼寝をして起きたら既に4時だった。そこから、ネットで宅地建物取引士の模擬試験を受けて見た。

 夜メシを挟んで、特に相続に焦点を合わせて受験勉強を行った。後受験まで70日という表示がなされていた。