行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

幸運はやって来る

 私は、偶然の出会いと不思議な幸運の持ち主である。いつの間にかピンチがチャンスに替わってしまう。

 最近では、コロナ禍だ。事業が縮小に向かい廃業の覚悟をしてた。三菱モルガン・スタンレー証券で運用していた株式を全部売却して、来る危機に備えて受け身の態勢で腰を落として構えた。

 この危機は、一度も味わう事もなく、コロナ禍が直ぐにチャンスに替わって、多額の収益を上げて決算対策で経費計上に頭を使う事となった。

 本格的に決算期に影響のあった前期は、株式会社は20年前に創業以来の多額の経常利益に困惑した。特定非営利活動法人も2009年設立以来の膨大な利益を計上した。

 従業員を3分の1に減らして不採算の元凶だった社員が居なくなった途端、高収益な超優良企業と化した。

 問題やトラブルを引き起こす多くの従業員が居なくなって管理は超楽になって、人件費や社会保険料の負担が大幅に減り、社員全員に提供していたバイクや自転車などの車両費や全員に配布していたスマホやiPad、デスクトップPCなどの費用、損害保険料や交通費、通信費など間接費が大幅に減少する。

 私は会議や学習で方々へ出て行ったのが、リモートに変わった。時間が出来た時に、相続依頼が初めて入った。それまで、行政書士業務は登録はしていたが、全く関わる事が無かった。

 世の中が、その様な高齢者や弱者が困窮する方向に向いていて、これまで築いて来た福祉や介護の人脈から、少しずつ相談が入って来た。

 行政書士の名刺を作って、相談があれば訪問して名刺を手渡す程度の周知でも十二分に仕事としては受ける様になった。

 2020年秋から、他の分野は管理者に任せて私は行政書士業務に軸足を移行した。2021年認知症の中には1ケースが400万円の報酬を頂けるケースに携わったのも有り報酬総額が行政書士を始めた初年度にして大台を超えた。

 原価は、私の身体であって確定申告は、法人からの役員報酬を加えて、所得税や住民税に驚愕した。

 加えて、市が駅前ビルの一角を入札で払い下げることになって、参加し取得したので、その固定資産税や取得税が重なった。

 前期が税に苦しんだので、二期目の昨年は仕事は受けているが、相続や死後事務関係の報酬は意識して年を跨いで受け取る事案を多くしているが、それでもそれなりの収入に繋がった。

 今年が、その受け取る時期を調整した報酬が目白押しで、十数件の決済が残っている。その1件当たりの報酬も多額であって、加えて今年も現時点で大台を超える。

 特定非営利活動法人も、多額の法人税を納める羽目になって、今年度から代表理事として報酬を受け取る事となった。

 新たな業務にも就き、行政との関わりも増えて、補助金事業を携わる事となって、多くの補助金もこのコロナ禍でも毎年受け取る事になった。

 もっと、沢山の激変があるが、その予測された危機に株式を全て売却し準備した資金が全く減る事なく、逆に手持ち資金は増え続けている。

 その延長線上で、今でもその潤沢な資金を新規事業に投資始めているが、そのひとつの外国人労働者に関わる事業の運の良さが、今日の新聞でまたか、と不思議に思ったので記録して起きたいと思った。 

 今日の新聞記事とは、朝日新聞の朝刊国際ページに掲載されていた「ミャンマー連邦共和国日本語熱」として、昨年日本語受験者数が5万人だったのが今年は10万人になったとのニュース。

 日本で働きたい希望が凄いと、紙面の多くを割いて伝えている。軍事政権下で仕事がなく安全な日本で働きたいと言う熱気が伝わって来る。

 それが、結果だとすると運気の切っ掛けは、仙台市にいる高校時代の先輩からの1通の封書だった。この先輩との関係構築も数奇な運命導かれていたが、それは次の機会で。

 その封書には、先輩が40年前に東京の自由が丘にあった高級ファッションの会社に勤めていた時の上司がミャンマー連邦共和国の人材派遣会社の日本支社長に就いているので、力を貸して欲しい、とパンフレットを同封して来た。

 外国人労働者雇用については、国連でも奴隷制だと非難されているし、実態はそれほど上手く収益を上げる仕事でもないので、放置していた。

 先輩から催促の電話があって、嫌々ながら関わる事にした。突然、その支社長が東京から新大阪駅に来た。突然だったので、時間も取れず1時間ほど時間を取って会った。未だ、本気で事業とする気は起こらなかった。

 5月に、打ち合わせで上京する事にしたが、豪雨でキャンセルした。その直後、私が以前人材紹介事業を運営していた時に取得していた責任者資格の更新講習の通知が来た。

 人材紹介事業を再び運用する気になった。受講申し込みをした。そうなると加速的に進行する。大阪府主催の外国人労働者事業大交流展があって参加すると、大阪産業局が今年のイチオシがミャンマー連邦共和国だと。今後相談をしながら進めて行きたい。

 そうして、先日の上京で日本支社長との懇談。北大阪商工会議所主催のホームページ作成講座に4日間参加して、今後のミャンマー連邦共和国の人材を中心とした人材紹介事業のホームページ作成に向けて相談日程の調整を行った。

 その費用については、外国人労働者の住居確保が必要なので、今年度に外国人労働者向け住居確保に資するシステム構築で補助金獲得してホームページ制作予算化が出来ている。

 そうして、昨日、東京にミャンマー連邦共和国人材紹介会社会社日本支社長からの、条件明示のFAXが着いた。

 そのFAXと同時に、私が求める特定技能ではなく技能実習生に関わる方向へ行く様な話をした。そうして、今日の朝日新聞の記事に繋がる。

 これまで、全く、手に付かなかったDX分野に、長男が加わってその方向へ何の心配もなく入って行ける事になったのが大きい。

 長男だって、病を得た時が一番DX能力者を必要とした時で、何もかも幸運に恵まれてここまで来た。


 私の個人的事務所は隣り合わせで2箇所ある。行政書士事務所と株式会社の居住支援事務所。その他に特定非営利活動法人の事務所が大阪府下と大阪市内で2箇所。加えて、介護及び障害支援事務所と特定非営利活動法人の居住支援事務所。加えて、駅前に相談事務所と合計7箇所で運営している。

 私の居る株式会社の居住支援事務所には専用の枕あがる。

 最近は、コロナ禍になって調子が良く仕事も楽しくて順調に過ごす事ができていたので、枕を使う事も無かった。

 それが、私は自分の年齢から無理をしない様に1日の基本的な過ごし方として、午前中は事務所にて事務仕事、午後から外出中心の過ごし方をしていた。

 処が、最近は多忙に拍車が掛かって、午前中から外出する事が多くなって、疲労を感じる様になった。若い時なら少しくらいの疲労も気にもせずに押し通していた。

 この年齢になると、少しの疲労も身体にダメージを与える。昨日の日曜日は久しぶりに枕を使って横になって休養をとった。その上、部屋に戻って来ても外出もせず寝ては起きて、起きては寝てを繰り返したら、今日は疲労感は全くなかった。

 しかし、少しの癒しの時間が欲しくて、今日も枕を出して仰向けに寝て、宅地建物取引士の参考書を読んだ。