行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

長男の支援を受け始める

 長男が、10時に事務所に来た。そこから2時間、怒涛のIT関係のシステム構築や複数のノート型パソコンに色々なアプリや省力化機能などを取り入れてセットする。

 私は、何をやっているのか全く分からず、出来たものの説明を受ける。それでも全く理解出来ない。

 宝の持ち腐れのパソコンは、先日、長男が東京で購入してセットアップし各種機能を入れて送ってくれた。三輪さんのと2台が最新式のパソコンだ。

 説明を聞いて、三輪さんは理解しながら感心しているが私は全く分からない。少しずつ使用して覚えて行く他ない。

 私の方では、今日の長男にやって欲しいSNSやPCを活用した業務効率などを目的とした作業を9項目リストアップしていた。10時から外出する迄2時間の間にやってもらうとか、やり方を教えて貰う。

 例えば、各種契約書などあるが、生前及び死後事務契約書の管理するシステム作成をお願いした。契約書の中には、契約年月日や契約者氏名、契約した作業項目、代理権項目、更新年月日などの情報が詰まっていてその管理が重要になっている。

 任意後見や成年後見の関係も準備する項目や進度の把握が必要になって来る。多くの資料は有効期間が3ヶ月なので日付の管理も重要になる。

 新たにM&Aの専門業者と業務提携をしたが、その際に提供された販促ツールへの当方の名称を入れる作業が出来ない。その作業をお願いしたり、自分で作るホームページセミナーに参加しているが、その提供されたツールへの自分が入力してどう作成したら良いのかわからないので、教えて貰った。

 秋に受験する宅地建物取引士の過去問を利用したオリジナルな問題集というか、参考書と言った方が適切なものを作って貰う事にした。

 その宅地建物取引士の過去問で毎日10問の文章問題をやっているが、全く言葉や条文を知らない意味の分からない感覚だけの回答で初めて50%を超えて60点になった。

 そんな感じで、依頼した9項目の作業を終えて、長男のやって起きたいものをプラスして今日は終えた。

 来月7日に上京して一緒に外国人労働者支援事業の緒につくが、その打ち合わせを簡単に行なった。1時に、日比谷シャンテにてミャンマー連邦共和国人材紹介会社日本支社長と面談するが、長男と上京する私の待ち合わせを11時半頃に大丸東京駅店のレストラン街で鰻でも食べよう。

 日本支社長との面談を終えてその日は今年初めてさいたま市の自宅に帰る。また、お盆には群馬の妻の実家統領が先日逝去したので、新盆に帰省する事にした。

 8月14日と15日に新盆に行った後、私はいつもの伊香保温泉に宿泊する事にしているが、この日も長男に予約を取って貰った。その際、私は、親族親戚の中で異端の行動をいつも取る。

 皆さんが、お盆に集まって飲み始めるのがいつもだが、一人私だけが席に着かずに帰る。その伊香保温泉にだ。今回も長男に伊香保温泉の名湯「小暮」に長男が取ってくれて泊まる事になった。

 その打ち合わせを行った。ここでも、私だけが居なくなるのを咎められた。しかし、誰にも迷惑を掛けていないし、何故、関わりたくない親族一同と嫌な酒席に着かないといけないのか、と思うだけだ。

 そんな事を言えば、咎める長男はいつもの通りだった。ほんの少し前に、適応障害で深刻さに襲われていた事が嘘みたいな時間だった。

 例えば、納骨前のお骨を事務所にて何人か預かっているが、忙しくて納骨に行けなくてとその話しをすると

「俺が行けばいいのなら行くよ。」

 と、言ってくれた。

 次回、来阪した時に行って貰おうと思う。


 12時に、長男は事務所を後にした。私は、三輪さんの運転で、奈良県境のリハビリテーション病院に向かった。

 入院している金銭管理を行っている患者へ東京から給与を持って、会社の人事担当者が来るので、患者に手渡すと同時に私が受け取る事になっていた。

 枚方市の大学病院に緊急入院して、退院支援をMSWから依頼されて困難な支援をする事になった。麻痺が残って、リハビリに奈良県境の病院に転院する事になった。成年後見審判申立を前提に支援が始まった。

 病院のMSWが、次々と資料を準備する。兎に角、多忙で病院内を移動する時に着いて行ったが、走らないと置いて行かれる。早い早い、テキパキテキパキ。

 押される。気持ちが押される。頑張って着いて行く。遅れない様に精一杯立ち向かう。毎日と言うくらいに、依頼を受けた案件の報告をしたり、手続き書類などの連絡が来たり。朝、必ず、その大学病院のMSWからのメールを確認する。

 そのリハビリテーション病院へ入院している患者の元に向かう前に、朝、新たな契約書を作成した。多くの借入金があったので、下手な契約は交わせない。最初は金銭管理のみ。今日作成したのが、「生前及び死後事務委任契約書」だ。

 借入金が確定して、収入もある程度見込める状態になったので、次の段階の契約書を作成した。金銭管理だけでは、代理的な作業が出来ないので、この日持参して本人に捺印して貰った。

 東京から6月分の給与を持って来た本社の人事の方と入り口で待ち合わせして、大学病院から送られて来た傷病手当申請をする為の資料を手渡した。直ぐに病棟へ行って、ご本人を呼んでもらって、持参した給与を手渡されて、一旦ご本人が手にした給与の封筒を直ぐに預かった。

 今日は、30万円を超える、自宅の撤去費用を私の口座から代行して業社に振り込んだ。

 儀式は10分も掛からない。直ぐに山を降りて、四條畷市、大東市を経由して門真市役所に入った。

 依頼されている退去支援の見積りを生活保護課に届けた。その仕事で今日は終わり。既に4時近くになっていた。やっと、昼食の席に着いた。イオンモールのフードコートに行って初めての「なか卯」に行った。

 その間、多くの電話が入っていた。守口市障がい者支援センターから居住支援の相談があった。四條畷市役所から、成年後見の問い合わせがあった。

 守口市障がい者通所施設から被保佐人の相続の件で打ち合わせする。

 明日明後日の予定も決まった。