被後見人死す、早朝の連絡から葬儀に向けた動き
早朝午前3時51分、枕元に置いてある2台の携帯電話のうち、個人の電話が鳴ったような思いがあって、目覚めて携帯電話を掴んだ時には呼び出し音は途絶えていた。
手に取って、発信先を確認した。市内のT総合病院からだと確認して、電話を掛けて来た理由を悟った。
被後見人が亡くなったのだ。どう駆け付けるか、考えた。折り返し掛けようと思ったが、何時に来られますか、と聞かれても返事が出来ないことに気付いて、折り返しするのはやめた。
しかし、程なく、再度電話が鳴った。午前4時になっていた。被後見人が入院している病院のフロア看護師さんだった。
「心拍が0になりました。これから、先生に死亡診断書を書いて頂きますが、何時に来られますか。」
「午前中には行けると思いますが、足がなくて向かえないのです。」
「そうですか。今日は日曜日なので、来られる時間に病院の入口の鍵を開けないといけないのでお聞きしました。」
自分では動けない、情け無い私だ。
深夜でもあるので、電話ではなくメールで三輪さんに簡単に、被後見人が亡くなった事と9時前までには病院へ行きたいと発信した。
しかし、メールに気付かないのか返事が来る事は無かった。
再度、病院から電話があった。聞かれた内容は同じで、私の返事もはっきり答えられない、同じだった。
私は、入院及び治療費などの支払いをしたかったので金額を聞こうとして、しかし、看護師からその質問せずとも、
「今日は日曜日で、事務所は休みですので費用の計算は明日以降になります。」
「それを聞こうと思ったんです。今日の午前中には行けると思ったんです。」
「それでは、今日は葬儀屋さんにご遺体をお渡しして、私どもだけで見送りさせて貰う事に致しましょうか。お支払いの方は、金額が分かり次第ご連絡します。」
それで、今日は向かわない事となった。
事前に葬儀屋さんに、今日の事態が生じた時には、とお願いしてあったので、メールで、私は病院に向かわない連絡をした。
三輪さんにもその事を伝えるメールを行った。
葬儀屋さんからメールがあって、9時に病院へ来る様に指示があったと言う。
実はこの総合病院で、私が死後事務委任契約を交わしていた1月に亡くなった方がいる。その際、遠方で会議を行っていた私に連絡が来たのは亡くなって亡骸が安置された時だった。
会議もそこそこに、示された住所地に向かった。それにしても、その示された住所地をよく通って分かっている場所で、葬儀所など見たことがない。
その場に着いても、見当たらない。可笑しいと思って、その住所にある荒んだ何十年も前の事務所みたいな家の上にある表示を見ると「〇〇葬儀社」表示されていた。
ガタガタとガラス戸を開けると、昭和初期にタイムスリップした様な、土間に古い机が処ろ狭しとピタっとくっ付いて並んであって、その上に訳の分からないファイルが積んであった。
ご遺体は見当たらない。聞くと、どうぞと言って案内されたのは近所のご自宅で民家。そこに祭壇があって、ご遺体が安置されていた。何だこれは、と初めて見る光景だった。
問題は、親族が危篤と聞いて北陸の交通の便が悪い中、一昼夜を掛けて駆けつけて来た野に行われたその葬儀社の態度。
親族が疲れて雪深い中、やっと着いた時には、既に亡くなっていた。その方に、葬儀社のおばさんが請求書を出して、いつ支払ってくれますか、と言ったのには驚いた。
危篤で駆け付けて来た田舎の人に非常識も甚だしい。その金額を見て、また、びっくり。何もしない葬儀も執り行わないのに40万円を超える金額が明記されていた。
誰が、田舎を出る際に40万円なんて持って出る訳がない。そこは、私が引き取って立て替えて支払った。驚きはそれだけではない。あのつい先程まで入院していた病院から電話があって、入院治療費を払ってくれ、いつ支払いに来るのか、と言って来た。
私が立て替え払いに行った。この日だけで50万円以上を立て替えた。それにしても、地域で信頼も名誉もある大病院が何でこんな扱いをする葬儀社に依頼をしたのか。
個人的に病院勤務者かケアマネジャーなど在宅サービス提供者と何らかの繋がりで依頼したのだろう。
高額な葬儀代も不審だ。これまでの経験から、この程度ならこの半額以下で済む。なので、今日亡くなった被後見人が数日前に余命いくばくもないと言われた時に、今日依頼した葬儀社を指定して病院担当者に連絡する様に念を押していた。
その甲斐あって、スムーズに事は運んだ。私が動けず、概ね葬儀社に依頼してご遺体引き取り、休日だがこの分野の窓口は開いて居る市役所へ行って貰って、火葬許可を取得して貰った。
その際、後見の登記事項証明書や私の立場などの証明を認められた。しかし、所持しているのは3カ月の期間を過ぎているものしか無い。市役所担当者と話して、今日は法務局が休みなのでそれで仕方ないと受け入れて貰った。
その後、誓約書を斎場宛作成して遺骨の処置の責任を私にある事を認める。
朝3時過ぎから夕方4時半まで、事務所や一旦マンションに戻っても、葬儀社からの連絡が来ると事務所に行き署名押印や登記事項証明書などの準備をして、今日のところは終えた。
火葬は13日、明日は、病院への支払い荷物の受け取り、施設内の明け渡しなど行う。家庭裁判所に提出する財産管理報告書作成が大変だ。
もっと問題が、潜在している。昨年家族が全員亡くなって相続人が居なくなった。しかし、財産が一般の人以上ある。加えて、生命保険が掛けてある。相続財産管理人の選任申立を起こさないといけない。
今日の手続きや報告を受けながら、昨年から1年にも満たない後見人の職務だったが、余りにも多くの対応があって何十年もの担当した様な感じだった。
昨年は連続して家族が亡くなった。相続手続きが連続して必要になった。
元気で面倒を見ていた実弟が心臓の病で、外で突然亡くなった。
各種支払いなどが履行出来ない期間が1年近くあって、膨大な督促状や請求書が無人の自宅に投函されていた。
相続物件の、実弟が使用していた高級車両が行方不明で探し回って、近くの駐車場に放置してあったのを発見する。しかし。相続手続きしないと廃車も出来ず、その手続きに辟易して投げ出したくなった。
実母が亡くなった時には、色々な宗教関係者が現れて葬儀や施設との処理手続きに取り仕切って来て、面倒な作業は進んで対処してくれるのでバランスの取った付き合いをした。
そんな事を思い出して、一段落した後熱いコーヒーを淹れて懐かしいフォークソングを1時間ほど聞いて心を落ち着かせた。
「贈る言葉」「青葉城恋歌」「池上線」「夢一夜」「渡瀬橋」「俺たちの旅」「青年は荒野を目指す」「案山子」「青春時代」「学生街の喫茶店」「結婚するって本当ですか」「風」「22才の別れ」「君と歩いた青春」「ささやかな人生」「二つの手の思い出」「真夜中のギター」、、、、、。
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