行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

相続手続き中に、相続人が亡くなった

10時から、特定非営利活動法人の成年後見事業の非常勤として勤務している行政書士の先生に、私が多忙なので相続関係の業務をお願いした。

 実は、私が相続と生前及び死後事務の受任をした方が、亡くなった。息子さんが亡くなった相続手続きを行って、財産の現金化が終わって引き渡す段階で依頼者である息子さんの相続人である母親が亡くなった。

 その財産を引き渡す時点で、財産は現金化前の証書であり受領代理人として私がなっていて、退院時に現金を受け取って依頼者に渡す事になっていた。

 お子さんが亡くなったのは、障がい者施設でだった。成年後見人が付いていた。その息子さんの何十年にも及ぶ障がい者年金が積み立てられて相当な額の年金が相続預金として成年後見人から母親の私への相続手続き依頼者に通帳で引き渡された。

 その息子さんが亡くなる直前に、未だ息子さんの存在を知らない前に、依頼者から、

 「自分のこれからの事が心配だ。」

 と、ケアマネジャーを通じて生前及び死後事務迄の契約を交わして欲しいとの依頼があった。

 実は、その一連の契約に至る入り口は、死後のことが心配だが収入は少ない年金のみで、それを賄う葬儀保険に加入したいとの相談だった。葬儀保険代理店になっているので資料を持参して説明した。

 その保険内容に、クレームがあった。毎年保険料が上がって行く掛け捨てであるので10年も掛ければ、預託金50万円の方がお得だとケアマネジャーが判断してその方向に向かった。

 しかし、今度は一括して払い込む預託金50万円はきついとの事で、別の案を示した。

 別案は、死後事務委任契約で、亡くなった時点の財産額の4%、或いは最低保証として10万円の高い方を報酬とする契約を締結した。

 早速、息子さんの預金の相続手続きを開始した。この時点で、相談があって一月程度だった。しかし、それからが大変だった。

 その亡くなったお子さんは、前夫とのお子様だった。その上、依頼者は再婚されて姓も変わっている。そうして、前夫との生活していたのは東海地方で、その後関西地方で一時生活していて、再婚の地が九州地方で、独り身となって生活の場を再び関西地方に定めた。

 その、生活の場を変える度に、当然の事ながら、住民票も戸籍も変更になっていた。

 必要な戸籍謄本を取り寄せるにも、各地に散らばっていて時間がかかりやっと手続きが終わって、現金受け取りをご本人が行く事になったが。処が、病に倒れて入院してしまった。最初の相談を受けて2ヵ月が経過していた。 

 現金をゆうちょ銀行に受け取りに行けないので、証書での受け取りにして頂き、代理人登録をして私が受け取りに行って、依頼者に手渡しする積もりだった。

 退院する日を待っていたが、ケアマネジャーから退院が厳しいと告げられた。慌てて、代理人としての「委任状」と「生前及び死後事務委任契約書」を作成してケアマネジャーに預けた。

 翌日、

 「文字が乱れていますが、何とか気力を振り絞って書いてもらいました。」

 と、言って「生前及び死後事務委任契約書」と「委任状」を頂いた。

 亡くなったのは、その翌日だった。

 最後まで、亡くなったお子さんの相続を受け取らないと、と言っていたと言う。

 私の手続きが、これから死後事務に移る。葬儀代、亡くなるまで入院していた医療費を直ぐに請求されたので50万円程立て替え払いした。

 加えて、遺品整理でこれも50万円近く立て替え、私への報酬や親族の葬儀出席への負担などの立て替えで一時120万円位を出費していた。

 その亡くなった依頼者の相続手続きを、当方に所属している非常勤行政書士に依頼した。代襲相続人が12人居たと言う。

 私が保管している相続財産の確認と引き継ぎを今日の10時から実施した。その引き継ぎ書を作成する為に、今日の朝から2時間ほど掛けて準備した。

 多忙で、準備していた関係資料の整理を一覧表と共に作成した。未だ、現金を手元に保管してあったので、私の立て替え金と報酬を頂いて、残金を持参して隣りのマンションの事務所にて引き継ぎを行った。 

 10時からお会いしたが積もる話しが先行して、最初の多くの時間は情報交換になって中々本題に移行出来なかった。

 12時を過ぎてからやっと、本題の引き継ぎを行なって、13時過ぎに事務所を出た。

 マンションに戻って、遅い昼食を摂って一眠りする。非常勤行政書士と引き継ぎ時に、息子さんが突然脳障害を引き起こし記憶喪失してしまった家族から電話が入った。

 その事態で投資や入出金が分からなくなったPCの開錠をするので息子が来阪する予定が、24日だった。その予定が奥様の癌の手術で25日に変更した。

 しかし、今度は息子さんの救急病院での治療が終わって、国立病院機構に転院することとなって、それが25日だという。

 なので、息子の滞在予定やスケジュールの変更はこれ以上出来なくなったので、白紙に戻した。

 夕方、長男から電話があった。私が、提供した名刺の見本の郵便番号が異なっていると連絡があった。そのついでに、お昼に電話があった訪問予定だったスケジュールの白紙化と、その空いた24日に私のいる事務所にてPCのセットアップなどをしてくれる様に依頼した。

 昨日は、夕方から今日の朝まで殆ど眠っていた。今日も、午後から眠っていた。