行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

精神病院の医療保護入院制度の危険

 世はGWと、この3年間のコロナ禍による蟄居生活の鬱憤を晴らすが如く、西に東にと動き始めた。

 私の方も、朝早くから色々とあって充実というか密度の濃い仕事や行動に午前午後共大忙しだった。

 未だ、朝の7時台に心身共に疲れ果てた長男から電話があった。現在の会社を退職してゆとりを持って、仕事の転換を図るように先日伝えていた。

 開口一番、

 「ダメです。」

 辞めるのがダメだと理解して、念を押した。

 「何がダメなの。」

 「あっ、すみません。仕事を続けるのが精神的にダメです。」

 「分かった。GW明けか、6月には戻るから打ち合わせしよう。」

 そう言って、私のサポートをして貰える方向になって来た。

 ミャンマーの技能実習生の関係については、やはり、東京支社長と顔を突き合わせて話しをする必要があり、息子に代理でお願い出来ればありがたい。

 近日中に帰省する時に、日本支社長に紹介しておこう。他の事業でも、東京本社との協議もある事から大幅に楽になるし進展も見込める。

 そんな波乱の幕開けの今日だった。直ぐに、PCのメールを確認すると、昨日、突然連絡があった元弁理士から雇用依頼のメールが何本もあった。

 履歴書や業務経歴書など添付して、何本もメールされていた。彼とは、以前、何度か商標登録などで関わったが、性格は良い印象も無かった。急に病的に怒り出したり、対応が大変だ。幾ら東京大学や京都大学の成績表を添付して来ても、学歴で仕事をする訳ではない。

 なので、統合失調症の症状を刺激しない様に表現に注意して真意を伝えた。

 それより、その結婚相手の淡路島の女性から深夜1時半にメールを頂いた。自分の余命と罹患している病名を頂き聞いた事のない名前を検索して、日本人には数少ない事例と知った。

 午後からも、大変な忙しさだった。行動的には、郵便本局から始まって納税手続きを取って三輪さんは税理士事務所に向かった。

 私は、三井住友銀行にて死後事務手続きの振込、続いて三菱UFJ銀行にて納税振替、立替金引出し。

 三輪さんと合流して、JA銀行にて死後事務の預金から振替阻止の為に残高金額のと同額引き出し、コンビニでの公共料金納付で一旦マンションに戻って昼食。

 1時に徒歩で総合病院へ向かい、予約の30分前に着く。午後眼科診察は予約のみなので、早いけど視野検査をしてくれた。半年毎に定期的な検査だ。

 終わって、徒歩で30分の死後事務手続きで関西みらい銀行で記帳手続きを行ってマンションに戻る。今日は1万歩を超えた。

 電話での業務も多々あり、多くの時間を消費する。眼科検診で病院内にいた時から、昨日の精神病院への強制収容について議員を通じて人権相談室に問い糺した波紋が浸透して連絡や報告が相次いだ。

 相談者から、泣き叫んで助けて下さい弁護士さんに頼んで下さい、と言われて議員に経緯の確認をお願いした。休みだった人権室直接の担当者から電話があった。相談者を任意入院として精神病院へ相談者を連れて行った方だ。

 相談者は、この方に騙されて連れてこられた、と言っている。しかし、この担当者は確かに任意入院言われて病院へ連れて来て、精神科精神保健福祉士が診察し、その場で強制力がある応急入院となって72時間拘束される事になったのは、自分でも唖然となったという。

 しかし、今知ったが応急入院が市長同意の医療保護入院に変わっていた。その経過を調べる時間を取った。

 この様な事案には、必ず保健所が関わって来るが、この日確認した時にその様な事が行われているのを初めて知ったという。

 続いて、自分が所属す人権相談室だが誰も知らない所で進められた様だ。誰が市長同意手続きをとったのか。何と障害福祉課が同意したという。その相談者が全く関わった事もない。サービスも認定も受けていない。

 何故、それなのに電話一本で市長同意の手続きが完了するのか。こんな事で一般市民が鍵の掛かった部屋に閉じ込められて、泣き叫んで助けてと言っても、自由になれないのか。それも人権相談室が入口に携わっていた。

 昼頃から奮闘虚しく、夕方5時頃に最終報告があって経緯と事実を知った。知ったが、聖域の医療、それも精神病院という一般的には実態を知る由もない隠されたカーテンの中を見る事は出来なかった。

 最後に人権室の担当者から言われたのは、

 「佐藤さんの、相談者の人権を守ろうという気持ちは大変ありがたいです。しかし、この分野は佐藤さん一人が動いても退院させる事は出来ない。精神病院の精神保健福祉士の判断で無ければ出来ない。本人自ら退院請求が出来ます。」

 「出来る、と言ってもそれを知らなければ要求できないでしょう。制度はあるでしょうが、当事者が知らなければ、意味が無いでしょう。」

 「病院内にポスターが貼ってあります。」

 「そんなポスター誰が見るんですか。本人に収容する時に伝えないと、権利行使が出来る事を最初に伝えないと分からないでしょう。」

 この期に及んで、何を言っているのか。

 でも、ここまでが一市民の出来る事の限界だった。

 

 家庭裁判所から電話があった。成年後見審判申立してから時間がかかり過ぎる。面談日程の打ち合わせだった。家庭裁判所が希望する日程は、5月18日午後又は19日午前、午後の選択を求められた。

 何と、今月の入っている予定が殆ど無い中で、18日の午後と19日の午後に予定が入っていた。残るは19日の午前中のみ。本人は、仕事があると言っていたが、休暇をとって貰う事にした。

 早速、家庭裁判所に連絡した。

 遺品整理が終わった死後事務委託者のUR団地内の部屋の鍵を返却して欲しい、と連絡があった。管理事務所返却ポストに入れて欲しいというが、そこに行くまで2時間は掛かる。郵送の道を探る事にした。

 依頼があって定期借地権付事業用土地



賃貸契約書を作成した。最初のチェックが終わって、修正した二度目の依頼者チェックと必要な情報を加筆して、公証役場へ予約の調整を行う。


 先週、訪問した息子さんが脳血管障害にて寝たきりになったので成年後見審判申立を行う事となって、戸籍謄本などの取り寄せをお願いしていた。

 朝、電話があってもう取得したとの事だった。GW中に伺って受け取りたいと思っている。