行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

今を振り返ると自分の過去に繋がる

 原因があって結果に繋がる、これからも繋がりがあるとすれば悠久にと願いたい。何だろう、思い出せばずっと以前に行っていた事が今に繋がっていたと思える。

 例えば、今、3法人と1士業を運用している。経営という観点からすると、全て黒字で無借金になっている。多くの補助金も頂いて、働く人の個人的能力に応じて力を発揮してくれる職務を与えて仕事をして貰っている。

 通常では考えられない一律ではない評価をして、強要はしない。マイナス評価はない。従業者が持っている能力を発揮してくれるだけでいい。それだけでは、収益という観点から見ると、上手くない。

 しかし、そこに私の持っているものをプラスする事で、結果に事業経営に繋がっている。それでいいのだ。無理せずに、将来に繋がれば良いと思っている。

 共通のスケールで測れば凹凸やプラスマイナスになって、格差を生み出す事になる。しかし、絶対的評価をする事でプラスになる。

 その考えや経営する能力は兼ね備わっていた訳ではない。30年間東京でサラリーマンをして、48歳で大阪に来て23年になる。大阪でマネジャーとなった。そのうち22年は株式会社の代表取締役、15年は特定非営利活動法人の代表理事、4年は一般社団法人の代表理事、3年は行政書士事務所の運営者で、全て現在進行形である。

 それまで組織運営の経験が無った私が、順調に経営していけるのは、それなりの経験が必要だと思って、自分の記憶を思い返すと突き当たるのは、21歳から13年間勤務した自動車関係の公益法人で過ごした時代に辿り着く。

 その公益法人での勤務は、今では考えられない経験を私にもたらした。最初の配属は教育事業部で、自動車関係の会社で働く人材教育で国家資格者を生み出す機会の提供だった。

 その経験が、この大阪に来た時に必要だったヘルパーさんや介護支援専門員などの養成講座や受験対策講座、職業訓練校運営などにつながって10年位で10億円は稼いだ。

 教育事業部は半年で、次は事業部へ移った。この重要な部署では以後異動することなく12年半、体調を崩して退職する迄勤めた。

 この新たな部署での業務は、法人監査が月の半分を占めていた。この若造が、毎日名だたる自動車会社を監査していた。東京都内にある支店や事業所の法に基づく監査である。

 その職務は、不正に対する姿勢や精神を醸成して行った。また、経営分析も行った。東京都の外郭団体である商工指導所と共同で電子計算機で行って、担当者である私が法人の決算書を分析した電子計算機が分析した各法人の問題点を抉り出していた。

 ただ、立場上、その分析結果の数字は出すが、改善点は公表しない。もし、具体的に示す通りに行なって改善しなければ、責任が問われるからだった。その指摘が私の記憶に残った。労働生産性と言う観点から考えて経営をする大切さを学んだ。

 業界内の、構造改善計画の担当者にもなって、国からの支捐金の配分や設備近代化に必要な資金調達と国庫からの補助金獲得の為に、当時の日本興業銀行、日本長期信用銀行、商工中金を訪問して国の指定を受けた構造改善計画に沿って対応を依頼した。

 計画の承認を得るための申請書作成も担ったた。現在の補助金申請などはこの経験が生かされていつしか慣れたものになった。これまで数億円に上ると思う。

 ここでの勤務期間中に多くの法人の各種申請書の作成や現地調査など行ったので、大阪にて新たな事業などを申請する事はさほど苦ではなかった。

 この事業部では、行政や国会議員などとの繋がりも必要で、何度も国会議員のもとを訪ねて行っていて、その繋がりで現在も必要がある時には国会議員会館に行って陳情したりしている。

 国家資格者への法定研修や受験対策研修なども行っていて、研修資料の原稿を書いて印刷会社に発注して、見積書を取って決定した。

 各区や市にある会館で1000人規模で年間40回くらい法定研修を企画して、講師も一部行って大きな収益を上げていたので、事業を黒字に持っていく経験をしていた。

 この時に、各種申請を通じで、色々な法的な事を学んで行政書士が行う業務に通じていて、この年に行政書士試験を受けて一発合格する。

 この合格が、現在の行政書士業務に通じて、多くの業務スキルと多くの出会いをもたらしている。今まで入り込むことも出来なかった分野に携わる事が出来るようになった。

 昨日の、車で片道2時間以上掛った泉南地域への主が不在となった死後事務委任者宅への立ち入り調査を行って、今後の各種手続きを行う為の貴重品、財産を得た。

 これから、住居明け渡しの準備に入る。遺品整理業者の見積もりは55万円だった。この調査に入る前に、UR団地内の管理センターに行って、ご本人死亡の届出と必要な各種必要書類を相続人不在なので死後事務受任者として代理作成した。

 今日は、同じ泉南地域の2ヶ所の市役所を巡って死後事務委任契約に基づいて、必要な手続きを午前中に1ヶ所、午後に1ヶ所にて行った。

 その後、電話で隣接する市役所から連絡があった。立ち退き対象者の転居手続きを行う過程で、生活保護費からの支出について、何度も電話があったので、訪問して生活保護課職員と協議した。

 電話でも、多くの高齢者が入居する施設の施設長より電話があって保証人事業への利用について、契約に向けた日程調整を行った。

 次の電話が、大学附属病院のMSWから制度の対象とならない案件の相談があって、わたしが運営する事業所の紹介をして良いかと問い合わせ



があった。

 被保佐人が入所している老人保健施設担当ケアマネジャーより電話があって、ご本人の体調が徐々に衰えて来て、これまで出来た自分での食事摂取が出来なくなり、座位確保も継続して取ることが出来なくなった、と。

 早く施設に弁護士と訪問して、危急時遺言の作成が必要だと強く感じて来た。

 先日、新大阪駅にて面談したミャンマー連邦共和国で人材派遣を行っている法人の日本支社長と面談したが、この日、連絡があって受け入れる日本側の組合設置の関係資料を送ったとの事。