行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

初めて仕事に就いての記憶

 私の仕事の変遷の話し。18歳の年に高校を卒業してから最初に就職したのが、clockのメーカーで配属先は企画部原価計算課だった。

 clockの蔵出し価格及び卸価格を決める為に何千という部品一つ一つの原価を計算して、金型やネジ、モーター、針などを発注する。

 その際、何個生産するか何個販売するか根拠のない予測を立てて、原価を出す。その蔵出し価格も一定の生産でのロスを勘案して卸価格も決める。

 各パーツが出来て納入されれて来たら、組み立ての生産に移行する。幾つかの生産拠点があって、私は川崎市の本社と工場が併設していた事務所にいた。

 一番の印象は、clockの干支に当時漫画で読者の多かった「赤き血のイレブン」の作者の作業場に行ってセル画を受け取って来た事だった。

 初めて道順や電車の乗り換えを上司に教えて貰って、

 「ゆっくりして来い。」

 と、言われて何処に行ったのかはっきりと覚えていないが、多分、浦和だと思う。

 会社のあった、今は川崎市高津区溝ノ口から当時の田園都市線で、大井町駅まで行って京浜東北線に乗り換えて、浦和迄行った。

 帰りに、新橋駅で降りて駅横にあった「吉野家」に入って牛丼の並を食べた時の美味しさは今でも忘れられない。以後、牛丼は「吉野家」にしか入らない。

 美味しかった、といえばもう一つ。その会社で働きながら、会社が終わって田園都市線に乗って大岡山で池上線に乗り換えて、蒲田駅で降りて専門学校に通っていた。「日本電子工学院」である。

 未だ仙台にて高校3年生の時に、何処に就職するか悩んでいた。仙台に留まって母親の側で働いて少しでも楽をさせてあげるか。

 その当時、私は定期的に毎月「高校3年生コース」「高校3年生時代」と言う雑誌を毎月読んでいた。その中の記事に、これからは電子計算機というものが世の中で必須になると言うのに感化された。

 その専門学校は、未だそれ程存在していなかった。結果、仙台を後にして東京方面に出てしまう訳である。手取りの3割くらいを毎月の月謝として負担して、通学した。

 後日、あの名曲「池上線」がヒットして感慨深い。緑色の東急電鉄の車体で、終点蒲田駅に着いて、少しの時間があるので飲食店に入って「カレーライス」を食べた時の、その美味しかったこと。

 同じ蒲田で、カレーライス以外にもと「ラーメン」を食べてこれも美味しくて美味しくて、目の前にあったニンニクを入れるのも恥ずかしい思いがして、思い切ってニンニクを入れるまでに相当時間が掛かった。

 そんな時代を経て修了する時には一端のエンジニア、とは行かなかった。当時は、電子計算機と呼ばれて、日本のメーカーは日本電機NEC、東芝電機、三菱電機、など6社くらいあった。

 それぞれのメーカーごとに言語が異なって、会社が使って居る電子計算機メーカーの言語を覚えないといけない。畳一畳分くらいの大きさの電子計算機で、操作するモニターが巨大なパネルだった。

 残ったのは、教科書だけだった。頭の中には何も残らず、時間と金銭を失って得たものは、自分は機器の操作や高度な能力を得るのが無理な注文だと自覚出来た事だ。

 その後、十数年後に息子が小学4年生の時に未だWindowsができる前で、70万円でデスクトップ型のコンピュータを買って息子に与えた。私の弟が操作を教えてあげて、それがキッカケで、その10年後長男が秋葉原でコンピュータのパーツを買って来て自家製のコンピュータを作ってくれた。

 それで練習して、私はやっとコンピュータを操作できる様になった。長男はシステムエンジニアとなり次男はプログラマーとなって今でも、親が全く縁のない仕事に就いている。

 と言うわけで、私は時代遅れの書く、聞く、動く、会うなどを仕事にしている。

 今日は、午前午後の予定が全てキャンセルになって、良い方向に動いた。午後1番の業務が終わってから出かける予定が、何も無くなったので午後一番でスタート出来た。

 死後事務の手続きのうち、URの部屋の遺品整理の前のチェックと退去手続きを管理事務所にて行った。

 亡くなった方の部屋に入って、惨状に声も出ない。もう一つは、誰かは知っているが、大事なものが引き出し事無くなっている。家にあるはずの物がなくなっている。怒りが、言葉になって尽きない。

 その間、生活自立支援センター支援員から電話があった。家を退去し転居しなければならない要配慮者から相談があって、入居条件の保証人が必要なら短期の支援として保証人になっても良いと言っていた。

 それは、退去する迄の期間が無く緊急を要するので、配慮がして言ったが短期間でと言う言葉は無視して保証人になってくれるという事だけ要求して来た。

 呆れ果てるのは、短期間という事を強調すると、

 「短期間でも、賃貸契約書には名前はそのまま残されるのですね、」

 「バカな。契約書に名前が残ったら保証する義務が残るでしょう。本当はやりたくないんですよ。あの方は信用が出来ない。他を探すとか、保証会社に頼んだ方が良いと思います。」

 と言って、自分の都合の良い所だけ抜き出して、人の言葉を悪用する大阪人に怒りが込み上げる。