行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

私の人生とお金の話し

 自分のお金にまつわる話し。生まれて直ぐの数年はお金はあった様だ。家族、と言っても母親と兄との記念写真や七五三の写真が残って居る。 

 しかし、小学生になった頃から、没落が始まって、逃げる様に引越しを繰り返した記憶はある。私が就職して神奈川県川崎市に出る頃には最悪の時期を迎えて居た。

 納屋の様な家に一家7人で住む訳である。母親が昼夜問わず働きに働いて居て、その姿を見て育った。父親は世間でよくある話しで、酒を飲んだくれて借金を繰り返して、借金取りがよく来て居たのを覚えて居る。

 後ろ髪を引かれる思いで、故郷仙台を離れて川崎市に就職した。母親がやっとの思いで買って送ってくれた寮に届いた布団は薄くて、初めての夜は布団を掛けても毛布も無くて寒くて震えて、眠れず母親に感謝とこの貧乏から抜け出す思いを忘れない様に、と胸に刻むには最高のシュチエーションだった。

 よくある東北からの低学歴の田舎者が東京に出て転落して行く一つの方程式に沿って、最初の会社を2年足らずで辞めて、次の会社が1週間も満たず、実際に働いたのは2日だけで、呼びに来た会社の人の指示に従わず、欠勤数日で退職。

 次は、3ヶ月持ったが、やっぱり退職してアルバイトに。働きが悪いと、一月も持たずに解雇された。

 この間、金銭的にも全く余裕が無く、先輩や同級生から借金をしては、分割払いで返済して他人の稼いだ金を回して居るだけで、段々と借金が膨らんで来て、危機感を感じて雇用保険の支度金という就職一時金を得て、借入をチャラにした。

 真面目に働き始めて、やっと人並みの生活が出来るようになって故郷を出て6年目に結婚して、母親に東京に来て貰って少しは親孝行が出来た。

 その間、川崎市から東京都大田区に転居して、数日で品川区に転居する。その後北区に越して、子供が産まれて千葉県松戸市にマンションを購入したのが故郷を離れて丁度10年目だった。

 働き過ぎて、加えてヘビースモーカーが身体を蝕んで心臓に異常が現れて退職した。安定した生活から一転して、ハローワークに通う生活を経て自営業に挑戦しながら1年でギブアップする。自営業を営みながら、副業を幾つも兼業して収入だけは何とか確保する。

 マンション購入して7年目で、バブルが始まったので高額で売却して埼玉県大宮市に5000万円近くの高額な一戸建てを購入して転居したのは35歳の時であった。ギリギリの生活を続けて自営業を断念して転職していた。

 またまた一生懸命に働くが、今度は肝臓に異常が見つかって、同時にバブルが弾けて企業業績も悪化の一途を辿る。

 13年間勤務した会社の希望退職に応じて、その多額の退職金で残債を清算して身軽になったが、世に中は不況に陥っていて簡単に転職は出来ず職も失った。

 故郷仙台を出て20年過ぎて47歳になっていた。退職金で預貯金が今までで一番所持していたが、職は失っていて収入は雇用保険に頼っていた。

 予定通り職業訓練校に通って介護の資格を取得したのは、介護保険制度が始まる直前だった。請われて、未知の大阪に向かったのが48歳の時でここから苦難の時が始まる。

 大阪に来て貧困者となって、まともに食事も出来ずに、100円のおにぎりを買うのも躊躇していて1日2食が普通だった。例に漏れず、オーナーから退職を強要されて埼玉に帰郷する事にしたが、周りの人に思いとどまる様に言われて、独立した。

 49歳の時だった。直ぐに詐欺に遭って、2000万円近くと信用を失った。しかし、その処理が信用を生んで、起業3年目で1億の売り上げを記録して5年目で3億の売上を記録した。

 身体も蝕まれて行くが、何とか直接処遇から経営と専門職の支援員、成年後見などに身を置く身体を労った職に特化。

 売上の1割を自分の報酬にする事にして、20年で50億円売り上げた1割を得ていつの間にか、余裕ある生活が出来る様になった。

 経営はそのままで、自分がコロナ禍を機に行政書士を行う事にして38年前に取得した資格を活かして、年金をある程度支給される様に報酬を引く下げて今に至って居る。

 それで、昨年に続いて申告期限を過ぎてからやっと今日確定申告書を作成したが、昨年の申告でも多額の税金を追加納付をしたが、今年も予定納付をしても追加も合わせて60万円位の税金を納める。

 住民税と合わせると200万円位の納税になる。年収3000万円を超える時もあったが、所得税と住民税を合わせ600万円を超えた時もあった。

 この間も、多くの雇用した人間の問題があって多額の1000万単位の出費があったりしたが、その時の心境は余り深刻になった事はない。

 今回もそんな事案が発生したが、面倒だという思いの方が強くて、顧問弁護士に時間をとって貰ったが、他の案件と合わせて、来月3日に予定した。

 相手も無理な話しを作って居るのだ。業績が悪化して居るのだろうから、先ずは振込手続きを行って置いて後処理につなぐ事にした。

 面倒な






事に時間を取られるのが一番嫌な事で、朝その手続きを取った。サラリーマンの年収程度だが、いつも詐欺やトラブルに巻き込まれて金銭で解決していた。

 これまでも多々遭ったトラブルに顧問の弁護士が対処して撃退して貰ったが、ここ何年かは、最初から和解を勧められる事が多くなった。非常に不満だ。

 雨が朝から降り続いていた。成年後見審判申立ての医師の診断書が適切ではなかったので、家庭裁判所から再提出を求められていて、再作成されたとの連絡に受け取りに申立人の支援者である地域生活支援センターの管理者宛受け取りに行った。