住宅供給公社セミナー不完全燃焼
この度くらい、構成者というかプロデュースという役割の重要性が嫌というほど感じたセミナーは無かった。
無事、何とか住宅供給公社でのセミナーは終えた。終えたけれど、全く納得出来る出来栄えでは無かった。三輪さんに帰りの車の中でずっと愚痴っていたと思う。
大体、最初から、余りの多くのテーマなのに時間が短過ぎて最初からそれを伝えていた。これが撮影されて、公社入居者全2万戸に配信されると言うが、とんでもないことになった。
ただ終わってから、セミナー参加者から自分の現状終活報告や、
「大変為になったお話しを聞かせて頂き、ありがとうございました。自分は、脳梗塞で麻痺が残って、、、、、、。」
などとお話しして頂きました。
そんなセミナー参加者の言葉に助けられたと思います。
公社担当者が、イノベーション新規事業開発部とか立派な部署でありながら、一体どんな勉強や経験をして大事な入居者の生活を支えているのか自覚をもう少し強く持って欲しい。
ハッキリ言って構成者としての経験を積んで欲しい、という気持ちを抱いた。
朝は強い雨降りだった。何も、よりにもよってこんな大事な日に寒の戻りの上に冷たい雨降り、それも強い。
一抹の不安を抱えて、いつもの時間に起きて出勤の準備をして落ち着かせた。と、言うのはやはり今日のセミナーが気になっているのか、血圧がここ何年かで見たこともない数値になっていたからだ。
朝の測定で150-100。脈拍97。別に何の異常感覚もないのが救いだった。前日から、上は25、下は22、脈拍は20高かった。相当気になっているのか。自分でもそう思っていた。
出勤する、未だ、6時台で出発まで4時間以上あるので、今日まで全く試行していなかった資料都合74ページの通しが何度か出来ると思った。
携帯電話のストップウォッチ機能で時間を測った。通常で行けばこのボリュームは、依頼されている時間の4倍は掛かる。それを何度か言っていたのだが、変更は無い。無いどころか、中身の時間配分も言って来た。
馬鹿げている。一体、何を考えているのか。セミナーに来てくれる方の立場になって考えているのか。
例えば、事務委任・任意後見契約、財産管理契約、遺言、死後事務委任契約、などの説明が合計で10分とか日常生活支援、介護サービス、自費サービスの具体的内容や料金、サービス支援団体などに10分、終活としてエンディングノートの活用に10分などと。
資料の準備でも、そのサービス提供のお話しでは20ページくらいある。社会福祉協議会、NPO法人、社会福祉法人、生活協同組合、シルバー人材センター、そうして市役所や民間企業までその特色や提供するサービスでも、貧困や障害、介護を受けているのが条件だし、その障害や介護程度や収入で負担割合が異なっている。
その内容をわかり易く説明するのに、何でこんな短時間に割って指定できるんだ、と怒りが込み上げて断ることを考えた時期もあった。しかし、努力する前から短気を起こしては行けないと私も大人になった、と自分に感心しながらこの日を迎えた。
気を入れて、なるべく余分な部分は削って最初の通しを行った。公社の想定時間の4倍を2倍に縮めた。それにしても、大事な部分を特に時間を掛けて説明を要する部分を削った。
救いは、カラーの私の作った資料を参加者全員に配布してくれると言う事だったので、少しは安心だった。
次の通しには、遂に希望通りの時間に抑え込んだ。多くの内容を削除して、時間が満足なんて意味がない。それでも、通して数度行った予行演習に安心感が出来て熱いコーヒーを淹れて一息ついた。
その後、二度行って10時半になった。ひと息入れたが、いつもの歌を聴くのは控えた。この身体の中に落とし込んだシナリオを失うような気がしたからだ。
三輪さんの運転で事務所を出発する。守口市から、車で1時間半豊中市にある千里ヶ丘ニュータウン大阪住宅供給公社の集合住宅集会所に近い指定駐車場に着いた。
雨は止んでいた。外に出て深呼吸して、近隣を散歩していた。そうすると、突然、声を掛けられた。相当な年齢の様子。何故か、最初の話は自分が何故このルートを歩いているのか説明をし始めた。
「今、お腹がすいたのでマクドに行って食べて来た。90歳の人が働いていた。求人募集でも90歳迄と看板が出ていた。」
などから始まって、
「自分は福島県須賀川市出身で川崎市の東芝に就職して結婚して茨木市に転勤して、この大阪には合わない。」
などと言い出して、
「旦那が酒もタバコしないのに76歳で亡くなった。甘い物が大好きで、、、、。」
話が長いのは、誰かと話しがしたいからだと理解して共通の東北出身や群馬に娘が住んでいてなどと、聞いていた。
公社職員との待ち合わせ時間がオーバーして迎えに来たが、地域の住民と話しをしているので、それを見て戻って行く。
尚も話し込んでいるので、公社職員は三輪さんを通じて催促して来る。三輪さんは何度もメールして来る。全然動く気配が無いので堪りかねて迎えに来る。
しかし、ミイラ取りがミイラになる。捕まってしまって、話に加わっていた。ようやく、言葉を遮って終えて会場に向かう。
入って直ぐに、主宰の会長が来て、預かっていると言って大きな封筒を開ける。名刺と会報らしき物が数冊と各種パンフレットなどが入っていた。
名刺の名前は記憶が薄いが、見覚えがある認定NPO法人理事長の名前。思い出した。以前の名前は大阪府老人大学校で、特定NPO法人に衣替えしたようだ。
何千人と言う会員数を要していて、大阪府下全域に網羅する会員を擁しているので、もしかして私が考える各地域で活動する人材育成事業と活動の一助になるかも知れないと思った。
チャンスは巡って来る様だ。その理事長は私が行っていた人材育成の生徒だった人物だ。もう10年以上経過しているかも知れない。
後から、今回の集合住宅でのイベント主宰の代表に聞くと、私が講師で来るとお話ししてこれを渡してくれと言われて預かったと言っていた。
30分前には観衆0だったが、スタート時間には満席の上に後ろに追加の席が設けられた。嬉しい限りだった。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。