行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

60年前に思いを馳せて

 午前中は、なるべく事務所にて本職の事務処理業務をする事にしているが、最近は遠方からの依頼や午前中でのリクエストが多くなったので、基本方針が崩れつつある。

 その午前中に仕事を事務所にて行う際には、午前12時迄と概ね決めている。マンションに戻って昼食を頂く。朝は、この冬の間は暗いうちに動くのは危険な事が多いので、7時位に会社に着くようにしている。

 夏期は1時間くらい早くなって、6時位に事務所に着く。この大阪に来て5年位は夏冬関係なく5時には出勤していた。

 その午前中のお昼前、丁度キリの良い時間に一段落させてYouTubeで懐かしい歌を流して、昔の自分に戻って郷愁感に浸っている。

 いつも最初に聴く曲を検索してから、展開して行く。昨年末頃は、都はるみの「夫婦坂」だった。それから、「好きになった人」に繋げてその曲がヒットした時代の色んなシンガーの曲を聴く。

 その前は、我が郷土宮城県出身の中村雅俊の「俺たちの旅」から始まって、仙台でヒットした曲を聴く。「おもいでの仙台」や「二人の仙台」を聴く。何度聞いても、仙台で過ごした若い日の日々に想いを馳せているので飽きることはない。

 最近は、桂銀淑の歌か、美空ひばりの「乱れ髪」からスタートする。段々と、自分が仙台で過ごした時代に戻って行く。

 中学生になったばかりの昭和42年の時の記憶があり、沢田研二がボーカルのザ・タイガースがデビューして仙台に来ていたのかどうかは知らないが、ラジオで流れていたのを日曜日の朝に聞いていた。

 丁度日曜日だったので、「モナリザの微笑」の歌詞と同じだと印象に残っていた。この中学1年生から家を出て一人住まいを始めた。

 家貧しくて、その原因は父親の働かず酒を煽るどこにでもあった貧乏人の典型的な家庭にあった。小さい時から、何とかしたい気持ちは、自分が出来る事をしたいと、その想いを剣道という部活や学習に向かった。

 母親が昼夜を問わず働き詰めだったので、何とか自慢して欲しい気持ちを持って欲しかった。剣道の部活ではそれなりの活躍をしたが、大会に来て欲しいと願ったが、仕事を休めず来ることは無かった。

 学習も、成績を父兄に伝える父兄会に一度だけ来てくれて、先生に母親が褒められて自慢出来る結果だったので至極喜んでくれたが、やっぱり一度だけで、それ以後は仕事で来ることはなかった。

 段々と、父親に殺意に近い感情を抱く自分の姿を母親は感じて、私を家庭から遠方に移した。男5人兄弟を家から独立させる迄、母親は辛苦の人生を選択することで親としての立場を全うした。

 18歳まで過ごした仙台は、私が母親と過ごした故郷であり、自分を作り上げた全てなのでその思い出に浸る事が日々あるのだ。

 その思い出を辿るには、歌を聴く事で成し遂げられる。自分が一番最初に手に入れたレコードは、ペギー葉山さんの「学生時代」だった。

 学生で過ごした時代は、小学校から高校時代まで思い出が一杯詰まっている。嫌な思い出は殆どない。今の様なイジメなど自分には無かった。優しい人を思いやる気持ちの持ち主ばかりで、有能な同級生が沢山いた。

 甘酸っぱい青春時代を、同級生のお陰で作る事が出来た。同級生がヒット曲のレコードをいち早く買って来て、聴く様に貸してくれた。ザ・ブロード・サイド・フォー「若者たち」ザ・サベージ「この手のひらに愛を」などの歌を頻繁に聞いて、学生時代を楽しく過ごす事が出来た。

 一方、受験という戦いを強いられた同級生のノイローゼや自殺などが進級するに従って見るようになって、暗い事もあった。

 家が私の負担をする程の余裕はなく、働くことに何の躊躇いもなかったので、地元か家を出るか悩んで母親には申し訳ない選択だったが、上京することにした。

 由紀さおり「夜明けのスキャット」が毎夜ラジオで流れていた。ザ・シューベルツ「風」が自分のことの様に感傷的な気持ちにさせていた。フォーククルセダーズ「悲しくてやりきれない」「青年は荒野をめざす」などがあったが、今でも自分が一番好きな歌はと聞かれれば答える「あの素晴らしい愛をもう一度」を何度聞いたことか。

 深夜放送もよく聞いていた。落合恵子さんや愛川欽也など。本も加藤諦三のを好んで読んだ。学園ものの単行本も学校で回し読みをしていて貪る様に読んでいた。

 「高校時代」や「高校コース」も毎月欠かさず、発売を待ち遠しく読み漁って、そこにある全国の生活や同じ年代の人の生活や思いを知った。

 その中にあった各地の風景を写したカラー写真を見ながら、まだ見ぬ土地に想いを馳せた。18歳から全国を巡る事が自分の命題の様に、時間を見ては出かける様になった。

 段々と、仕事で駆け巡る様になって、今でも続いている。コロナ禍の起こる前年に、香川県に足を踏み入れて全国制覇を果たした。

 自分にとって、あの高校時代に見た小説の視覚化した写真「尾道」で林芙美子「放浪記」そこに添えられていた「海が見えた海が見える」で始まる文章が50年経っても記憶に残っていたので、尾道を訪れて林芙美子像と写真に収まった時には感激して何枚も写した。

 思いは、果てしなくいつも短時間だが、個人事務所で思い出に浸る時間があるから、故郷仙台に戻らなくても、気持ちは戻っている。夢は枯れ野を駆け巡る。

 

 この日は、朝から午前中一杯溜まっていた事務処理を一心に行って、少しは満足できる程度終えた。