行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

 もの悲しい、孤立した方の遺品整理。

  普段の死後事務委任契約に基づく残置物を含む遺品整理は、専門の業者に依頼している。しかし、午後からの残地物処理対応は、私と事務員の三輪さんで行なった。
 突然の難病に襲われて、入院手術後自宅療養を余儀なくされたが、直る見込みが無いことは直接主治医から告げられる事が無くても、薄々認識していたようだ。
 しかし、その時が来るまでの生活は送らないといけない。故あって、離縁していて身近な唯一の兄弟は障害を得て、余命のカウントダウンが為されている死後事務委任者自らが、例えば各種申請書の作成とかを支援していた。
 自宅がマンションの2階でエレベーターが無い。生きる為の衣食住のうち、食は買い物が必要になる。症状が険しく階段を降りられない。ましてや上る事は自身では何時間掛かるか。人の手を借りるのには、当然のことながら負担が発生する。
 その行状を見かねて知人を通じて私への適切な制度の運用や支援契約の相談があった。取り合えず、生活域の市役所へ制度相談をして特定疾病での介護保険、病院で診断書を書いて貰って障碍者支援の利用を勧めたが、自分では動けない。
 周辺にお願いする人が人がいない。生活の全面的な支援の出来る医療機関に直結している施設の探索を通院している大学附属病院が行う。見つからない。
 介護保険適用の65歳にはまだ大分ある50代だ。特定疾病には至らない。障害認定のレベルでは、充分な支援に至る程度では無い、という判定。その判定を聞いて驚いた。大学附属病院に赴いて、担当MSWに問い質した。これまでの経過を視覚化して貰って、説明を受けた。あれほどの症状でも、この日本では公的な支援を受けられない、という現実に衝撃を受けた。
 私のルートで、面談翌日に医療機関が運営する住宅型有料老人ホームに入居して、総合病院が敷地内にあって、本人も言葉に出して「安心した」生活が始まった。
 主治医の見立てで、死後事務委任者として私へ余命1年以内と告げられた。この時に、私の思いは1年あると勝手に思って、死後事務の依頼内容の詳細を少しずつ聞いていた。やはり、生ある限りはその意思を尊重して、死が現実化しないように気遣いながら傾聴するのは中々出来ない。
 それが、入居後2ヶ月弱で緊急入院、直後急死してしまった。持病と新たな病の関わりが死に至らせてしまった、という。コロナ感染でもそうだが、やはり、持病はいざとなったら生命に大きな作用をもたらす。
 その施設に行って、僅かな遺品の受け取りを行なった。
 余りにも少ない身の周り品だけで、人生が終わりを告げたもの悲しさが漂っていた。
 これから、死後事務委任契約に基づいて、長い期間を要する多くの手続きが待っている。