行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

がんサバイバーの社員とのこと

  7年目に入ったがんサバイバーの社員が、2カ月ぶりに姿を現した。実は、この数週間前にメールが来ていた。先月末のことだ。
『長い事迷惑かけてます🙇
今日検査だったのですが又退院時より少し小さくなってるそうです😊
相談したい事が色々ありますので事務所へ行っても良いでしょか。
日時は○○さんに合わせますのでいつでも大丈夫です。
月末の忙しい時にすみませんが宜しくお願いします。』
 このメールを見て、色々と相談したいこととは、多分、彼女の気持ちとしてけじめをつける意味で、退職したい、と申し出るのは予想がついた。これまで、ガンに罹患している知った時、長期入院療養を自宅で過ごしていた時、その時々に自分の勤務状態を見て、私に申し出て来る。
 しかし、最初の入院前夜、泣きながら、私とずっと仕事をしたい、と言っていた光景が忘れられずに、いつまでも続けられることなら私が倒れるまで続けたいと決心した。
 創業は、彼女ともう一人の社員と3人で2001年に行った。お陰様で、彼女らの活躍で素晴らしい法人を作る事が出来た。しかし、彼女は7年前に、突如、がんサバイバーになってしまった。
 だからと言って、彼女を手放す訳には行かない。私の沽券に関わる。彼女あってのこの会社だと言っても過言ではない。それは、最近特に思う。この後のメールでも、出勤が極端に少なくなって、月10日程度しか出勤できない、と言って来た。そんなのなんとも思っていない。彼女の名前が社員台帳から消えると、この会社も消える。それは、私が一番知っている。主柱の彼女の退職する意思を如何に回避させるか考えた。
 そこで、会いたいと言っても面談は引き延ばした。その伸ばしの伸ばし面談に臨んだのが、この日だった。
 数か月ぶりに、彼女の職場の一つである事務所で会う彼女は、すこぶる元気でがんサバイバーとして闘っているような風に見えないところが、彼女の真骨頂だ。しかし、息せき切って肺がんの状態を隠すことは出来ずに、部屋に入るなり床にへたり込んだ。頭髪は完全に抜け落ちてかつらを使用していると言っていた。
 息が整って落ち着きを取り戻してから彼女には言葉を発しないように、次々と彼女にして欲しい仕事の話をした。頼みたい仕事として、幾つか上げてお願いした。ずっと、そうしている。これまで、多くの依頼を受けて八面六臂の活躍をしていたが、いまは、そうはいかない。事務所で、自宅でできる仕事を得てお願いしている。
 そのうえで、今後の入院予定などを聞いた。確かに、彼女にとっては申し訳ない気持ちが先に立つのだろうが、8月は前半10日間、後半の10日間は入院加療で特別に与えている休暇だ。私の判断で、欠勤にしない処理をしている。彼女が、この会社の創成期に身を粉にして頂いた、その御礼の気持ちもあるが、そんな生易しいものではない。
 中間の10日間の勤務で十分だ。給与の下げるどころか、4月にも昇給した。彼女は、私が立ち上げた時にもう一人の彼女と一緒に、安心して働いていた組織を捨てて東京から来たばかりの訳の分からない男に着いて来たのだ。そのことを忘れてはいけなと、いつも思って生きている。そうしなければ、自分の気持ちが収まらない。
 収益が好調で、高額な利益が上がっていることを告げて、彼女が勤務できないという気持の負担を解消し、この会社があるのはお前の力だ、と伝えて、気持ちを仕事するという方向に切り替えて貰った。来た時に、私が単身赴任だということからお菓子やら、牛筋カレーを作って来てくれた。
 「抗がん剤の副作用で、味が全く分からないので、旦那に味見して貰いました。何を食べても、苦い味がします。」
と、言っていた。
 掛ける言葉も見つからない。
 30分程度の積りでいたが、長くなった。気付いたら、いつものことだが2時間を超えていた。本来なら、食事でもとなるのだが、このコロナ禍では回避するほかない。
 段々と、仕事をお願いして、やる気が出てきたようで私自身も力強い援軍が来た、と思って有難かった。
 メールで言って来た、相談したい沢山のこと、は全く一言もなかった。
 私は自分が出来る、ことをやってみたいと今でも思っている。少しでも、他者が必要なことを積み重ねて行きたい。