行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

受付拒否の連続に、ガックシ

 5月1日、早いものだが新たな月を迎えて、木を入れて今月も頑張るぞ、と思って会社に出かけた。PCの前に座っていつものようにメールから見始める。長男とのホットラインが行きがかり上、最初に見る。

 続いて、予備的な私の名をアドレスに流用したメールで、時々、大事な内容や宛先からのメールがある。

 次は、特定非営利活動法人のメールだ。法人後見として家庭裁判所、医療機関や行政からの大事なメールが来るが、数年前からイタズラメールが多くなって、毎日記録していたホームページのブログを止めた。

 法人後見事業の先駆けであり長い歴史があるので、時世もあって活況を呈している。その記録が掲載されるのを、覚悟はしていたが嫌がらせメールがホームページを通して多発するようになった。

 そこで、面倒なので高齢者集合施設と合わせて止めた。これが、お望みなのだろう。そんな事をしても、それらの人たちのお客様が増える訳でも無いのに、何が面白いのか理解出来ないと可哀想な人たちだと思っていた。

 そうして、2月くらいから大量に迷惑メールが届くようになった。放って置けば、1日2000通くらい受信ポストに蓄積される。日課呈してして朝は20通位迷惑メールとして削除するが、意味の無い事だと思っている。もう既に4万通位削除した。

 中に、重要なメールがあるので、慎重に処理している。

 そうしてメインのメールアドレスが、最後に残っている。全ての外部との遣り取りは、このメインアドレスで、1日200通前後が着信している。その一つ一つをチェックして、不要なものは削除する。

 そのメインアドレスに、やっぱりな、と思った大阪府からの残念なメールがあった。ここ1週間、毎日少しずつ作成していて、締切の昨日申請した居住支援連携促進事業補助金について、条件に該当せず受け付けられない、との事だった。

 大阪府には57区市町村があって、国として令和8年までに半数の区市町村に居住支援協議会を設置する指導を行っており、その支援策として補助金を出して協議会を作る活動を支援する事になった。

 対象が3年間の支援で、事業がスタートして今年で3年目だった。この間、目的の居住支援協議会が発足したのは、一昨年度1市と昨年度当市である。

 今年度が最終年度で、共同提案事業者の意見を聞いて最終年度で燃え尽きたいとの気持ちを聞いて申請書の作成を受け持った。自分としては、これまでの2年間より事業案は最高の出来で、協議会に必要な人材育成やレベルアップのプランだった。

 この度の機会には、補助金申請条件に阻まれたが上位の国土交通省の居住支援協議会への補助金事業の対象にはなるので、当該協議会活動に組み込んで行う事や全国居住支援法人協議会大阪拠点事務局にもなっているし、その運用機会にも機会があるので、その旨を共同運用事業者へ通知して、自分達の人材育成事業案は実行するのは、機会を変えて実行するとした。

 そんな対応をしている中、今度は大阪府のべつの部署から電話があった。行政オンラインを通じて申請した処遇改善の件だった。提出された様式が異なるとの事だった。この件に関しては、先週、事業所管理者から、大阪府担当部署から未提出との連絡があったので、今日出勤してから直ぐに提出した。

 処遇改善の申請は。毎年新たな制度が生まれて、その都度、沢山の同じような名称の申請書を作成している。今回も、バラバラなのを一元化するとの事だった。

 処が、計画書や申請書、届出書などと共に支援や臨時等の文言が入っていたり、補助金、交付金、助成金との種類があって、それに介護と福祉に分かれて、なんの事は無い統一どころか何も変わっていない。

 なので、朝一番で連絡があった時には、正確な名称を聞いても、沢山の事業所に連絡するので、大変で面倒なのは理解できる。しかし、コンビニの店員のように、何を言っているのか聞き取れない。全ての名称を言うのに、長過ぎるので短く言うので、感で理解して直ぐに行政オンラインで申請する。出来ているので、ファイルからチョイスして送信する。

 しかし、直ぐに連絡来て、同じように様式が違うと言われて繰り返す事3度目で連絡が来なくなった。

 急に、毎月10日迄の納税のためだけにの納付書を作成を思い出して取り掛かった。所得税と住民税だ。

 また、月末締め切りの者の給与計算を行った。

 午前中は、こんな感じで慌ただしく終わった。午後から外出する資料を持ってマンションに戻り、昼食を摂った。暫く休んで、スタートする。

 ゆうちょ銀行、三菱UFJ銀行、顧問税理士事務所、税務署に行って順調に終わって一旦マンション戻り入浴グッズを取って、スーパー銭湯に向かった。

 途中交通事故に遭遇した。衝突事故で、最初急に渋滞して、男性二人が目の前に現れて誘導を始めた。一車線が使えなくなって、隣の車線に誘導されて前方に車が居なくなると、追突車両が2台目に入った。その前に視線を移すと、バイクが転倒しているのが見えた。車が左折、バイクが直進での鉢合わせだった。

 雨が強く降っている。バイクの運転手が見えなかったが、事故現場を通り過ぎる時に縁石に座っているのが見えた。これから警察と救急車が来るのだろう。

 



60年振りに、瞼の母と再会演出したが

 訃報が続いた。一つは、スマホのニュースに飛び込んで来た、ブライダルファッションの先駆者桂由美さんの訃報だった。私が駆け抜けた人生で知った方がここのところ亡くなっている。スキージャンプの金メダリスト笠谷幸生さんも先日、亡くなった。

 歌手の佐川満男さん。相撲の曙関も逝った。よく本を購入して読み漁ったNHKアナウンサーだった鈴木健二さんも亡くなった。テレビドラマでよく見た俳優の寺田農さんの印象も強くある。落語家林家小染さんも高校時代にテレビでよく見ていた。歌手の中曽根美樹さんも亡くなった。そうして大女優の山本陽子さんも消えてしまった。

 指揮者小澤征爾さんも逝ってしまった。ファンの南沙織さんの旦那さんの篠山紀信さんも亡くなってしまった。

 今年だけで、これほど多くの印象に残っている方が亡くなってしまった。これが、同級生や知人などが次々と亡くなったら、次は自分だと思って暗くなってしまう。

 続いて、後見センターから訃報が届く。印象が強い方で、当初、私が医療機関からの依頼されて生活支援が求められて、入院した旦那さんが不在となった認知症初期症状の奥さんの生活維持に就いた。

 暫くして、旦那さんが亡くなった。相続手続きをサポートした。再婚同士だったので、亡くなった旦那さんの相続手続きを開始した。未だ、そに手続きの経験が無く顧問司法書士の全面的支援で処理した。しかし、相続人が相続放棄して相続人と血の繋がっていない奥さんに相続が集中する事になった。

 しかし、その手続き開始時点で、一人の相続人が相続放棄を翻して相続を受ける事を申し出て来た。顧問司法書士と協議してその対応する手段の策を練って実行する。各種死後手続きのうち、火葬納骨供養などの対応を求めて了解を得て業務の軽減がなった。

 この時の、顧問司法書士が発した相続人への各種文章などが、自分の経験財産となった。

 そうして、完全な認知症者となった奥さんに関わっている医療機関から、成年後見人就任の要請があって、協働して進める事となった。問題は、成年後見審判申立人である。本人が完全な認知症患者なので、市長申立か親族申立になるが、ご本人の言葉では生まれたばかりのお子さんを置いて駆け落ちしたとの事だった。

 成年後見審判申立を医療機関が進める事になって、取り寄せた戸籍謄本を見せて頂くと、お子さんは生存している様だった。ダメ元で、戸籍謄本にある娘さんの住所地に手紙を送った。

 大分経過してから、娘さんから返事が来た。電話でお話しして、ご自宅のある隣の県庁所在地で会う事になった。高速道路で2時間近く掛かって、ホテルロビーで面談した。

 どうやら、私の手紙を受け取って周辺の人に相談したら、怪しいので調べてから対応する様に言われて、市役所や地域包括支援センターに連絡して、私の素性や信用性を電話で問い合わせたようだ。

 信用できる様だ、と知って会う事にを決断したようだ。娘さんは、

 「自分が物心ついた時に、親族からお母さんは死んだと聞かされていた。」

 と言う。

 現状をお話しして、申立人となってもリスクが低い事を説明した。成年後見審判申立人になって頂いた。無事、後見審判が下りて私が当初は後見人として業務遂行に携わった。しかし、段々と体調を崩し在宅生活が厳しくなったので、医療機関から施設入所の検討を求められた。

 ご本人の意思を確認して、在宅生活の継続を後見人として決めた。しかし、徘徊が激しくその対応は昼夜を問わず頻繁の起こるようになって、私の対応が心身的にも物理的にも厳しくなった。担当者の変更を決めて、私の手は離れた。

 60年振りの親子対面を演出したけれど、それが私の中では、やった!と思ったがご本人の気持ちはどうだったのだろうか。

 会った時には、母親と一緒に住んで面倒を見たいと言っていたが、亡くなった事にを告げて死後事務手続きの相談をした後見センター職員に、予想外の返事があって、職員がショックだったようだ。

 さて、午前中はいつもの時間に出勤して、大阪府居住支援連携促進事業補助金申請書の作成を行って、最後のチームへの了解を貰うメールを作成して、12時に大阪府庁に申請書を送信した。

 午後から、銀行二箇所巡ってから東大阪市の相続相談者に、裁判所から求められた相続の株式所有証明書資料を届けた。

 戻りながら、大阪市の高齢者やその家族の介護・福祉・保健各種相談を受ける地域包括支援センターと連携する行政出先機関である総合相談窓口のブランチから、同居する兄弟が認知症である家庭への支援依頼があった。

 状況の説明があったが、再度、ご本人の意向確認して、求められれば訪問してメニューを示して、支援することを伝えた。

 東方の事は、行政関係機関から紹介されたとの事だった。良い




口コミは嬉しい事だ。営業や周知活動をしなくても、間断なく相談が広域から来るので信頼信用失わないように、自覚して対応したい。

自家製麻婆豆腐を創る

 いつものように出勤しても、中々、仕事に手が付かない。

 メールをチェックして、いつもは表題だけ見て削除したり開封しているが、今日は興味を持ったメールを少し多めに読み込んだりしてかなりの時間を過ごした。

 特に、このムラゴンの多くの人のブログをいつもより時間を掛けて読み込む。特に、初めての方のブログに興味が湧いて遡って読み込んだ。

 私の一つの趣味だが、名もなき方の人生の軌跡を知るのが大いに興味があって、ブログから目を離せなくなる。

 思い返せば、小学校の時から戦国武将の物語が好きで図書館に数多く出入りしていた。次の展開が待ち遠しい、あの頃の記憶が蘇る。著名人でも、誰もが知っている勝也された時期より幼少期や晩年時代の事を知りたくなっていた。

 目を止めた方の文章は。その記憶を蘇らせるブログだった。ただ、日頃の平坦な記録を残すブログでは無かった。表題に興味を惹きつけられて、最新のブログから遡って読み進めた。

 他者から見ると羨望の眼差しを送られる家庭環境と誰もが目指して教育に莫大な時間とお金を掛けて、掴みとった最難関の資格と勤務に就いたご子息と義理の娘さんとの羨ましい生活。

 しかし、表面では知ることの出来ない多くの課題が生じて、その対応にブロガーを日々悩ます。

 普段では知ることの出来ないハイクラスの家庭の悩みも、知れば、自分達とあまり差のない、年齢や他者との関わりに益々身近に感じてミステリーよりも、次の課題に興味が尽きない。

 世間の環境も、避ける術もなく逆に直接襲って来るコロナ禍は誰にでも平等で、ただ、有能な優秀な勝組が手にしたドクターと言う地位が、直接、矢面にたたざるを得なくて、その被害をモロに受ける。

 年齢も、誰にでも平等に襲って来る。老化は勿論、認知症などとの戦いも平等な確率で襲って来る。

 勿論、親族との関わりや知人友人、近隣との関係も避ける訳にいかない。世間体と言う言葉と関わりのない生き方は、上流社会で生きて行くには断つ事はそう簡単ではない。

 その日々の行方を忌憚のないブログに残していた。読み進め、ついには1時を経過するに及んで、目が疲れて思い切って離れた。

 そこから続けて、ほかの方のブログに目を通す。引き込まれる方の、今日はどうなったのか、と思いながら何人かのブログを読ませて頂いた。

 言葉を入れたいが、余計な言葉は不要な個人的に闘っているので、手を進めなかった。匿名でのブログなので、多くの方が真意を述べているので、その方達の性格や生き様を知って自分の生き方や考え方に生かしている。

 その様な時間を4時間くらい過ごした。後、2時間で昼を迎えるので慌てて、仕事に向かった。明日、締め切りの大阪府居住支援補助金申請の、最終確認と様式の点検をして明日の午後には申請する手筈を整えた。

 最後に、いつものYouTubeで音楽を聞いてマンションに戻った。午後から、外出したかったが、思いつくのは雨を凌げるアーケード日本一の3k天神橋筋商店街のそぞろ歩きかスーパー銭湯だったが、コロナ禍も気になって断念して横になっていた。

 夕方、食事の準備をした。朝は、食べる事の無かったカップ麺にネギをぶっ込んで、鴨ネギ蕎麦を頂いた。昨夕に残ったおはぎを持参して出勤したので、直ぐに少しずつ食べてしまった。

 昼は、そんな事で残り物を簡単に食べて済ませた。

 そうして、夕食である。豆腐が賞味期限今日までとネギが大量にあるので、麻婆豆腐を作る事にした。ネギの微塵切りをして、豆腐を出してフライパンに油を入れて、冷凍室から取り出して準備していた豚肉をフライパンに入れてニンニクを入れ炒めた。

 豆腐を入れて、麻婆豆腐の素を取り出そうとしたが、見当たらずに探すのを諦めた。自家製麻婆豆腐の素を作る事にした。中華味の素、砂糖、酒、味の素、味噌と醤油を投入して、微塵切りのネギを入れた。程よいところで、味を見た。

 中華味を少し入れ過ぎて、醤油を足した。なんと、麻婆豆腐の素と遜色の無い味に仕上がった。辛いのは苦手なので、ラー油は餃子の為に準備してあるが避けた。美味しく、ご飯茶碗一膳を頂いた。