行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

高額療養費など手続き多数

昨年末に手抜きの時間を多く取り、長期間大宮と仙台へ帰省した反動が今日から顕著に現れて来た。朝から、余裕の時間もなく一心に仕事に取り掛かった。

 一番時間の掛かったのが、金銭管理及び事務委任契約者の高額医療療養費請求書の作成だった。先ず、リハビリテーション病院へ入院していてMSWの指導を受けながら様式の作成をして東京健康保険組合に送るのだ。

 対象者が東京本社の会社に勤務していた。夜勤専門だったようだ。その過労からか、脳血管障害で倒れて大学附属病院へ搬送されて緊急手術を行った。

 一命を取り留めたが、歩行に麻痺が残った。リハビリテーション病院へ転院する時に、大学病院MSWから退院支援の依頼を受けてご本人と契約を交わす。

 昨年6月の事だった。それから、怒涛のような支援の仕事に追いまくられていた。兄弟が居て支援をしてくれていたので、助かった。しかし、支援が進展するに連れて兄弟が連絡を受けなくなった。遂には、音信不通となった。多重債務者となっていたのが発覚していた。

 病院から保証人となった兄弟に請求がなされていた。その間、ご本人は解雇通告の後解雇された。それまでの給与4ヶ月分、賞与、退職金などはご本人へ東京本社の人事部職員が来て手渡された。それを私が預かった。

 大学附属病院とリハビリテーション病院から請求書が次々と発行されたが、支払いの手続きをしなかった。何故なら、給与の手取り額が仕事の内容を考えると余りにも低額で解雇されると無収入になってしまう。

 多重債務の実態が不鮮明だ。加えて、将来、賃貸マンションに帰れる希望がないので、解約して残地物整理で30万円以上を失った。

 そういえば、同じような道を辿った人の成年後見人に就任した事を思い出した。同じ様にアジア人の女性と結婚して未分不相応な、多室のマンション住まいだった。二人共多重債務者で、過労で脳に障害を受けた。直ぐに離縁されて、女性に逃げられた。

 傷病手当や高額療養費の手続きは病院側や勤務先が行ってくれたので、経験値は無かったので、今回は自分が指導を受けながら実行してみようと思っていた。

 その高額療養費の手続きに為に、東京健康保険組合のホームページを開いて、手書きでは無い入力用のPDFサイトを開封した。PDFでも入力できる説明書を読んだが、上手くいくまでに何度もやり直して多くの時間を要した。やっと入力出来ても、その必要情報を探す時間も多く使った。

 その仕事をしながら、メールの作成を行った。守口市役所と大阪府庁への打ち合わせの日程調整。大阪市役所への、団地内事務所使用実績報告書作成して報告した。

 葬儀保険会社との契約者情報の提供とその後の手続きについてやり取りした。相続手続き支援の訪問日程の打ち合わせを行った。軽度の知的障害者の近隣とのトラブル発生に対する対応として、転居支援打ち合わせを行った。

 古い居住用集合住宅建て替え専門業者から連絡があって、一人では退去出来ない病気療養中入居者の転居について、現状の問い合わせがあった。

 その転居先施設の担当者から電話があって、経費の負担について問い合わせがあった。全て私が代理で対応する旨、伝えて請求書を送ってくれるように返答した。 

 高額療養費申請書への入力も終わったので、午後からの手続き資料を準備した。その資料準備中にも、返信が必要な成年被後見人のケアプランへのサインなどの処理を行った。支払いや納付などの準備が終わって午前中の定時が来たので、手仕舞いをした。

 直ぐにはマンションに戻らないのが、最近のルーティンワーク。中島みゆきさんの「ファイト」「ヘッドライト・テールライト」「ひとり上手」「悪女」を聴いて戻った。

 午後、食事して一休みの後、先ずは紀陽銀行守口支店へ行って、成年被後見人の介護費用支払いの手続きをとった。

 三菱UFJ銀行守口支店にて私の個人口座を活用して、午前中に連絡のあった支援者入所予定の施設へ敷金など初期費用22万円ほど振込む。

 コンビニに立ち寄って、未済の支払い手続きをとったが、期限切れとバーコードの無い納付書があって、2枚未処理になった。

 今日の最後に、スパー銭湯に向かった。4時頃だったが、子供達が大量に入浴して落ち着きが無かった。オレンジ生搾りジュースを飲んだ。350円だった。

 今日の仕事は終わった。明日は、石清水八幡宮へ初詣に行こうと思う。