行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

がんサバイバーと共に

それにしても、今日は嬉しいことと言うか良い事が重なって気持ちの良い日だった。

 やはり一番嬉しかったのは、社員の菊ちゃんのメールだった。がんサバイバーの彼女は毎月放射線治療や抗がん剤投与を行っている。その治療後の体力消耗は言葉に言い表せないくらいだと言う。

 がんに罹患していると発見されたのは、5年前の健康診断だった。何度も会社が指定する健康診断を受診する様に指示しても、体重が知れるのが嫌だと受け入れなかった。

 体調に異常が出て来たと気付いたのは、彼女からのバイク事故報告があった時だった。信号で停車している時に眠っている。気付いたら壁に激突していたなどの意識を失う事が多くなった。自分でも気になって健康診断をやっと何年ぶりかで受診する気になった。

 そうして受診した時にレントゲンに異常が写っていたと言う。精密検査を受ける様に指示されて国立病院で受診した。そこで画像を見せられて1㎝程度の病巣を指摘された様だ。その場から電話があった。最初は、

 「ガンに罹っているようです。」

 てっきり、彼女がケアマネジャーをしている利用者ががんに罹患している、と報告をくれたのかと思って頓珍漢な返答をした。

 「誰が?」

 「私が。」

 「何を言っている。」

 「私が、がんに罹っているようなので、今後の事の相談をしたいのですが。」

 余りにも急激な進展だったので、頭が回らなかった。

 翌日から、ケアマネジャーとして事務所を構えて従業者を使って100人以上の利用者のケアプランを作成していたが、このまま仕事続ける意欲も体力もなく事業所は廃すことにした。ケアプランセンターが担当していた100人余りの利用者を他の事業所に移管するなど、悔しくも早急な対応が望まれた。

 その移管計画など立てる間も要せずに、一緒に対処する。声を掛けるのも憚られる雰囲気の憔悴し切った彼女の心に去来するものは何であったろうか。

 最後の、これまで蓄積して来た利用者の個人情報の山を倉庫に保管して、事務所の契約を解除して明け渡して彼女のケアマネジャー人生は終えた。

 この後の長く苦しい治療に向けて私が発起人となって励ます会を企画した。あくまでも、励ます会であって決してお別れ会ではなかった。誤解されないように、苦慮した。正規社員だけ30人余りの同僚が集合した。

 重苦しい雰囲気で始まった。何と言っても、この会社を作り上げた中興の祖である。支柱である彼女がこの会社から当分居なくなり入院治療を行うのが、誰もが信じられない。これまで創業後彼女が不存在の会社は考えられない。

 小さな声声で話をしていた時に、一番辛かった声が、彼女から発された。

 「佐藤さんと一緒に仕事を続けたい。」

 と、あの剛の者の菊ちゃんが泣きながら搾り出すように発した。

 私も、思わず瞼を拭った。励ます会が、お別れ会になって来た。それから2時間、ヒソヒソ話しの雰囲気で終えた。嗚咽が聞こえて、言葉は励ます。会場で、外に出てもハグでハグを交わす光景がまた涙を誘う。

 終えても虚しい気持ちが漂ったが、あの菊ちゃんの搾り出す声で、私といつまでも仕事を続けたいと言った言葉を実現させる思いが沸々と湧いて来た。

 翌日から、菊ちゃんは病院へ通い治療や入院スケジュールが決まって、会社に迷惑を掛けるから退職したい、と何度も言って来たが受け入れなかった。彼女の手を離す気持ちは微塵も無かった。治療の様子や数値のデータを告げて来た。励ます言葉も選んで、発信を続けた。

 これから考えられる治療費を考えて、会社に在籍して給与の支給と健康保険被保険者の地位を失わないように、そうしなければ経済的理由で治療を断念しなければならなくなる、と説得を続けて退職願いを拒否し続けた。

 それに合わせて、膨大な社員を撮りまくった写真の中から菊ちゃんの写っている写真をデータから取り出してA4カラーで印刷してアルバムを作って何度も届けた。

 段々と退職の言葉を口に出す事が無くなって、引き篭もりだった彼女も言葉を発するようになった。長期間の入院治療中も、病院に何度か見舞に行って元気で治療を受けている姿を見て安心した。

 1年後、数値も精神が安定して来て以前の菊ちゃんに戻って来た頃にどちらとも無く出勤に向けての前向きに話しが出来るようになった。コロナ禍直前である。丁度、居住支援相談事業が始まった。ケアマネジャーという相談業務を行っていた菊ちゃんにとって最良の業務であった。電話だけで仕事が完結するようにした。

 肺に病巣がある菊ちゃんの一番の苦しさは動く事だった。動かずに電話で成果を上げられる仕事は最適だった。私は、がんサバイバーに関するセミナーや勉強会にこぞって参加してガン研究や組織に寄付をして間接的な支援をしていた。

 菊ちゃんに新型コロナが襲わないように慎重に出勤を認めて、毎月の治療や入院、自宅での休養など体調と相談して勤務する様に指示した。見違えるほど体調は回復して来て、以前の菊ちゃんに戻って来た。その菊ちゃんの体調に合わせるように、会社の業績も向上して良い方向に動いて来た。

 遂に、5年目を迎えた。5年生存説をクリアした。この会社を支えてくれた菊ちゃんの三輪さんは、会社そのもので失う訳にはいかない。その責任が私にはある。その思いは、ずっと続く。

 その菊ちゃんからメールが来た。

【 すみません。

今病院終わりました。

今日は血小板が上がってましたが検査結果が良かったのでもう少し体力をつけるために様子を見る事になり点滴はしていません。

次回は来月19日(火)です。

お願いします🤲】

「お疲れ様でした。

病気を克服して、全快して下さい。菊ちゃんなら出来ます。頑張りましょう。」

 【はい。このままがずーと続いたらと心から思います😊」


 菊ちゃんの癌撲滅に祈祷に行った下鴨神社での密かに撮影した場面を守り神にしている。

 

 良い事が他もあったが、翌日に残します。