行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

結果を出したい

 最近は、イスラエルとハマスの戦闘の影響では無いが、YouTubeで息抜きに聞く曲の最初に中学生から高校生になる頃に聞いたザ・フォーク・クルセダーズの「戦争は知らない」をふと思い出して聞いたのが数週間前だった。それ以来、毎日、聞いている。

 あの当時は、ベトナム戦争が激しくなって日本国内の沖縄米軍基地からB52爆撃機がベトナムに飛び立って爆弾や枯葉剤などの化学兵器を投下する愚挙に、日本の若者を中心に戦争反対運動が盛んに各地で行われて居た。

 その反戦活動の一環として、反戦歌を歌って戦争反対の意思を示す一団も全国に広がって居た。歌手もその意思を歌に込めて歌い続けた。「ばんばひろふみ」の「いちご白書をもう一度」、「杉田二郎」の「戦争を知らない子供たち」、「森山良子」の「さとうきび畑」、「ザ・タイガース」の「廃墟の鳩」などの中の一曲にザ・フォーク・クルセダーズの「戦争は知らない」があった。洋曲では「帰らぬ少年兵」をよく聞いて居た。

 自分が好きで心に残っている曲は、「悲しみは星影と共に」サントラ盤でセリフがもの悲しい。これも反戦歌だ。

 その「戦争は知らない」の歌は当時ゆっくりと歌詞を噛み締めて聞くことは無かったと、今聞いて思った。それは、戦争が終わったけれど、女の子には父は居なかった。戦争が終わって父が亡くなって20年の歳月が流れて、二十歳になった女性は父に「私はあなたの娘です。」と語りかける。

 そうして、この生まれたこの土地でお嫁に行き母になります、と。

 戦争は知らないけれど、父は居ない。それは、戦争で父を失った。

 普通の家庭で父に育まれた人生を送りたかった。そう訴えている様な情景が生まれる。

 戦争は何も良いものは生み出さない。ウクライナとロシアの戦争も早く、終わらせて欲しい。

 そんな懐かしい思いを抱きながら、音楽を掛けて仕事に励んだ。今日の目標は、成年後見人の1年に1回の報告書作成をする事にした。処が、気はなんとかしようと思うのだが、逃げている。皆さんの投稿を読んだり、他のメールで興味のあるものを読んだりして仲々始まらない。

 そういえば、大事な印鑑が見当たらない。この部屋にある筈だと思って色々な思い当たる場所を探したが見当たらない。先日、紀陽銀行に成年被後見人の成年後見人への通帳の名義変更する際に使用した印鑑が見当たらない。

 その印鑑は、他の大事な書類や介護保険料の引出しにも使用しているので、見つからなければ大事になる。その為に、事務所の方々を探したが結局見当たらなかった。

 諦めて、大学附属病院から依頼された申請書作成に取り掛かったが、面倒な集計作業に遭遇してやめてしまった。続いて、今月中に家庭裁判所に提出する成年被後見人の受任した初回の財産報告書の作成も直ぐにやめてしまった。

 続いて、後見預金制度を利用した昨日手術後に病院内を徘徊して強制退院させられた成年被後見人の定期報告書作成に取り掛かった。

 今年、司法書士から引き継ぎを受けて初めての報告書と報酬付与申立をする。その作成に対しても、続かない。これまでだったら、半日も掛けずに終えていた筈だ。病というのは気力まで失わせるが、元に戻すには相当な日時が必要だ。

 身寄りなしの方が亡くなって、死後事務契約をしていた私が、葬儀を主宰して全ての事務手続きを行った。その時に、遺骨を葬儀屋に預かって貰っていた。その遺骨を昨日引き取った。一時事務所に保管した。

 その他にも事務所にて保管させて頂いている遺骨が有るので、来週にでもお寺さんに行ってお経を唱えて貰って納骨させて頂くつもりだ。残念んだが、合祀になってしまう。

 私も、何とかご両親やご親族の下に納骨してあげたいと菩提寺を探した。遺品の中からお手紙、メモなどの中から手掛かりを探して電話して問い合わせを行ったが、結果は残念だった。力不足だ。全国に連携で来る方が居てくれれば、などと思った。