行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

私の運動事情

小雨降る、肌寒い秋らしい気候の季節になって来た。体育の日、スポーツの日で祝日になって居た。ここのところというか、もう何十年も運動らしい運動はしていない。

 自分の人生を変えたのは、中学生になったと同時に部活に入った剣道だった。小学校の時には毎日、隣接していた東北大学のテニスコートで野球をしていた。

 身体を動かす事ぐらいしか、時間潰しが出来なかった。広瀬川に行って川遊びや山が近くにあったので、登って斜面を降りたり東北学院大の敷地で遊んだりしていた。新聞配達は小学3年生頃から中学に入学直後までやっていた。

 そんな剣道部も友人に誘われて入部した。今でも覚えているが、入部初日から中学校の三階建校舎の上である屋上まで階段を往復5回位の体力作りから始まった。 

 翌日は、膝が痛くて歩行する事すら困難な状態だった。それから連日、その運動が続き夏休みまで頑張った。

 仙台市随一の進学校だったので、夏休みは勉強優先で部活動は開店休業状態で、先輩が殆ど受験勉強で休むので防具を借りて市内の剣道連盟の暑中稽古に通った。

 連日、有段者で強い人に稽古を付けて貰えたので、自分では意識していなかったが実力が格段に付いたようだった。

 夏休み明けに、初めて学校で防具を着けて練習試合が行われた。ことの他実力が付いているのが顧問の先生の目についた様で、体力作りメンバーから、実践練習メンバーに入った。

 それから人生が変わった。宮城県中体連で優勝したメンバーに入ったり個人戦で優勝したり、この映えある剣道部の主将となって充実した年代を過ごすこととなった。

 運動と呼べる活動は、高校時代は人並み程度で特筆するものはない。そのまま就職して、何もせずに50年以上も過ぎてしまった。体力に自信があったのは過去の事だった。

 健康の為に、東京へ勤務していた定期を使って休みの度に東京の名所旧跡を、JR駅から徒歩で巡った。数年続けても、東京の名所を巡り尽くせる事は無かった。山手線の駅から徒歩で巡れる場所はクリアしたと思う。

 その後は、自宅のさいたま市から自転車で動く事にして、計画を立てて往復80Km基準に選んだ名所を巡った。自転車のタイヤがパンクした時には、本当に大変だった。

 今は、たまに公園や商店街を歩く事がある程度だった。コロナ禍に突入して数年は、動くことも少なくなり、移動は三輪さんが運転してくれる車に乗って目的地の近く迄行くことになるので、歩行する距離も無くなった。

 そんな生活を続け乍ら、菜食中心だったので完全にフレイル状態になって、廃用症候群へ一直線。

 筋肉が削げ落ちて、数ヶ月前から血液検査で、そのデータが示されていた。寝たきり状態から、移動する事になるパターンで移動時に苦痛が発症して歩くのも困難になった。

 これまでの菜食から肉食を積極的に変えてから、少しずつ改善されて今では痛みなど全く無い。ただ、体重が一月で5kg増えた。

 これから、この生活をどう改善して行くか。長生きで健康に生活するなら頑丈な身体を作らないと、と主治医から言われている。

 これから新たな運動で筋肉増強する事は現実的では無いが、それでも緩やかな下降の衰えを求めながら出来る運動をしたいと思っている。私に出来る継続した運動は、目的地に向けて歩く事だがこの地域は全て回ったので、季節に表情を変える公園巡りかなと思っている。

 毎年の体力測定のバロメーターは、23年間続けているお正月に参拝する京都八幡市の岩清水八幡宮の石段をどこまで休まずに登れるか、である。今年のお正月は休まずに本殿まで登り切った。数年前は階段の途中で何度も休み休みやっと登り切った。

 来年の参拝は厳しそうです。

 今日も出勤して、仕事をした。メインは休み休み明けに郵便局と銀行で毎月10日迄納付する社員の住民税と所得税及び顧問納付弁護士、税理士や社会保険労務士の顧問料に対する所得税の納付手続きの納付書作成。

 また、自動車や事業運営に対する損害及び各事務所の火災保険の保険会社変更をする手続き書類の作成を行った。

 午前中は、多くの仕事をする事は出来なかったが、思った内容を処理した。不明だった成年被後見人の通帳が見つかったとケアマネジャーから連絡があって通帳が送られて来た。その通帳の入出金内容を分析して、収支様式を作成した。

 なんとか、宅地建物取引士の模擬試験も行ったが、間違いの解説を読んで覚えようとしたが、眠くて頭が働かない。残念ながら事だ。

 通販で注文した海鮮の生物食材が届いたので、厚切りサーモンとホタテたっぷりの海鮮丼を作って夕食とした。

 3連休は、あえなく終わった。