行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

成年後見市長申立会議に臨む

午後2時から、東大阪市の福祉事務所にて成年後見審判の市長申立に関わる会議に参加した。東大阪市、地域包括支援センター、入所施設管理者など行政関係6人、当社から後見センターで対象となる成年被後見人候補の配偶者も成年被後見人であり担当成年後見人、最後に特定非営利活動法人理事の三輪さん、代表理事の私と合計9人が市の保健センター会議室に集合して始まった。

 私が担当を依頼されたDV被害者の転居と支援。その夫婦の妻を支援する過程で、事務委任及び任意後見、死後事務委任、遺言の3点の公正証書を作成した。

 その直後、夫の成年後見審判申立の申立人となって関係資料の準備を始めた直後、違和感のある行動が目立って来た。準備が異常に遅くなり、遂に幻視幻想が見え出して日常生活に支障をきたし始め、独居の部屋で倒れているところを発見された。

 緊急入院をされて、精神状態が不安定などまま成年後見審判申立人としての能力は失ってしまった。以後、夫の認知症は良くなることもなく、妻と交わした事務委任契約によって支援を続けていたが、夫婦とも命の危険に入退院繰り返す様になった。

 最悪の事を考えた場合、唯一の親族であるDV加害者の子供に連絡すべきか、結論が出ないまま、東大阪市福祉事務所、地域包括支援センターなどに夫の成年後見審判市長申立の要請をするに至った。

 全ての経過資料、支援情報などは私どもの手の内にあるはずなので、私の記録を担当した当時から見直すべくスケジュールから見直した。 その記録を探して、その日付に従って詳細が記録されている筈の当日を見直す作業を行った。

 処が、その担当依頼が来た令和3年11月12日の日にちを探し当てるのに相当な時間を要した。そのいずれのデータにも初日の依頼を受けた記録を探し当てられなかった。

 スマホでのメッセージを見たが無い。最後に、PCへのメールを見る。直接依頼のあったケアマネジャーからのメール確認して、やっと見つかった。

 スタートが分かって、関係者への訪問記録を見直して、日程を全部確認してこれから詳細記録を見直して流れを掴もうと思った所に、また、あの後見センター職員が来る。

 無下に対応する訳にいかないので、話を聞き、裏を読んで適切な対応する。1時間経過して、出掛ける時間が近付いてきた。

 やっと解放されて、出発まで30分になった。心配なので三輪さんにメールした。食事を

したいので11時過ぎに出掛けると昨日言ってあったが気配がないので、メールした。

 暫くして連絡が来た。予定より30分遅れて三輪さんが迎えに来た。資料は殆ど揃わずに、見切り発車する。

 以前はよく行った、今日のケアカンファレンス会場近くのお蕎麦屋さん。大阪にて美味しいお蕎麦屋さんを探して方々に行ったうちの一軒だ。思ったより道が空いていて、予定より30分早く着いた。しかし、午後1時前位の時間なので、満席だったうちの食べ終わった人と入れ替えで席に座る事が出来た。

 私は天ぷら蕎麦、三輪さんが鴨汁蕎麦で久しぶりの懐かしい雰囲気の空間に浸っていた。

 運ばれて来たお蕎麦は美味しいので、私は言葉が出ずに、夢中で箸を進めた。三輪さんは、美味しいを連発して、間違いないと頷く。

 蕎麦湯を頂いて、満足して終えた。周りを見ると、あれ程大勢のお客様が居たのに、誰も居ない。慌てて店を出て、隣の法務局東大阪出張所に行ってトイレを借りて、歩いて5分の保健センター会議室に案内された。

 会場に入ると、当社の後見センター職員が一人だけ座っていた。その後、次々と参加者が会場入りをして、定時にスタートした。

 少しは討議的な内容になるか、との予想に反して地域包括支援センターの進行が光っていて、スムーズに市長申立へ満場一致で申請する事になった。

 帰りは後見センター職員を乗せて事務所に戻って来た。私は、三輪さんとコンビニでアイスクリームを頂き直帰した。