行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

この頃の日本の世相

 気象の異常は全世界的な現象だという。その様な異常気象とは無関係だが、猟奇的な犯罪や幼児を含んだ親族間の殺人、知的労働者を含めた性的な犯罪が目立って来たような気がしている。

 全ては親を始めとして、学校や地域や親族知人友人の諫言などが無くなってしまったからだろうか。学校の部活ではパワハラだと言われ、職場においてはセクハラだと言われ、訴えられれば興味の目にさられれる。

 過去に遡って、何十年も前に起こった記憶も薄れている事象を、昔関わった人から訴えられ世間の興味の目に晒される事もある。自分が咎められる様な意識をしていない言動が、将来作られる事もある。

 私も、この大阪に来て最初から100人200人の女性ヘルパーさんを雇用して、職業訓練教育でも多くの教室運営をしていた。

 20年前から、個人事務所にて執務を執り、多くの事業所には殆ど顔を出す事もなく君臨すれど統治せず、との方針で法人の運営をしていた。

 直接、言葉を交わす社員はホンの一握りで、非正規に至っては顔すら知らなうという方針を貫いて今に至っている。

 勿論、これまでもスターやアイドルに推しがいた。記憶が薄れてしまって、一番古いのが誰か思い出せないが、高校時代に率先してクラスで女優や歌手を対象に人気投票を何度かした事があった。

 私が、率先してやっていたのだ。当時は、男子校だったので楽しかった。その目的は、この時代の私の記憶を将来に向けて残したかった。

 しかし、このアンケートをしてまとめて回覧していた途中で消えてしまった。誰かが、欲しくて持って行った。

 持って行ったといえば、中学3年生と高校3年生の卒業間近な時にクラスメイトにノートを回覧して一言を書いて貰っていた。それが、途中で無くなってしまった。誰も知らないと言うが、誰かが欲しくてくすねてしまっていた。

 私の、意識をして将来の為に残した多くの書籍やノートや写真は悉く失ってしまった。

 中学から高校までの6年間、一人で生活していた部屋にあったアルバムや本、などの生きた証は上京して仕事をしている間に弟によって全て一部屋分が捨てられていた。

 中学3年生から結婚までの9年間の記録は、結婚する時に、思い切ってゴミ捨て場にノート50冊以上を捨ててしまった。

 高校の卒業証書も、卒業式後職員室に先生にご挨拶しに行った時に、入り口横にあった台の上に置いて戻って来たら無くなっていた。

 この大阪に来てから、大切な起業した記録やPCにあったメールなどは、障がい者を信用して預けて、全て消し去られた。

 僅かに、立ち上げした2000年6月から今日までの23年余りの記録は残っている。

 

 16日は、もうお盆休みではないとばかり、電話やメールが頻繁に来ていた。9時の始業前から、大阪市内の老人保健施設のケアマネジャーから、退所する入所者の居住確保で情報の交換をした。

 相手先からは、退所者の心身の状態や希望する住宅の条件、退所後の支援など。私の方からは、条件に合った物件情報。

 共通の情報共有として今後の金銭事情、生活保護受給を睨んだ手続き、民間住宅ではなく公的住宅や本人が拒絶している有料老人ホーム入居のシュミレートなど、朝早くから午後まで断続的に続いた。

 朝早く、もう一つは成年後見人候補者として依頼されている方が、認知症も含めて急に心身状態が低下して、グループホームに一時的な入居したとの報告が先日ケアマネジャーからあった。

 その継続的な情報として、住所地を施設が手続きを行ってグループホームに移したとケアマネジャーから連絡があった。

 その直後、偶然にも家庭裁判所から連絡があって、本人申立なのでリモートで面談を行いたいと調整依頼があった。

 直ぐに、グループホームに連絡したが、分かる担当者が今日は休みだと言う。本人の心身が急激に悪化しているので、リモートに耐えられるか不明なので、その旨、家庭裁判所に連絡した。

 早く、状況を把握して対応を決めたいので、明日午前中に連絡が欲しいとの事だった。

 突然、電話が掛かって来た未登録の方からの電話は、三輪さんが取ってくれた。電話の主の介護の技能実習生の件で、と言って事業協同組合の名称と個人名を言っていたのを聞いたが、全く、覚えがない。

 怪訝な気持ちで、折り返し掛ける。相手の方から説明を受けてやっと納得した。中間の人がお互いに何の説明もしてくれなかったので、珍紛漢紛だった。

 今後の、技能実習生を始め外国人労働者の斡旋や紹介事業の端緒になる。

 先日、自家用車を駐車場のコンクリート柱に激突させてリアドアが開かないくらい破損した。その修理にトヨタ自動車ディーラーに持ち込んで、預けて代車を借りていた。その修理が終わったとの連絡があって、土曜に受け取りに行く事になった。

 台風一過、今日から交通網は通常通りに稼働するものと思っていた。処が、驚いた事に東海道新幹線が朝から全面運休していた。午後も動かず、大混乱を見せていたが、5時間も6時間もただジッと運転再開するのを駅の改札口近くで立っていた人や何百メートルも並んで待っていた人が、耐える日本人の真骨頂だろう。

 今日も相変わらず、歩行困難に陥っている私の左足の為に、三輪さんが一人で銀行への振り込みなどの業務に就いて貰った。

 歳とはいえ、困ったモノだ。今日は、重いカバンをやめて、最低限の資料だけを手提げに入れて出勤した。

 全ての時間を、宅地建物取引士の受験勉強に充てたが、文章問題の民法関係が行き詰まっている。本当に、頭痛がしている。このドツボを抜け出さないと、自信や意欲が喪失してしまう。