行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

長男との仕事の様子

 それにしても、あの林真理子日大理事長の記者会見にはガッカリしたと言うより拍子抜けしてしまった。何が変革をしようとして就任したのか。

 あのアグネス論争の当事者とは思えない、可愛い女の子を演じている様な責任逃れの印象が強い。情け無い記者会見内容で、読み上げる形式を取るとは思わなかった。

 何も変えられなければ、威勢の良い事など言わなければ良いのに。


 9時半に、長男が東京から事務所に来た。午後1時から、枚方市の相談者宅と交野市の北大阪商工会議所でのホームページとマッチングシステム制作の打ち合わせの2点に同席して助言を貰うこととなっていた。

 来るまでは3時間もあるので、一纏めの仕事が出来る。さて、なにをしようかと考えて、メールの返事やスケジュール調整などを行うことにした。

 最初に行ったのは、先日、社用車自損事故があった時に、損保ジャパン代理店担当者に直ぐに電話、LINEなど行なったが電話やLINEに出る事もなく午後3時頃に送ったLINEへの返信もない。

 その日にディーラーに持ち込んだが、保険内容が分からない、と当日のうちになにも出来ずドアが開閉出来ない事故車のまま引き上げる他なかった。

 翌朝、6時台に強い抗議と全ての保険の解約を通告した。自動車保険や火災保険、全社の損害賠償責任保険、などもうこの男とは関係を継続したくないとの長い間のストレスをやっと誰に指を指される事なく終える事が出来ると思った。

 私の自宅も家族もみんな奴の親との信頼関係です継続してした。バカ息子の父親とは固い信頼関係に結ばれた、依頼者と受任者との関係を超えた40年以上の親友関係だった。

 その父親は大手損保会社の代理店の中で全国トップクラスの顧客を維持していた。そのモットーは顧客の立場に立って保険の保険たる所以を提供していた。

 それまで、保険など無用の長物と思っていた私だったが、彼との関係が出来て会社のピンチを救ってくれた事が重なって、保険の有り難みが身に染みた。

 この保険のお陰で、社員が次々と引き起こす事故や事件を少ない被害で収める事が出来た。その友人も年齢がいって息子に引き継いだ。

 この息子がバカ息子で、引き継いで直ぐに彼が営々と築いた会社を同業者に売却してしまった。

 10年間は、その法人の社員として雇って貰う事になったと言うが、1番大事な時期に解雇される。後4,5年だと思うが未だ30歳台で、他人の立場に立った営業姿勢は継がれなかった。

 私が、事故などで保険が必要な時に電話しても、絶対に保険を使わせない言動に終始する。保険料が上がるとの言葉を何時間でも言う続けて諦めるまで引き下がらない。

 5時過ぎに、駐車場内で事故の時には、5時過ぎているので、自分で相手に電話してくれと言って代理になる事を拒否する。事故センターに自分で電話して下さい、と言って譲らない。

 こんな奴と付き合っては、ストレスが溜まって仕方がなかった。その縁を切れるチャンスが到来することなった。父親とは、個人的に付き合えば良いと思った。

 その縁切りメールをバカ息子に送って、東京日動火災海上か外資系に絞ったので移管手続きをスムーズにしてくれるように通告した。

 続いて、土曜日に福岡市から来る少額短期保険担当者が、私がサポートしている移住者への少額短期保険加入手続きを電話インタビューによって、私がすべき募集人としての負担と契約希望者への負担軽減措置を行ってくれる事となったのに対して、インタビュー時間調整を両人の間に入って行なった。

 これは、結局、午前中の出発迄に終えた。出発前に、インタビューを行った少額短期保険担当者から連絡があって、自己申告の内容では問題がないとの事で、一安心だった。


 そのうちに、事務所が入っているマンション前に着いたと長男から電話が入って、迎えた。色々と仕事中心に話しを2時間もしてしまって、出る時間になってしまった。

 11時半に出て、途中、「餃子の王将」に立ち寄って餃子定食と回鍋肉を注文する。餃子2人前なので、この影響が大きく出て夕食前の体重測定で驚きの数字を見て、夕食キャンセルした。

 そこから枚方市の相談者宅に向かった。丁度1時と言う訪問約束時間に到着する。家の中から相談者が出て来て迎えられて室内に入る。私は、作成した書類の写しを手渡して家を辞した。私が居ても何の役にも立たない。

 外に出て、喫茶店に入った。約1時間宅地建物取引士模擬試験をネットで受験する。長男は、依頼によって脳血管障害にて記憶を失ってデジタル上での先物取引について、その取引記録と現在の残高確認が出来る様に家族に手続きや手順を指導していた。

 ただ、解析してみると何と投資した金額の30分の1になっていたと言う。その数字を見て、長男が、

 「俺が。その金に手を付けた様に疑われるのが嫌で、本当はやりたく無かった。」

 「申し訳ない。老夫婦に多額の医療費が被さって来るので、見るにみかねて頼んでしまった。無償でやっているし、今後は辞めよう。」

 そう言って、申し訳ないと謝った。

 そうして、次の目的地である北大阪商工会議所に向かった。

 相手は、女性二人が当社が考えているホームページといくつかのマッチングシステム作成に対して、具体的時系列に従ってマッチングシステム内容の確認を行なった。

 幾つか事例を伝えたのは居住支援と死後事務や外国人労働者の就労などの案件も伝えた。

 しかし、上手く思う様な進展は得られなかった。最終的に、当社のホームページが6個あって、そのそれぞれのホームページが伝えたい内容の一覧表を作成して提示する事になって終えた。

 そのまま、事務所に向かって帰社した。長男は、もう少し仕事をしたかった様だが私は1日のキャパオーバー気味で、休みたい。

 それでも、私には対応しなければならない毎日の仕事があるので、無理したり時間を人の為に犠牲にする訳にいかない。

 三輪さんが、朝8時半から夕方5時半迄掛けて「有料職業紹介責任者」のセミナー受講を終えて資格取得を得た。

 丁度、戻った時間と終えた時間が同じだったので、三輪さんに任せてマンションに戻って冷たい布団に倒れて、今日は終わった。

 メールにて、任意被後見人の入院に対する、各種手続きを入所施設担当者や新たに決めた当社の担当者と支払いなどの手続きで調整した。