行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

私は幸運な7月生まれです

 不思議と幸運を呼び込む、今日で私の誕生月である7月も終わり。獅子座のO型という、願ってもない最高の星の下に生まれた。いつも、自分は良い人生を歩めると常に言い聞かせていた。

 私は、思い込みが激しく、自分以外の他の事や他人の言動が殆ど耳にも目にも入らない。常にどんなに辛くても、いつかは良くなると思って生きて来た。どん底など思った事もない。

 困難に直面したら、どうやれば前進できるか、そうしてその機に乗じて良い方向に転換出来るか考える。その考えを実行に移してダメだったら次の手を考える。必ず,結果を出す。誰も助っ人が居なくても、誰も味方が居なくても白旗は揚げない。逃げない。

 いつも、どんな環境でも最善を尽くす。尽くすからには、良い結果を残して次に繋げる。全ての事象や現象、環境が自分の味方の様に思う。一見能天気な人間である。

 その能天気な私が産まれたのは、昭和26年という戦後が安定し始めた頃だった。もちろん、私は知る由もない。仙台市に生まれて本当に幸せで良かった。

 仙台市は教育熱心で、これも良かった。私の生まれた家は、この頃は裕福だったと思う。何故なら、昭和20年代で写真館で家族で写した写真が残っているのだ。

 しかし、小学校に入学した頃には貧乏のドン底に落ち込んでいた。恥ずかしいくらいだが、その様な気持ちになる事はほんの一瞬がある程度で、後は打ち込む事があったのでその事で結果を出すのが目標だった。

 中学、高校と進むに従って実力が高まってきて、部活や学習で成果が出せる様になったので、貧乏などいうものより母親に如何にして喜んで貰えるか、の方向に気持ちが行くようになった。

 自覚して来た自分をどの様に活かすか、を考えて高校卒業を機に上京する事にした。そうすると、これまで自分と同じ世代での付き合いに上下が加わった。

 昭和45年に上京して、一生懸命働いた。大阪万国博覧会が開催されて、日本の景気は一気に駆け上がって21世紀は日本の時代になると世界が囃し立てていた。

 ライジング・サンと言われて、いよいよ昭和元禄時代に突入して、バブル期を迎える訳だ。明るい将来に何の心配もどころか、夢が実現する期待の方が強くて毎日が楽しかった。

 20歳の丁度7月に転職した。この転職がいまの自分を作ることになる。この公益法人に入社出来て、職務の延長上で現在自分の仕事を幅広く楽しませてくれている行政書士の資格を独学で取得する事になる。

 育った仙台市が、教育熱心な都市で学習の仕方や学習意識の醸成、そうして訓練した頭脳が活かされたと思っている。合格率が10%前後のこの試験に独学一発で通ったのである。

 まさか、40年後にこの資格で自分を生かす仕事に就く事が出来るとは想像だにしなかった。

 コロナ禍が無かったら、いや大阪に来なかったら、いやいや大阪人の非道な気質が無かったら、などと思う。

 次の勤務先の公益法人には、20歳から13年間勤務して身体を壊して退職する。次の転職先は、やはり33歳の7月入社だった。

 ここも、金融機関の端くれで、ここが終焉の地だと思った。しかし、バブル崩壊の直撃が金融業界を襲った。一つ一つと廃業やリストラなどが襲うと同時に、自分の身体も悲鳴を上げていた。

 4月に退職して、運命の7月から介護の職業訓練校に入社する。翌年の7月から介護事業の担当役員として実績を上げ始める。

 そうして、翌年7月に独立するのだ。49歳になっていた。紆余曲折があって、20年後コロナ禍が襲って来て7月の転機を迎える。

 ここから大きく仕事も転換して、従来の事業を残しながらいよいよあの34歳の時に取得した行政書士の資格を活かして自分の仕事として活動を開始して、今の隆盛に繋がって行く。

 何も、意識せずに転換して成果に繋がるのは、その季節は自分が生まれた暑い夏の、それも7月なのである。

 

 さて、今日は気持ちが乗るまで、短い時間音楽を聴いて弾みをつけてから、未だ、9時前に宅地建物取引士の模擬試験を行った。60%正解まで持って来た。自分の欠点を十分分かって来たので、暗記する分野が絞られて来た。

 8時になって、いよいよというかやっと目的の仕事に移った。期限があるので、バラバラ収集した多くの資料を組んで50枚くらいでワンセットの申請書を作る。

 法人印と私の個人印を確認者の氏名と捺印して仕上げる。同じ様に、もうひと方の申請書を作成して目次に従って組む。

 出来たけれど、法人の登記事項証明書が抜けているので、午後から法務局に行って取得してプラスしてから提出する事にする。

 組んだ二人分の資料をコピーしてファイリングする。あと数人分あるので、順次仕上げる。

 8月1日からスケジュールがびっしり詰まっている。空きが殆どない。その8月1日に、本来なら総合病院にて眼科の検査があったのだが、研修会があるので、電話して他の日に変更して貰った。

 定期借地権付建物賃貸契約書公正証書作成依頼を受けて、公証人役場とのチェックや修正など繰り返して依頼者の疑問も解消して、日程調整に漕ぎつけた。

 公証役場と依頼者の間に入って、生産性の無い事をした。依頼者が直接公証役場と日程調整をして欲しかった。しかし、私にも立ち会う事を求めているので、私が空くのは8月下旬になる。それを伝えて、自分達だけで行く事も選択肢に加えて下さい、と。

 毎月、新大阪駅前の貸会議室で居住支援会議を行っているが、8月の予約を取得する。

 11時から、先日、大阪府のM &A専門家登録に資する6時間のセミナーとテストをクリアしたので、zoomでM &Aの専門会社の専門職とM &Aのスタートアップの打ち合わせを30分ほど行った。

 

 午後から出発して、最初は法務局の出張所に行って、特定非営利活動法人の登記事項証明書を4通取得する。それを準備して来たレターパックに車の中で入れて投函した。

 続いて、郵便局本拠に行って、受講する行政書士取次事務取扱いの受講費用を郵便局指定の振替用紙に必要事項記入の上窓口に提出する。

 外に出て、向かい側にある印舗店で印鑑を購入して、銀行に向かう。

 最後は、寝屋川市役所に向かい解雇された依頼者の健康保険加入手続き代行を行った。