行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

10年前のケアマネジャー時代を思い出させる

 10時半に事務所を出て新大阪駅に向かった。


 新大阪駅に向かっている最中に登録されていない電話番号の着信があった。

 唐突に、

 「以前、お世話になった〇〇の家族の者です。昨日、〇〇が亡くなって熊本県から来ました。〇〇の夫の遺産があった筈なのですが、後見人の士業の先生に聞いても『分からん』と言うのですが、あの時お世話なった佐藤さんなら知って居るのじゃ無いかと思って、お忙しい処連絡させて頂きました。」

 辺鄙な所からの電話なのか、室内で電波の届き難い場所からなのか、言葉が途切れ途切れに到達して来るが、やっとあの方だったらこんな感じなのだろうと受け取った。

 最初、その亡くなった方の名前を聞いても直ぐには思い出せず、何を言って居るのか分からず戸惑いを隠せなかった。

 しかし、暫くすると思い出した。10年くらい前に、ケアマネジャーとして一番活動をしていた時代、ダントツ手の掛かった夫婦の利用者の家族だ。

 夫が要介護5で寝たきり、だが意識は晴明。妻が要介護1の心身が元気な認知症で徘徊する方だった。夫は贅沢が辞められず、寝たきりなので百貨店からお寿司などの高級品を取り寄せて日々の食事にあてがう。

 現金預金は有るが、使う術がなく贅沢に走る。それなのに、介護の費用は払わない。酷い利用者だった。

 妻は、要介護1で元気なので四六時中徘徊して通行人や近隣の方から迎えに来てくれと言って電話が掛かって来る。

 夜8時や9時に夫から助けてくれ殺される、と電話がある。向かうと夫婦喧嘩で、妻が夫に挟みで襲い掛かったり、扇風機を投げつけたり。

 理不尽な夫婦だったが、見捨てることも出来ずに毎日戦いだった。そうして、夫は脳血管障害で緊急入院する。妻は、徘徊し放題なので、24時間対応する。ヘルパーさんが自費で寝泊まりする。

 勿論、費用を払える訳もなく単なる私の自己満足だった。二度目の倒れた時には、病院からケアマネジャーとして呼び出されてICUに入る。絶命した。その原因を知っていたが、墓場まで持って行く事にした。

 大学附属病院にて死因を知る為に検視したが特定出来ず、何か知って居るか聞かれたが、知らないと返事して不審死として警察病院にて検視。

 そこでも特定出来ず。2時間も、警察の厳しい事情聴取を受ける。

 一人残された奥さんは、要介護1だったが、遠方の老人保健施設に入居させて頂き、成年後見審判申立の準備を始める。特定非営利活動法人として法人後見の第一号となる筈だった。

 遺品整理などの死後事務を行って費用の60万円強も個人的に立て替えた。近隣にも熊本県にもお子さんがいたが、疎遠で私が最後まで支援した。

 納骨が終わって、私が成年後見人として顧問弁護士が申立人代理人となって家庭裁判所に申し立てた。

 私の立替金は、生命保険が入るので返済されるのは知っていたので心配無かった。処が、私は、成年後見人に選任されなかった。何と、選任されたのは申立代理人の顧問弁護士だった。

 色々あって、財産の有る方へ同じ様な事が続いたので顧問契約を解除した。その時には、成年後見人の報酬は財産によって決まるのは知らなかった。

 亡くなった時の二人のお子さんの言動も多々疑問に思うこともあったが、もう10年くらい前の話しで記憶も希薄になっていた。

 「10年くらい前のことだったので、覚えていないのですが。」

 と、保険金があった筈と言うのはやめた。

 「私は、ケアマネジャーとして関わっていたので、金銭的な相続財産の事は分かりません。」

 「佐藤さんには、色々と立て替えて貰ったりお世話になっていたので、知って居るんじゃないかと思って。後見人の弁護士さんに聞いても、知らん、と言われてしまって。泣き寝入りしかないのでしょうか。」

 「家庭裁判所に、成年後見審判申立ての資料が保管されて居るので、閲覧や資料のコピーができます。」

 「谷町に有る裁判所ですか?」

 そこまでが精一杯だ。

 そこまで出来れば、妻の成年後見審判申立て時点で、相続財産に保険金が記されて居る筈なので、到達出来る。

 あの時にも、自分達で何かする事が面倒臭くて人にさせようと、画策する人達だったので、やるかどうか。


 菊ちゃんと、三輪さんの運転するルーミーに乗せて貰って、11時半に新大阪駅に着いた。12時から、後見センター職員も加えて4人でいつもの新大阪駅のエキナカで食事を摂った。

 いつもは、お寿司にするのだが、私と三輪さんは、氷見うどんにした。私は、そのままかき揚げを乗せた天麩羅うどん。三輪さんが天丼だった。

 食べて居る時から、やっぱりお寿司にすれば良かった、と反省した。

 食事の途中、門真市の障がい者自立支援センターから、生活支援して居る方の居住確保に向けて、依頼者代理人としての情報共有による情報提供があった。

 食事が終わって、コーヒーでも飲みたいとコンコースに並んでいる店の中に喫茶店があったので入店して美味しいコーヒーを飲んだ。

 この手の喫茶店で美味しいコーヒーは、出来ない相談でそれほどの事は無いのだが、美味しかった。ブラックで飲めるコーヒーを出すお店は、私にとってこの大阪では2店目だった。

 後見センタ-から参加の職員に、先日、私が仕掛かり中の成年後見人候補者の7人のうち5人について担当移行の指示をした件を聞いた。

 私は、これまでの多くの社員の言動から、多分反発して拒否して来るかも知れない。そんな懸念を持つ、返事がされない数日だった。それが、

 「みんなで話し合って、大体決まったのですが、5人の被後見人を3人の常勤で分けるのか非常勤も含めて5人で分けるのかどうなんでしょうか?」

 「そんな事まで強制しないよ。自分達で話し合って決めればいい。」

 ホッとした。

 これなら、今年も最高益を挙げそうだ。

 移動して1時半から、貸し会議室にて会議スタートする。他の法人の参加者は、9月から見込めるので、それまで当社関係だけで実施するので、和気藹々の会議になって気やすさも手伝って、あっという魔の3時間だった。

 居住支援法人として、補助金事業を申請して具体的な、例えば、ケアカンファレンスなどの実行に移行する前の会議を行なった。

 先月末の前回は、事業概要の原案説明を行ったが、今回はそれに続けて国が国土交通省、厚生労働省、法務局三省が共同で実施する事業の方向性の説明を行った。

 

 朝は、通常通り6時半から仕事を会社した。10時半には外出するので、そこまで中身の濃い仕事を行う。

 M &Aの提携法人代表者とのやり取りをSlackで行う。宮崎から大阪に来るので、相談したい事があって、ぜひ会いたいとの事だが、私も予定が詰まっていて彼も予定が厳しいので、中々整合性のある時間が決まらない。

 私は、彼のスケジュールに合わせて出来るだけ希望に沿う様に譲るのだが、決めようとするのに、突然変える。彼は、何とか良い共通の時間を作ろうと調整していると言う。

 しかし、無理して会っても、私は余り協力出来ない状態なので、

 「無理して会おうとせずに、またの機会を選択してもいいのではないですか。」

 という言葉を添えた。

 どうなるのか、返事を待たずに外出する。

 四條畷市のケアマネジャーから、成年後見の相談があった。私なりの見解を示す、それに対して質問があり、また、返事をするやり取りが続く。

 これから始まる会議資料の作成をする。

 司法書士への不動産登記への委任状を作成する。

 一番時間を掛けたのが、28日に8時半から16時半まで受講する「人材紹介事業責任者」講習の受講手続きだった。

 申し込み自体は終えて、次の手続きとして本人証明と顔写真の登録だ。一番最近の画像という事で、その場でスマホで撮影した。アップロードした画像を提供して、試験的に受講状態をシュミレートして、カメラを顔に合わせてモニターに自分の顔が映る。

 送信した画像が試験事務局に到達して、実際に受講して居る画面と整合性をチェックされて終日の受講の終息を迎える。

 途中で簡単な理解度テストも行われる。