行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

何を考えているのやら

 一番嫌な仕事は、採用不採用の面接から決定及び通知だ。採用失敗が、これまでも沢山あって上手く行った採用はあったろうか。

 そんな事が思い出される、昨日と今日の応募に対する一連の作業だ。昨日は、郵送それも速達できた。ハローワークにネットワークシステムで掲載した当日に応募があった。

 数日後、郵送で履歴書や職務経歴書が送られて来た。所有資格一覧が凄い。数えてはいないが、30から40くらいはあったろうか。

 その中に業務独占のものが2、3あった。当社で勤務するにはその資格が必要だ。しかし、その資格だけでは仕事は出来ない。もっと重要な理由があったのだが、それらは述べずにアピールして来た多数の資格所持を賞賛して必ずや活かせる組織があると、励まして応募して頂いた御礼を述べてお断りの言葉で結んだ。

 今日は、この市では最上位に数えられる複数回の議会議長や監査委員など行なった、議員の中でも能力が抜きに出て居る、先の選挙では病に冒されて引退した前議員の再就職を頼まれて面接の機会を持った。

 朝11時に、当事務所にて面接を行った。私が個人的に尊敬して居る方で、気後れしてしまって雇用など滅相もない、そんな気持ちで低姿勢で面接を始めた。

 これまで、何人もの議員引退者が押しかける就職要求者がいて、自分で条件を決めて机を一つ準備してくれ、と要求する馬鹿者が引も切らず殆ど相手にしていない。

 しかし、この議員は在職中に各方面から尊敬を集めていた。今年に入って頻繁にお会いしながら今後の課題を話し合って手立てを提案していた。

 いよいよ、具体的に当社にて活動させてくれとの要請があって、受け入れていた。6月からと言われて、段々と近づく日にちに契約書やどんな勤務形態、名前だけの腰掛けか、などと想像したりして、もし、これまでの元議員の様に名前だけだったら3ヵ月程度の短期でお引き取り願おうと思っていた。

 考えていてもしょうがないと、白紙で臨んだ。契約書の類や名刺なども作っていないまま臨んだ。

 悩んだ事は杞憂だった。意欲があって、自分でも現場に出て行って仕事がしたい、と言う。少しでも経験を積んで、ゆくゆくは自分も行政書士の資格を得たいと言う。

 また、自分の課題として居住を中心とした福祉的な支援制度の運用、防災やチャットgptの教育など少し具体的に進展させる様に話しをした。

 早速、広い人材を活用して京都に居住支援機関の学習に出発した。

 自分の故郷が愛媛県の片田舎にあって、帰省した経験をお話し頂いた。高齢化率70%を超えて誰が死後の事をしてくれるのか、そんな話しだった。

 そこに活路というか、ビジネスチャンスはある事をを事例を掲げて話しをした。なるほど、と感心していた。


 3時から、富山県から私が相続や遺言で支援して居る親族の依頼を受けて、貝塚市の相続物件の処理問題で大手のハウスメーカーの社員3人が来た。

 小1時間話しをしたが、何か打開に向けた提案が有るのかと思ったが、何もなかった。何の提案もなかったどころか、わざわざ金沢支店から来て、放ったバカな提案に驚いた。

 相続物件で私が代理人を務める方が共同名義で7割所有して居る。もう一人の共同名義人が亡くなって、相続人が二人いた。一人は相続放棄した。相続人のもう一人が30年前に亡くなった共同名義人のお子さんだった。

 その方が、一向に相続手続きを取らない。7割を所有して居る共同名義人が一方的に固定資産税を30年以上も負担していた。また、その方の意を受けて司法書士が数度、親族が1度訪問した。

 一向に相続手続きを取らない15%を所有者する相続人に買取などの提案をして来たが、全くの門前払いでここまで来た。

 その打開策を持って来たと思ったら、

 「7割所持して居る方が朽ち果てて居る建物などを撤去費用を負担して売却する。その売却代金を全額渡す事でどうでしょうか?」

 と、馬鹿げた事を言うので、一気に頭に来てキツく叱責した。

 これが、名だたる不動産会社の北陸地域の責任者の言葉か。

 加えて、

 「人に損害を与えて、自分の会社が仲介する事で利を得ようとしているなど馬鹿げた事だ。」

 そう言って、厳しく放った。

 同席していた大阪の支店責任者が、自分もそう思うと言って、バカがしゅんとなって以後俯いていた。

 私が、何でしないといけないのか気が向かないままに提案した。それを行って見る事になった。それは、荒れ放題の建物の解体費用と整地した後の評価額、手続きに応じない相続人の持分に比例する(売却額➖解体費)✖️0.15の額を算出して、相手に提示する。

 その富山県から大手ハウスメーカーの職員が来る間に、生前及び死後事務委任、遺言などの相談電話が入った。ホームページを見て掛けて来た。ホームページをもう少し充実させよう。

 また、連続してDVを受けて逃避行を続けて居る方、適応障害の方から住居の確保支援の電話が入る。

 大学附属病院からメールがあって、相談患者がリハビリテーション病院へ転院するとの事なので、リハビリテーション病院の地域連携室相談員と連携して転院サポートを依頼があった。医療法人を中心に多くの施設を有して居る組織で訪問する事が出来る機会を得られる嬉しさ。


 失敗も沢山続いた。昨日作成して依頼者に送った、借地権付事業用建物賃貸物件契約書の原案について、添付されていないとメールが来た。

 社会保険労務士から、送った雇用条件通知書が、平成4年7月1日からになって居ると、昔の採用者の使い回しだったので、直していなかったので問い合わせがあった。

 家庭裁判所から、送付先が違って居ると、堺支所が岸和田支所の間違いでは、と問い合わせがあった。

 オマケに、お土産を貰った品物を喫茶店に忘れてしまった。遅くに取りに行った。

 5時前に、支援していた方が施設で亡くなった。その清算金を受け取りに行った。

 午前中は、特定非営利活動法人の決算と事業報告書、事業計画書などの行政への報告書作成に時間を取った。

 沢山の仕事で今日も終わった。明日は、上京の途につく。朝早く出発して、11時頃に東京に着きたい。夜は、久しぶりにさいたま市の自宅に帰る。