行政書士から拡張業務へ

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適応障害になった長男、東京から大阪に来る

 適応障害で治療を受けていた長男が東京から大阪の事務所に来た。

 改めて、適応障害の項を読んでみた。

 【適応障害とは、生活の中で生じる日常的なストレスにうまく対処することができない結果、抑うつや不安感などの精神症状や行動面に変化が現れて社会生活に支障をきたす病気のことです。

 世界保健機関の診断ガイドラインでは、原因となるストレスが生じてから1か月以内に発症し、ストレスが解消してから6か月以内に症状が改善するとされていますが、ストレスが長く続く場合には長期間続くこともあります。

 これらのさまざまな症状は、ストレスがなくなると改善されるのが特徴です。通常、ストレスが消失してから6か月以上症状が続くことはないとされています。】

 安心した。

 今日の面談や業務の打ち合わせ、これからの仕事の内容などの会話の受け答えを見ても普段の長男の様子と変わりが無いので、これから順調に回復していくだろうと思う。

 後は、自分の気持ちだけで、自分が病気だと思って居るのでは回復が阻害される。私も、いつまでも面倒を見る訳に行かない年齢なので、これからは徐々に自立して行く様に誘導する他ない。

 先ずは、自分の能力を活かせるIT関係の分野でチカラを発揮して欲しい。当社に於いては高度なものは何もないので、安心出来ただろう。

 朝10時に、事務所にて待ち合わせをした。私の方は、落ち着かないまま気持ちを紛らわす為に、成年後見審判申立書のデータをケアマネジャーや申立人から頂いたので、様式に合わせて入力して家庭裁判所へ送付出来る様に準備していた。

 最後の残った「後見がついていない事の証明」の委任状を明日頂いて、揃った申立書をレターパックにて送付する予定だ。

 それも終わって、個人事務所と行政書士事務所を行ったり来たりしながら、長男の到着を待っていた。何度も来ているので迷う事は無いと思うが、約束の10時になっても到着しなかった。

まあ、10分過ぎくらいに着いた。1時間程、仕事以外の話しをして何の変わりも認識出来ないくらい、回復していた。

 SOSの電話を貰った連休前の状態から見れば、以前の不断の長男と何の変化も異常もない。別に、病気の意識もしなくても良さそうだった。

 IT従事者にとって、何がストレスになるのだろうか。そう思うのは、長男にだけでは無く次男もIT業務従事者で、その奥さんも同じ職業だった。

 次男の嫁にはホームページ作成などを依頼して実力を発揮して貰っていたが、ある時に妻から嫁がIT従事者をリタイアしたと聞いた。病に冒されていると聞いたので、身体的な病と勝手に思っていた。

 今日、長男が来た時に聞いた。

 「〇〇の病気は、何なの?」

 「俺と同じじゃないの。」

 何と、IT従事者が罹る適応障害に罹患していたとは。

 会って1時間の後、長男の症状を確認してから新しく購入したノート型パソコンのセットアップをお願いした。加えて、もう一台長男が帰京した後に長男が購入したノート型パソコンと同じパソコンを購入してセットアップし、送って欲しいとお願いした。

 会社には沢山のパソコンがあるが、数年経過しているので買い替える積もりだ。実は、来月からホームページ作成の基礎を商工会議所にて学ぶ申し込みをした。

 その受講の際に、パソコン持参要請があるので、三輪さんと一緒なので2台購入する事にした。三輪さんは、以前他の商工会議所にて受講しているので、ホームページを作れるし簡単なホームページを作っている。

 その他、長男と二人限定の何とかと言うチャットの様なteamと言うのか、ハッキリ分からないアプリケーションかソフトウェアか分からないが、4万円で購入したとその場で言われた。

 使い方の説明を受けたが、さっぱりわからない。追々、使い慣れれば何とかなるでしょう。

 何だかんだと言って、あっという間に12時を回って半にイオンモールに行った。4階の飲食街で長男の希望に従って、トンカツの「和幸」に行った。

 私は、コロナ禍が始まる前には外食三昧で、限界まで太って不健康な身体で危険信号として入院や手術どころか、大量の薬によって生きながらえている様な状態だった。

 その外食も、一人では行けないので複数人どころか何十人を引き連れて美味しい物しか食べないので、クレジットカードの引き落としが毎月7、80万円などとすごい額になっていた。

 このコロナ禍によって、外食が出来なくなって自炊になり和食しか作れないし、豆腐や納豆大好き野菜も嫌いではないので、一時90Kg近い体重も自然に下がって2年位で60Kg台になった。

 毎日怠さを感じて生きて来たのが、体調の良さを実感してその体重維持を意識して食生活を頑固に遵守していた。なので、息子が来て一緒に昼食を摂ることになって、内心和食を選択する事を期待しながら、イオンモール食堂街で、

 「何を食べる?好きなモノを選んで。」

 「じゃあ、何でもいいけど和幸にしようか。」

 トンカツになってしまった。

 その上、長男はトンカツ二枚のメニューを頼む始末。そう言えば、長男は小さい頃から肉好きだった。

 未だ、幼稚園に通園している時から焼き鳥屋で手羽先やレバ刺しを沢山食べていた。引越しする時の記念にあの時は未だ小学生の頃、しゃぶしゃぶを何度もお代わりして冷や汗モンだった。

 私は、エビフライ、蟹クリームコロッケ、ヒレカツのミックスフライにしたが内心体重増加が気になっていた。

 来月の2日に帰省して、東京にてミャンマー連邦共和国技能実習生送り出し機関日本支社長の紹介などの話しをした。

 食事が終わってから、丸福珈琲店でメモを示しながら、今後のお願いしたい仕事を示して2時前まで協議した。

 事務所に戻って、名刺を引き渡して長男は宿泊している京都に戻って行った。

 私の方は三輪さんに車で来て貰って大阪法務局へ向かった。


 先日、医師に呼ばれて事務手続き代理人となっている方の入院後の状態を聞いて退院の準備を入所していた施設とする積もりだったが、病院のMSWから電話が来て、

 「施設との受け入れ可能かの打ち合わせはされたでしょうか。先生から、退院許可が出ましたので。」

 と言われて、未だ、打ち合わせしていないと恐縮しながら返事をして、慌てて施設管理者へ電話した。