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雨の日曜日の「モナリザの微笑み」

 朝から強い雨模様だった。雨の日は、記憶では中学生の頃からセンチメンタルになってしまっていた。その記憶と言うのが、中学三年生の頃の日曜日だった。

 朝から、いつものように仙台のラジオ放送を聴いていた。その時に、ゲストとして出演していたのがザ・タイガースで流れた曲が「モナリザの微笑み」だった。


雨がしとしと 日曜日

ぼくは ひとりで

君の帰りを 待っていた

壁に飾った モナリザも

なぜか 今夜は

すてきな笑顔 忘れてる


どんなに遠く離れていても

ぼくはあの娘の心が欲しい 


涙ぼろぼろ 日曜日

ぼくは いつでも

あの娘の笑顔待っている


 などと、これまでになかった曲調と歌詞に加えて日曜日で雨模様にピッタリの曲に、ずっと記憶に残っている。

 この頃から、仲の良かった友人は皆頭が良くて、劣等生の私とは通う高校が別れて以後一人で過ごす事が自分に合っていると分かり始めて来た。

 家から出て一人で生活も始めて、尚更、その孤独を楽しむ方向に向かって行く。

 人と交わらない、学校にも行かずに休むようになったのは高校生になってからだ。学校には、頭が悪かったが休む事は無かった。中学時代も休んだ事は無かった。

 貧乏で栄養失調だけど、休まずに学校へは行った。高校でも、母親が苦労して働いて学費を稼いでくれたので、理由なく休むなど考えられない。

 処が、休んだのである。雨の日に休んだのである。雨の日は、傘を差して自転車通学は出来なかった。私の学校は、広瀬川に沿って幾つもの校舎が並んでいる一角だった。

 雨の日に、その並んでいる各学校の生徒が満員の市電に乗って通学するのだ。仙台市の高校は当時、全校が男女別学だった。

 並んでいる高校は、男子校より女子校の方が遥かに多く、私が乗る停留所からでは満員の電車に乗らないと何時迄も乗れない。

 やっと乗る。次々と押されて中に入って行く。吊り革の掴まる。座っている女子学生が、カバンを持ってあげます、と声を掛けて来る。それが、自分にとっては苦痛で地獄なのだ。

 その苦痛から逃れる為に、悩みに悩んで初めてのズル休みをした。その代わり、部屋で少しは勉強していた。特に、定期試験前に休む事になると、ズル休みして試験勉強していると言われた。

 しかし、一旦、休んでみると次からは気が楽になり悩まずに休めるようになった。その代わり、いつも行くはずの朝食を食べに実家に行かないので、母親が心配して様子を見に来ていた。

 異常が無ければ休まない私が休んで、それも常習的になって母親に心配を掛けてしまって本当に申し訳ない事をしていた。

 その雨の中を、今日は休みたいという気持ちが全く無くいつもの時間に出勤した。今日は、任意後見監督人選任申立の不足資料が、被後見人入所施設から届いたので、それを確認して大阪家庭裁判所堺支部に送付するだけないので、直ぐに終わるだろうとたかを括っていた。

 処が、飛んでもない事になった。届いた施設からの資料を点検しただけで、数時間掛かった。1年分の通帳のコピーと、小口現金出納帳とその経費の裏付けとなる請求書やレシートの写しが大量にあってチエックと提出用の写しを撮った。 

 基本的に家庭裁判所に提出する書式や資料はホッチキスの使用は不可なのだが、毎月の小口現金出納帳とレシートや請求書をホッチキスで留めてあるので、それ外してコピーして提出用に整える。

 分かり易いように、収支予定表に転記する前に、費目別に一覧表をExcelで作成して提出用の資料に添付した。

 結局5時間ほど使ってしまった。それでも、目的を終えてレターパックに挿入して、帰宅する途中で投函した。

 今日は、仕事が終わった時間がお昼ギリギリだったので、いつもの聴きたい曲は12時を遥かに回っても聴いていた。

 荻野目洋子さんの「六本木純情派」「ダンシングヒーロー」と森高千里さんの「渡良瀬橋」、岩崎良美さんの「タッチ」を聴いてもっと聞きたいと思ったが限りないので、意を決してPCを切った。

 夜になって、悪戯に今日の食事を思い出そうとした。認知症のチェックの基本である。食事をしたかどうか分からない、のが認知症の兆候である。食事のメニューが思い出せないのは、物忘れの兆候である。

 その朝食のメニューが思い出せない。やっと記憶を弄って、ハッキリしないが多分白飯に鰻のザク切りを混ぜて食べたと思う。大根おろしも食べた。

 お昼は、大きなアジフライを揚げて、もやしとピーマンをレンジで火を通してご飯無しで食べた。ここにも、大根おろしを付けた。

 夜は、野菜たっぷりのポテトサラダ。野菜炒めの残りを少々。これだけだ。体重チェックをしているので、昨日、予想に反して大きく増えた体重の調整で今日はカロリーを少なくした。

 外食しなければ、質素な食事に心掛けている。何も苦痛や我慢している事はない。最近は、貧乏育って良かった、と思うことが多い。