行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

念願の兎神社へ

 小さいが、今年の念願の🐇兎神社と言われていて京都にある「東天王 岡崎神社」に参拝して来た。

 私の干支である兎が境内の至る所に安置してある。生きている大きな兎もいて。狛犬ならぬ狛兎も沢山あって、年甲斐もなくはしゃいでしまった。

 車で2時間ほどの位置にあって、このゴールデンウィーク中は混雑しているだろうとの予想が外れて、行きも帰りもスムーズに移動出来た。

 これほど多くの兎年生まれの善男善女が集うっているとは思わなかった。何しろ、境内には兎のオブジェのオンパレードで、それを除けば何も目立ったものが無い。

 なので、兎マニアもそんなにいないだろうと思った。ひっきりなしに人が境内に入って来る。みんなが、狛兎と写真を撮ろうとして、頑張って居たのが、面白い光景として映った。

 勿論、私もその一員だった。

 向上兎の御守りを買って、狭い境内を巡って長い間心に留めていた兎神社を後にした。

 この年の12年前の還暦に、一念発起して行政書士の事務所を構えて、会社経営は徐々に減らして行こうと思った。

 しかし、全く、思い通りには行かずに事務所を構えただけで、法人経営に何の変化も無かった。僅かに、行政書士事務所に特定非営利活動法人を設置して、本格的に成年後見事業を法人で行って行った。

 昨日、成年後見事業の報酬は1800万円程度だと書いたが、今日、確認してところ2100万円を超えている様だ。正式な決算書が顧問税理士から示されるのは、月の後半になってから。

 本格的に行政書士事業が稼働したのは、コロナ禍が始まった年の秋のことだった。今年の秋が来て実質3年目に到達する。

 コロナ禍が無かったら、介護・福祉事業と成年後見事業、及び高齢者集合場所の運営や飲食事業が中心で、人材育成事業の全国展開を行っていた。

 コロナ禍は、私の事業の方向を軌道修正してくれた。高齢者集合場所の運営は、数千万円投資して居場所確保して、カラオケ機器や大型テレビの設置を行って地域には喜ばれたが、運営は思った様に収益は上がらず株式会社の利益を食い潰していた。

 飲食業もランチだけ行っていたが、アルバイト・パート従業員が酷すぎて、私を含めて社員3人が毎日対応する事になって、私の時間は取られるは、経営も大赤字に陥っていた。

 コロナ禍で高齢者の集合場所も運営できなくなって、飲食業も閉鎖を余儀なくされた。されたとうことよりも、されて良かった。バンバンザイだった。

 コロナ禍の功罪は、それだけでは無い。本体の介護・福祉事業の人員の適正化が行われて、大幅に売上が減少して利益が大幅に上昇し、減収増益のパフォーマンスに驚いた。

 無駄な中間管理職が削ぎ落とされた結果だと。余裕が出来て、その資金で市の払い下げ不動産を入札で購入した。

 私の軸も、自然と行政書士事業に向かって動き出す。コロナ禍と同時に何故か、地域包括支援センターから依頼が入る様になって、口コミで拡大して行く。

 幅広い対応をしていたので、医療機関から行政や個人へと拡がって行く。同時に居住確保要配慮者への支援を通じて、行政書士業務と連動してワンストップで依頼された案件を漏れなく対応して行く。

 新たに発生する分野も、受任して学習しながら処理をして行くので、拡大が拡大を呼び連携する事業者との関係構築も進展する。

 コロナ禍が私に齎した効果は計り知れない。

 事業の方向は、社会貢献事業に移行しながら、実績を上げて行く。財政的な余裕があるので、本当の社会貢献を損得抜きで提供して行く。

 その分野に足を踏み入れると広大な荒野が見える。その荒野を整備して収益生み出す整地に変えて行く。多くの補助金や助成金が付いて来る。

 これから、この日本の世の中は、問題や課題が多過ぎて何処をどうして良いか分からない。しかし、手を付けなければ一気に崩壊する。

 私が生きて手を染める時代は、未だ、序奏なので私如きの能力でもある程度は評価される。委託を受ける機会に恵まれて行く。

 学習すればするほど知恵が授かり、新たな対応策として受け入れられる。実践する事によって評価される。楽しい時代になって来た。

 問題は、私の年齢がもう残り僅かだということだ。承継などの継続は不可能なので、如何にして他者に迷惑を掛けずに終息して行くか、だ。

 さて、還暦前の年男の48歳にここ大阪に来て事業を開始した。その前の36歳の時には、マンションから一戸建てに居を移した時だった。世の中は、バブルが始まったばかりだった。

 そうして、その前の24歳の時に結婚をした。昨日、昭和の歌で、今の若い人たちが聞きたい歌のNo. 1が太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」だったという放送を見たが、その曲が世の中に流れていたときに結婚した。

 毎年、彼女の歌を聴きにコンサートに行っていたが、この3年間はコロナ禍でご無沙汰している。

 今日も、ひとの迷惑も考えずにいつものように相談者から電話が掛かってきた。京都で昼食場所を探したが、行列に並ぶのを避けて、歩きに歩いて、入ったお店が外れだった。

 その上、この店で食事中に何度も電話を掛けて来た。出なければGW中なので少しは気遣いがあっても良いだろうに。何度も何度も掛けて来て、最後には留守番電話で電話が欲しいと。

 要は生活保護の申請を行った結果、子供達に援助出来るかアンケート調査票が届いていたが、出さないとダメか、財産など正しい数字を書かないとダメか、など人に聞く事柄では無い。

 今日の午前中、10時に出掛ける迄に行政書士事務所の改修に伴う内部整頓、成年後見審判申立書の定型様式への打ち込み、居住支援協議会設立に向けて他の事例学習などを行った。