行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

突然と不幸の連鎖に声も出ず

 今日は、昨年末に亡くなった方の死後事務の最終業務として貴金属の換金の為の鑑定依頼で1日が終わるか、と思っていた。

 処が、午前中の仕事が終わりそうな時間になって、枚方市の大学付属病院退院支援室MSWから電話があって、そののんびりしていた精神に緊張感が走った。

 もうひとつが、これまでの業務遂行上重要な連携事業者所属員から事業の存続に関する情報があって身近に迫って来る業界の大きなうねりを実感した。

 まず、大学附属病院からの依頼である。大学附属病院退院支援室MSWから簡単な情報を頂いて、その電話で相談者に代わった。

 事故か病気か、相談者の息子さんに脳に障害が発症した。金融資産を所持しているので金融機関に相談した処、成年後見審判申立てを行う様に要求された。

 家庭裁判所に行って、成年後見審判申立て手続きを確認した処、複雑で自分では出来ないと思う。家庭裁判所からも、専門家に依頼した方が良いと言われた。

 その手続きをしてくれる専門家に依頼すると多額の費用が掛かると知った親御さんから相談を受けたMSWから私どもに連絡があった。

 電話で、私の予定をお話しして面談の日程調節をした処、急いでいる様で私が空く今日の貴金属鑑定が終わってから向かう事にした。

 4時迄には着くと思います、とお話ししてMSWに代わった。直ぐに、医師の診断書と情報シートは大学病院の方で準備が出来るとの事で、連携がバッチリ。

 2時から、貴金属等の買取り業者が来た。これまで死後事務の一環として遺品整理業者へ残置物処理を委託していた。

 その遺品整理業者が入る前に委任された責任上隅々まで念入りに貴重品や金銭、証書などの確認をする必要を実感した。

 ある事から、切り替えして良かった。多くの貴金属や金銭的な物が発見されて持ち帰った。その持ち帰った品物を事務所に保管しているので、業者を呼んで値踏みをして貰った。

 しかし、4時に枚方市の相談者宅にお伺いする約束していると断って時計を見ながら、値踏みに付き合う。段々と時間が無くなってきて、結果的にはさすが営業マン。

 自分で予定の3時ギリギリに事務所を出た積もりでも、実際は3時半になっていて遅れる覚悟をしていた。

 慌てて、枚方市の電話で聞いた住所地に向かって、約束の数分前にスマホのナビで指定した家の前に立った。しかし、表札は聞いた名前と違っていた。辺りを巡るが名前が一致する表札が見つからない。

 住居表示が無いので、近辺を回って見たが相談者住所かどうかのハッキリした場所が分からない。

 悪い事に、電話を頂いた時は大学附属病院のMSWが電話をくれてその電話で相談者が代わったので、本人の電話番号が記録されていない。

 堪らず、大学附属病院のMSWに電話して相談者の電話番号を聞こうとした。しかし、長時間電話を繋いで待っていても、外線の電話が終わらない。

 長い間待っていると、そのMSWに掛けている携帯電話に何度も掛けて来る人物が居たが、電話を切る訳に行かない。

 我慢出来ずに、切って3回も掛けてきた相手に返信した。その前に、電話を掛けていた時に近所のおじさんが出て来て何度もこちらを見ていたのを、三輪さんが教えてくれた。

 私が折り返し掛けた時に、そこに居たおじさんが携帯電話を取り出したので、やっぱりその方だった。

 家に招き入れられて、居間で奥さんも一緒に聞いて貰う事にした。兎に角、聞けば聴くほど不幸の波がこれでもか、と襲って来ているのがヒシヒシと伝わって来て、声も出ない。

 聞いている私が悲しみが込み上げて来るのに、感情的に耐え切れなかった。

 申立人となる父親は腰骨を骨折してリハビリが終わりかけて居ても座れず、椅子に座ってお話しをしてくれた。

 私共と同じ目線に座って居た奥さんが、つい数日前に癌が診断で発見されて、これから治療が始まる。

 その検査当日、一緒に住んでいる息子さんが脳に突然異常発症して、癌診察に同行して出ている父親に電話して助けを求めている。奥さんについて行って、そんな大事になるとは思わないので、自分で救急車を呼ぶ様に言う。

 自分で救急車を呼ぶ事が出来ないので、知人に呼んで貰って国立病院機構に運ばれたが、満杯で緊急手術が出来ずに、大学附属病院に転院される。

 脳内で何かが起こって居て、出来る表現は涙が流れる程度で、回復の見込みがないと言われた。

 命の継続は断念する事を病院側に伝えた。株の運用や特殊なインターネット取引をしていたのを知っていたが、詳細が分からず、金融機関へ相談すると成年後見人の審判申立てをする様に助言された。

 家庭裁判所に成年後見の相談に行って、金融財産や親の年齢などから、第三者の成年後見人を選択する事を勧められた、という。

 そうして、子供の再手術に合わせて大学附属病院に行って、帰りに退院支援室に行って成年後見審判申立ての相談をして、私に電話がMSWからあった。

 衝撃的な話は続く。その旦那さんの兄弟縁者の多くの方たちが40才台亡くなって居ると聞いた。その様な話しを聞き、私がいつも言わない、慰めの言葉を絞り出した。

 1時間半は、老夫婦が次々に繰り出すお話しを聞いて、正座している足が痺れて立つと転げそうなので、膝立ちして暫く痺れがきれるまでお話ししていた。