行政書士のプライドと重要性を自覚出来た一日
本日は、実質、仕事を行う最後の日。気合を入れて、岸和田市の葬儀社に向かう準備を念には念を入れて行った。
昨日の不幸の連絡を受けて何度も何度も、
「信じられない。」
と、繰り返した。
朝は、いつものように、午前3時台に目覚めて、この日は一般社団法人の基金設立について調べていた。
これから、保証人事業を行う検討しているが、重要な意味合いを持つ。
1時間程調べて、また寝てしまった。
気付いたら、5時半過ぎだった。起きて、血圧を計測してサプリメントを服用して、眼圧用目薬を点す。
布団から出るだけで、寒い。思い切って立ち上がって、ジャージを着る。それでも寒いが、仙台で培った寒さに耐える根性を遺憾無く発揮して、より寒いキッチンに入る。
今日は、昨夜の残り「すき焼き」の具だけをレンジして食べる。
事務所に出勤したまま岸和田市に向かうので、葬儀に出席する黒の正装着替えて、最後のネクタイが無い。
私は、介護事業を始めた時に最初に亡くなった方への、葬儀へ参加した。代表取締役として、その時は参列するのが当然だと思った。
処が、利用者は高齢者なので亡くなるのが、短期間に次の方が続く。キリが無いので、出席しない事を決めて以来、20年以上も出席しない。
成年後見でも、ケアマネジャーでも、障がい者ケア計画専門員でも、自分の担当した利用者が亡くなっても、葬儀に参列する事は無かった。思いは揺るぎなかった。親族や親戚の葬儀には勿論参列したが、一旦、さいたま市の自宅に戻ってから着替えて向かうのが通例だった。
なので、1本くらいはあった筈の黒のネクタイが見当たらない。向かう途中で、買えばいいと思って、スーツだけ正装して出勤する。
岸和田市役所に死亡届を提出に行った葬儀社から、届け出の人がいないと連絡が昨日あった。その為に、私が「生前及び死後事務委任契約書」を交わしているので、私の名前で出すように伝えていた。
市役所が、その契約書原本を持参して欲しいとの事だったので、最低この契約書原本を忘れないように、最初準備した。その方のファイルごと持参する事にした。
到着は予定時間通り3時間後の午後1時に葬儀社に到着した。
代表や役員が勢揃いしていた。挨拶して、安置されているご遺体に手を合わせ、市役所が求めている「生前及び死後事務契約書」を持参した。丁寧に対応して頂き、受理されて無事1日遅れで火葬が出来る事となった。
亡くなった死後事務委任者自宅へ向かった。
キーボックスの暗証番号を聞いていたので、スムーズに入室出来た。今日は、今後の死後事務に必要な賃貸契約書や年金情報、本籍地などの関係書類があれば預かりたいと思っていた。
90歳を超える年齢で独居者としては、きっちりした整理整頓の行き届いた室内の状態だった。驚く事に、ファイリングがなっていてインデックスにて、直ぐに探し当てられた。
きっちり整理されていた封書の中に、出身地の大分県竹田市の封筒があった。中を確認すると、思いを断ち切ったと言っていた、親の名前や本籍地の情報を確認出来るメモなどがあった。
やはり、捨てたと言ってお骨も帰る事を求めなかったが、やはり、戻りたい郷愁感を断ち切れなかったのだろう。
これで、私の気持ちは固まった。年明けから、この方の故郷も訪問日して親族を探し当てて納骨に繋げて行きたい。
今日ほど、行政書士という職業にプライドを抱く対応をして頂き、他利を思う意識に益々のめり込んで行く
行動をし続けたいと強く思う。
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